先駆者が作る普遍のダンスステージ 〜WRECKING CREW ORCHESTRA『DOOODLIN’』レビュー〜

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2015年4月3日(金)〜12日(日)、Zeppブルーシアター六本木にてWRECKING CREW ORCHESTRA(以下:レッキン)の新作公演『DOOODLIN’』が上演されました。今回のコラムでは、この公演を取り上げます。

レッキンは、関西在住のストリートダンスチーム。ヒップホップ、ハウス、ロックなど、さまざまなジャンルの日本のトップダンサー8人によって、2003年に結成されました。当時ストリートダンサーの活動として目新しかった公演活動に取り組み、ストリートダンス公演では日本の先駆者的存在です。
そして10年以上公演を続けてきたレッキンの一つの到達点が、今回の公演。
光のダンスで世界的に有名になったEL SQUADはもちろん、プロジェクションマッピング(以下:マッピング)を使用した最先端のテクノロジー演出とオリジナル音源の曲を携えて、日本ストリートダンス界初のロングラン公演として上演されました。

たとえば1枚の紙を渡されて「好きな絵を描いてください」と言われたら、何を描きますか? すぐに描けますか? 900人入る劇場くらいの大きな紙だったら、それに見合った絵が描けますか?

公演のテーマは「イタズラ描き」。ブルーシアターにレッキンのいたずらの世界が描かれます。
座席に座りながら、にぎやかで楽しいものが自分のところにやってくる。そんな遊園地のアトラクションのような公演でした。
五感が錯覚を起こすアイデアあふれるテクノロジー演出と、生身の人間が踊る圧倒的なダンスのパワーに、結成10周年を迎えさらに前へと進むレッキンの、底を見せないエネルギーを感じました。

最先端のテクノロジー演出

この公演のみどころの一つは、マッピングやシースルースクリーンなどを使った最先端のテクノロジー演出。
マッピング自体は2013年の公演『COSMIC BEAT』でも使われていましたが、今回はマッピングを当てるセットの面がより複雑に、映像もダンスとよりシンクロしたものになっていました。

「レッキン」「テクノロジー」といえばELワイヤーを仕込んだスーツでEL SQUADが踊る、「光のダンス」が有名です。
ただでさえ、突然現れたり消えたり「どうなってるの?」と驚きをくれるEL SQUADが、今回はさらにパワーアップ。テクノロジー演出のしかけを生かした新作が披露されました。

内容は宇宙での戦いを思わせるもの。
EL SQUADがシースルースクリーンの前と後ろで踊ることで距離感が狂って見え、閉じた劇場が無限の宇宙のように感じます。星空の映像が上へ下へと勢いよく流れ、自分の体が無重力空間に投げ出されたように錯覚します。
遠くから見ると「じつはEL SQUAD自体も映像演出なんじゃないか」と疑ってしまうのですが、自分の近くの通路を走り、跳び、光るEL SQUADは現実そのもの。目に見えていることのどこからどこまでが現実なのかわからなくなり、レッキンの作る盛大なしかけに圧倒されました。

マッピング演出でおもしろく感じたのは、DOMINIQUEさんとYOKOIさんのソロです。
公演中ソロの演目があるのがこの2人。どちらもマッピング演出を使っていましたが、対比がおもしろかったです。

DOMINIQUEさんのソロは公演の冒頭にあり、セット全体にマッピングを当てた派手なもの。この時点でまだ観客はマッピング演出に見慣れていないので、このソロで度肝を抜かれます。
映像はダンスやビートに合わせて激しく変化し、音を見せる要素が強い抽象的なイメージのもの。
DOMINIQUEさんが体を傾けると、セット全面に映った幾何学模様がDOMINIQUEさんの動きに合わせて傾きます。映像の中央で不敵に笑うDOMINIQUEさんが、全世界を傾けたようでかっこよかったです。

一方YOKOIさんのソロは終盤にあります。セット全体にマッピングを当てたDOMINIQUEさんのソロと違い、ステージ中央の一部分にのみ映像を映します。ダンスと映像がリンクする箇所が多く、振り以外の難易度も感じるソロでした。
映像は叙情的なもので、ピアノを弾くYOKOIさんから、音符がひらひらと飛ぶシーンから始まります。
途中、墨汁が飛び散ったような黒いしぶきにYOKOIさんの姿がかき消される場面があります。その中で踊るYOKOIさんが切なくもあり、美しくもあり。明と闇の相反する映像を見ながら、YOKOIさんという人は清濁あわせ呑むような人なのだろうかとぼんやりと思いました。
このYOKOIさんのソロは、終盤の音楽の盛り上がりに合わせて、セット一面にマッピングを当たります。それまでの映像が控えめだった分、視界全体に無数の紙飛行機が広がった時は、心が震えました。

11日の終演後トークショーでは、YOKOIさんからソロのマッピング演出の対比は意図的にやっているというお話がありました。
全面にマッピングを当てた方が派手で演出効果が高そうですが、あえてそうしないシーンを作るという選択に、レッキンの美学を垣間見ました。

絵本のような物語

公演全体を通して、まとまった起承転結のストーリーはありませんが、それぞれのダンスシーンには、異なるストーリーとキャラクターとオチがあります。ファンタジーを感じるものが多く、つぎつぎに絵本を読んでいくような感覚がありました。
実際に、絵本をテーマにしたロックダンスのシーンもあります。
2014年の公演『BEAT BUMPER』も、つながったストーリーの無い一つ一つのシーンの連続で作られていましたが、今回はより、各シーンの世界観が確立されていました。

シーンで印象に残っているのは、SHOHEIさんが投げたスライムから、女性ダンサー扮する謎の生物が生まれるもの。ビジュアルのインパクトが非常に強く、ストーリーも印象的でした。

スライムダンス
(DOOODLE NOTE #007より)

背中まであるたてがみは、ダンサーが一列に並び、90度腰を曲げ、背中と床が平行になる姿勢をとると一直線になり、見え方がおもしろいです。
楽しげな作品が多い中、グロテスクさを放つ異色の作品。赤く点滅する照明の中、SHOHEIさんがダンサーの頭部を引っぱり、生物の首が長く引き延ばされるシーンは、毒々しくも魅惑的でした。

このシーンは、SHOHEIさんに誘導され壁にベチャッと打ちつけられた生物が、映像のスライムに戻りセットの壁をつたって、SHOHEIさんの手の中に戻って終わります。
これは私の解釈ですが、壁に打ちつけられた時の「ベチャッ」という音が、何だか悲しげに聞こえたんです。
スライムたちは、首を引き延ばされたり、壁に打ち付けられたりしながらも、最後はSHOHEIさんの手の中のスライムに帰っていくんです。
そう! 帰っていくんです。逃げたりせずに!!
これはスライムたちの悲しい本能なのか、SHOHEIさんの訓練によるものなのか、はたまた愛や信頼なのか。
この作品の主役がレッキンの王子と名高いSHOHEIさんだけに、スライムたち(おそらくメス)とSHOHEIさんは一体どんな関係なんだろう?と想像が掻き立てられました。

ロングラン公演の意味

YouTubeでは、公演開始前から舞台裏が見られる「DOOODLE NOTE」を連続的に配信していました。中でも#007でYOKOIさんが、「ストリートダンスは消費の文化」と語っていたことが印象的でした。

DOOODLE NOTE #007 3:27〜からYOKOIさんのインタビュー
※文字に書き起こしました。内容を変えない程度に一部語尾などを書き換えています。
お芝居とかにしても舞台って普通3回とか4回とかで終わるものってないんですよね。もちろん規模感にもよりますけど。
僕たちの目指しているところってやっぱりそこで、一つの作品がロングランで公演されたり、それが毎年再演されたり。そういう普遍的なスタンダードを確立させていきたいという思いがすごくあって。
元からストリートダンスシーンってすごく消費の文化なんですよね。常に消費して、新しいものを作って、常にシーンが、ぐるぐるぐるぐる回転していく。
だからこそ美しかったり、だからこそ面白かったりするものが生まれるんですけども。
でもストリートダンサーとしてだけじゃなくて、表現者としてであったり、物を作る人であったりっていう観点からすると、ただただ消費されていく物を作るのって、どこかやっぱり、淋しいというか、つらいというか。もっともっと普遍的な物を作れるんじゃないかなぁと思って。

『DOOODLIN’』がロングラン公演だったのは、何となく集客が見込めそうだから……ではなく、レッキンの思いを反映してのことだったんですね。

この話とは少し違いますが、私もストリートダンスと消費という点に関しては、考えたことがあります。
私がストリートダンスを生で見るようになったのは約2年半ほど前、ダンスをやっていたわけではありませんが、よくわからないけど何となく公演に足を運んでみたクチです。
で、公演を見て「何だこのかっこいいものは!」と感動した私は、それをより理解したくて、ネットで公演の感想を検索しました。でも、「かっこよかった」「やばかった」がほとんどで、それ以外のものがあまり出てこないんですね。よくダンサーを紹介する言葉に「説明不要」が使われますが、当時の私は説明を求めていたわけです。

「かっこいい」「やばい」と思ったからその通り発信するというのは、人としてとても自然なことではありますが、ミュージシャンのライブや演劇などでは、もっとその日の演者の細かな情報や、旧作と新作の比較など、具体的な感想がある程度見つかるので、なぜこの分野ではそれが無いのだろう?と率直に疑問に思いました。
考えた結果、ストリートダンスというのは、いいダンスが出て盛り上がりを共有したその瞬間が一番大事で、一瞬で消えていくものなのではないか、という仮説を思いつきました。
あくまで当時の感触から生まれた仮説です。

それはそれで「そういうシーンなのかな」と思う一方、作っては消えていく作品を、作り続けるモチベーションが私には想像できなくて、作り手はどんな気持ちなんだろう?と疑問でした。
そんなことを考えていたので、YOKOIさんのインタビューの「どこかやっぱり、淋しいというか、つらいというか」という言葉を聞いて、こういうことを思っている人も、やはり中にはいるんだと納得しました。

そんなレッキンの思いのもとロングラン公演をおこなった『DOOODLIN’』は、ロングランということをすごく意識していると感じました。
細かいしかけが多く、一度見ても「もう一度あそこが見たい」とか「別の席から見てみたい」という気持ちが沸いてきて、もう一度見るとまた新たな発見がある。
簡単には消費されない、普遍に耐える物作り。
ストリートダンサーの公演活動は最近多くなっていますが、普遍的な物作りを目指す段階に入ったレッキンは、やはり先を行っているのです。

ダンサー達の「DOOODLIN’」

公演タイトル『DOOODLIN’』は、イタズラ描きの意味の「doodling」に由来を持つ造語です。この公演も、いたずらや遊び心といったものモチーフになっています。
エンディングでは、テーマ曲『DOOODLIN’ feat. Ashton Moore produced by TAKE56』を全員で踊ります。歌詞の『DOOODLIN’』というフレーズに合わせて、ダンサーが自分の胸を指さす瞬間がとてもかっこいい。その瞬間の笑顔が印象的で、一人一人の遊び心を見つけたようでした。

不思議なもので、観客席で見ている私も、演者に心をあずけ、童心に戻って楽しんでいることに気がつきました。
例えば、客席に大きな風船が飛んできたらつい「触りたい」と手を伸ばし、EL SQUADが自分の近くで光ったら思わず声をあげて驚いてしまう。こう、じっとしていられないんです。
舞台上から何かを届けるというのは、きっとこういうことなんでしょう。


この公演では、coo(クー)という落書き風のタッチで描かれたCGの少年が、公演の水先案内人を務めます。他にも、絵本や紙飛行機など、子どもに関連するアイテムがたくさんでてきます。何しろ公演タイトルが『DOOODLIN’』ですから。
アーティストが子どもをモチーフにした作品を作ったのを見て、「随分と丸くなってしまったものだなぁ」とか「日和ったなぁ」という印象をいだいたこと、ありませんか? いえ、私がそういうことを思ってしまうタイプなんですけども。

この公演も、広くいえば子ども的なものをモチーフにした作品ですが、それとは真逆の印象を受けました。
そこには、「子どものころはよかったなぁ」という大人のあきらめではなく、「子どもの心は自由だけど、自分たちも負けてない」という、レッキンのみなぎるクリエイティビティをビシビシと感じました。
かっこいいダンサーというのは、ダンスだけでなく考え方なども含めてかっこいいものだとはよく言われますが、自由な心を舞台上で表現できるのは、真に自由な心を持った人間だということを、ドンのと見せつけられたようでした。
10周年を終えてなお、レッキンはこれからも先頭を走り続けていくのでしょう。

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ストリートダンスと女性アイドルの熱いファン。
サークル・KAFLY(http://kafly48.minibird.jp/)で女性アイドルのミニコミ誌を定期発行しています。今一推しのアイドルは東京パフォーマンスドールの橘二葉ちゃん。
苦手な食べ物はなすびとマンゴー。

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