【ダンサー × ミズノ社員】会社員でありながらROCK STEADY CREWとして活躍するBBOY 2ucci

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今年で創業111年目を迎え、長きに渡りスポーツ業界を支えてきた総合スポーツメーカーミズノ。
多くの一流スポーツ選手に愛されてきた当企業には、ヒップホップカルチャーの発展に多大な貢献をもたらしているNYを中心とするワールドワイドなヒップホップクルー“ROCK STEADY CREW”の日本人メンバーが所属している。
そんなミズノ社員の名前は土屋 亮二、BBOY 2ucciだ。
現在38歳を迎えた彼は、大学卒業後、会社員を続けながらも、BBOYとしての活動やイベントの主催などを行い、2016年にROCK STEADY CREWのリーダークレイジー・レッグス(Crazy Legs)に直々にメンバーとして認められたという。
また、現在ミズノでは新たにダンス向けの商品の取扱いが始まっている。
今回Dewでは、彼のダンスの始まりからROCK STEADY CREWへの加入、そしてダンス向け商品についてなど様々に話を伺った。
いつものダンサーインタビューとはまた違った視点で語る今までにないインタビューなので是非とも一読いただきたい。
 

BBOY ミズノ社員のダンスのルーツ


STAFF
本日はインタビューよろしくお願いします。
2ucciさんはスポーツメーカーミズノの社員でありながら、2016年よりNYのクルーROCK STEADY CREWに加入していますよね。
本日はその経緯や2ucciさんのダンスのルーツから現在に至るまでをお聞かせいただきたく思います。

2ucci
よろしくお願いします。

STAFF
そもそもダンスをはじめたのは何がきっかけですか?

2ucci
高校三年生のときに友達から「DANCE DELIGHT(以下ディライト)」のビデオを借りたんです。
当時、ちょうど学校でヒップホップ自体が流行っているというか、まわりが始めていた時期で、DJをやる人からMC、グラフィティーなどみんなそれぞれ始めていたんです。学校かばんにはタグを書いたりしてましたね。
そこで、友達が「ダンスやらない?」と声掛けてくれてビデオを貸してくれました。
最初はなんだかよくわからず見てみたら、ダンサーがステージで踊っていて、なによりぐっときたのはジェイムズ・ブラウン(JAMES BROWN)の音楽でした。

STAFF
ダンスではなくまず音楽なんですね。

2ucci
ジェイムズ・ブラウンで踊っているダンスがすごくカッコよく見えました。

STAFF
それはいつぐらいのディライトですか?

2ucci
たしか1996年とかですね。
CO-IN LOCKERSが優勝した年です。

STAFF
なるほど。

2ucci
元々中学校から硬式テニスを頑張っていて、中学ではある程度強かったのですが、高校は結果も残らなくなっていたんです。
テニスって自分との闘いみたいな意識が当時の自分には非常に強くて、団体戦の時は仲間の応援があったり楽しい面もあるけど、個人戦だととにかく一人を感じるスポーツだったんです。
そこにダンスというものがポンと出てきて、踊ることで人に何かの影響を与えるという様な見えないパワーの伝達をしている部分に興味を持ちました。
ちなみにそのディライトに審査員として来日していたのがROCK STEADY CREWでした。

STAFF
そこがROCK STEADY CREWとの最初の出会いなんですね。

2ucci
クレイジー・レッグス(Crazy Legs)、ケン・スウィフト(ken swift)、ミスター・ウィグルス(Mr. Wiggles)、MASAMIさんの4人でゲストショーをやっていて、そのショーがダンスじゃなくて彼らのラップで始まって、踊り始めたら今度はスプレー缶がでてきて、ステージでプシューッって噴射してグラフィティの仕草をするんです。

STAFF
今でこそヒップホップカルチャーとわかりますが、最初は意味がわかんないですよね。

2ucci
ともかく衝撃的だったし、これは何が言いたいんだろうみたいなことで興味をそそられるし、純粋に観てかっこいいなと思いました。
そしてまず、一番初めに始めたのは友人もやっていたロックダンスで、数か月後かに文化祭で初めてショーをやりました。ちょうど20年前くらいですね(笑)。
高校の学園祭で、「まったりクラブ」っていう出し物を開いたんです。

STAFF
ゆるそうな名前ですね(笑)。
それはなんですか?

2ucci
そうですね。
教室をクラブみたいにして、さっき言ったように仲間にDJがいるからDJが音楽をかけて、MCがライブをやり、そこで僕も初めてのダンスのショーをやりました。
ダンスだけという切り口ではなくて、みんなでヒップホップという感覚がすごく強かったですね。
そして、そのときのサークル、今で言うサイファーで踊っていた他校のBBOYに感化されてブレイキンを始めたんです。

STAFF
素敵な学校ですね。
仲間もたくさんいて、すごくいいヒップホップとの出会いですよね。
その後は、コペルニクスというチームでも活動されてましたよね?

2ucci
そうですね。
しかし。コペルニクスって言ってもみんな分からないと思います(笑)。

STAFF
自分はすごくショーケースがかっこよかった印象があります。
あれはいつごろですか?

2ucci
2000年前後くらいですね。

STAFF
なるほど。確かに10年以上も前ですから若いダンサーで知ってる人は少ないかもしれないですね。
あのチームはどういう集まりだったんですか?

2ucci
学習院大学に進学しダンスサークルに入り、目白を拠点として活動をしていたのですが、先輩のBBOYもいなく、クルーにも属していないところで活動をしていました。
それもあってか珍しいスタイルで踊っているのもあり、色んな人から声をかけてもらったりする中でコペルニクスのメンバーと出会いました。
コペルニクスは元々、早稲田大学系列のチームで自分は元々そこにはいなかったのですが、ディライトに出るタイミングで「一緒に頑張らない?」と声をかけてくれて加わりました。

STAFF
確かディライトでもファイナリストでしたよね?

2ucci
1999年と2001年にディライトでファイナルにいきました。
ステージで踊るショーケースでは見てくれた人に何かを与えることを目指していました。
だから構成や振り付けに拘っていたブレイキンのチームで、一般の人が見ても単純に楽しめることを意識していたのが良かったのかもしれません。

STAFF
2000年くらいは、シーン的には盛り上がっていましたか?

2ucci
ダンスのシーン的には、ダンススクールやダンスコンテストが増え、コンペティションバトルイベントも少しずつ開催され始めて、シーンが盛り上がり始めた頃でした。今ほどの規模ではないですが、勢いは感じていました。
アメリカで一番初めのブームが70年代中盤からNYで始まり、80年代に入るとブームが一度去っていったんです。
その後、90年代初頭にROCK STEADY CREWが勢力的に活動を再開して再び世界中に広めていきました。その数年後なので、またブレイキンのシーンが盛り上がってきたときです。

STAFF
そこから大学を出て、プロダンサーを目指した時期もあったんですか?

プロは目指さずIT企業へ

2ucci
プロは目指さなかったです。
実は、左足が変形性股関節症といって関節の骨が変形していて、左脚が30度くらいしか開かなくて、長さも2センチくらい短くて、稼動範囲がとても狭いんです。

STAFF
今もですか?

2ucci
はい。生まれつきずっと。
ヘッドスピンをやっていた時期は無理くり足を開いてやったりしていましたが、回転している時の遠心力で引っ張られてたうちに、痛みで歩けなくなったのことが大学三年ぐらいの時にあったんです。
それでプロは身体的に向いてないなと思いました。
その影響もあってか、自分よりも体が硬いダンサーとは出会ったことがないです。

STAFF
元々ハンデを抱えていたのですね。

2ucci
いっても昔は、日本でプロのストリートダンサーというイメージもそんなになく、それに加え自分の体がうまくコントロール出来ないってなってきたら、もっと他に社会の役に立てる仕事があるんじゃないかなと思いました。
でも、ハンデという認識は当時はなかったです。自分の特徴、だから上手く活かせばいい。というヒップホップ的な考え方は、BBOYだったから自然と持っていた感じがします。

STAFF
なるほど。時代もありますよね。
それからすぐにミズノに就職されたんですか?

2ucci
いえ、最初は、日本ユニシスっていう、IT業界の会社に入ってシステムエンジニア(以下SE)として働いていました。

STAFF
また全く違う業種ですね。

2ucci
当時勢いがある業界がITでした。
元々、数学とか理系みたいなのが好きだから、ITだったらこれからの社会で何か役に立っていきそうだなと思い受けたのですが、大学は文系でパソコンは理系出身者ほど得意じゃなかったので、かなり苦労しました。

STAFF
ダンスは続けられたんですか?

2ucci
就職した直後はダンスどころじゃなかったですね。仕事に夢中でした。
もちろん週末はやっていましたが、平日は残業も多く、そんな踊る気力は出なかったです。
それでも、精神的にも身体的にも疲れてても倒立すると全部忘れ気持ちがリセット出来るっていう感覚があってそれはよくやってました。
BBOYあるあるかもしれないですね。倒立したがる。

STAFF
倒立にそんなパワーがあるんですね(笑)。
ダンスのイベントやバトルには出演していたんですか?

2ucci
タイミングで、声掛けられて出るとか誰かがやってる記念イベントとか、前々から活動してたコペルニクスでみんなで久々に集まって出るとかそういうことが多かったです。
そもそも自分がダンスを始めた時代は、ジャッジがいるバトルというのが今ほどない時代だったので、自分にとっての一番自然なBBOYとしてのヒップホップの形はサイファーでした。
だから週末みんなで集まって、仲間と一緒に踊り合うっていうのだけで満足してる。
後は、クラブに遊びに行ったりして踊ったりとか、全然ヒップホップじゃないクラブに迷い込んで、踊ってつまみだされたりとか(笑)。

STAFF
社会人とダンスを上手いこと楽しめていたんですね。
SEは、どのくらいやられてたんですか?

2ucci
SEは4年間ですね。

STAFF
転職のきっかけはなんですか?

2ucci
大学の仲間や後輩とか、皆ダンスをやめていく中で、自分はなんでやめてないんだっていう疑問がありました。
そうなると自分の中に残ってるのをまだまだ活かしたいと思うようになりました。
そこでITに関することも含めて、自分が持ってるものを棚卸した時に、転職というのがポンと出てきて、それを社会に対してアプローチできるものに変えるとしたらどんな仕事なんだろうと考えて入ったのがエイベックスです。

STAFF
エイベックス。音楽業界だったのですね。

2ucci
エンタメとITの融合という様なイメージで、当時エイベックスの音楽配信などアーティスト2次ビジネスを行っているグループに転職しました。当時だとCD以外の音楽配信、グッズ、ファンクラブなどをディレクションする仕事で、様々な経験ができました。
その後、当時あったエンフォースというダンスブランドに携わることになったんです。

STAFF
エンフォース、覚えています。
ダンサー向けのTシャツなど出していましたよね?

2ucci
はい。その担当でした。
スウェットパンツがすごくて、特殊な生地で汗を吸収すると通気性がよくなるというもので、Tシャツは吸汗性、質感、シルエットもよいダンサーに特化していた商品でした。

ダンサーがプロダンサーとしてアスリートに近い体の酷使の仕方やトレーニングをすると考えたら、それをサポートするためのものが必要だろうという考え方です。
そしてそれを実際に製造していたメーカーがミズノなんです。

STAFF
ほー!それでミズノに繋がるわけですね。

2ucci
はい、その後ミズノに入ったのは5年前くらいですね。

ミズノ社員としてダンサー向け商品を企画

STAFF
ミズノではどのような担当をされているんですか?

2ucci
事業企画部に所属していて、マルチトレーニングアイテムを扱っているチームにいます。
そこでダンス向けの商品、ダンサーをサポートするモノやコトの企画にも携わっています。

STAFF
現在もダンサーの商品があるのですね。
エンフォースから10年近くたちますが、ミズノには、継続的にダンスのグッズがあるんですか?それとも新たにスタートしたってことですか?

2ucci
新たにスタートです。以前とは違ったマーケティングをしています。
元々野球のイメージが強いと思いますが、ミズノは総合スポーツメーカーであり、経営理念は「より良いスポーツ品とスポーツの振興を通じて社会に貢献する。」です。
ダンスの世界をスポーツメーカーとしてどうサポート出来るか、どう会社として取り組むことが出来るかを試行錯誤し、再スタートしました。
サーフィン、スケボーでいったら板があるし、いわゆるギア的なモノが有るか無いかでスポーツメーカーとしてもやれることは大きく変わります。
それがダンスとなると、根本は何もなくてもできるんですよね。
カルチャーとして何もないところから始まったわけだし、そこに無理くりモノを作りビジネスを生み出すのではなく、本質的に必要なモノがあれば作りたい。そんな風にミズノらしいことを考えています。
ミズノは今年で111年目になり、歴史があるからこそどういうものができるか。
今ダンスは、メディアも注目し言わば流行、高校生ダンス部、大学ダンスサークル、子供の習い事を筆頭にダンス人口は急増しています。
その反面、環境が整っていない中でダンスを頑張っている若い世代が増えています。なのでそういう人たちを支えてあげる必要があると思っています。

STAFF
111年目。確かにものすごい歴史ですね。
そんな試行錯誤を重ねた末、ダンスに特化した部分っていうのはどういうところなんですか?

2ucci
一つの視点は、自分の体と向き合って欲しいということを思っています。
怪我もそうだし、技術という意味ではフィジカルという視点もある。
ダンスは大会も増え、やるからにはそこを目標にしてダンスに一生懸命がむしゃらに取り組む人も増えています。なので、気付かずに体を酷使しているダンサーや、若い成長過程の高校生とか中学生の部活でやってる子たちには体をある程度守ってあげるものっていうのが必要だろうというのが一つのアプローチです。

例えばリズムをとったらバストが揺れるから、それを繰り返すとバストの形を保つクーパー靭帯にダメージを与えることがある。
だったらスポーツブラちゃんとしましょうよだとか。
何十年たった時に、「ああしとけば良かった」ってなるのだったら、初めからちゃんと言ってあげるべきだし、「選ぶ」「選ばない」は本人次第、もしくは近くで教育している人次第で、気付きはちゃんと与えるべき。
ダンス向きのシューズって話が色々なところで出てくるけど、やっぱりダンサーはみんな好きなものを着たい、与えられたものをベースにしながら、自分なりの何かを探すっていう、それもカルチャーとしての根本がある。
そうなってくると、「これを履くといいですよ」ということもできるかもしれないですが、衣装だったりもあるので、常にそのシューズを履くとは限らない。
そんな中、衝撃も強いから膝や腰に大きな負担がかかる。捻挫も非常に多いです。
強豪の高校ダンス部などは週6日練習で、腰痛で1日接骨院みたいな女子高生もいたりするんですよね。

STAFF
そうなんですね。

2ucci
それをどう支えてあげられるか、靴が無理なら見えないところで靴下。
足裏のアーチ(土踏まず)には、衝撃吸収をしてくれる役割があるけど、疲労すると段々アーチが下がってきて、衝撃を吸収してくれなくなってしまう。
その時思いっきり衝撃吸収してくれる靴を履いてればいいけど、そうじゃない靴を履いてることが多い現状。
それに対してどうしたらいいか。アーチをグッと上げてくれる機能があるような靴下を履いていればアーチが長持ちするから、長い間練習してても足首膝腰に負担が掛かりにくいんですね。

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又、横にガッとステップを踏んだ時に、その動作に対応出来てない靴だったら、どうしても靴が横に歪みやすい。
なので、その中で靴下に滑り止めがついていれば足はズレにくくなるし、足首をサポートする機能が靴下についていれば、グッとズレた時に捻挫を抑えられるかもしれない。
それをスポーツメーカーのミズノとしての品質で実現する。もちろん耐久性もあります。

STAFF
なるほど。スポーツ的な観点が強いですね。すごく納得できます。

2ucci
もちろんお洒落なソックスもあるけど、ソックスなら陰ながら支えているっていう位置づけで衣装に影響させなく履いてもらうことも出来るはず。
なので、見える部分は全部真っ黒にしていて、あえて見えるところにはロゴも入れてないんです。

STAFF
確かにダンサーとしては衣装に影響しないって一番嬉しいかもしれないです。

2ucci
何かロゴやデザインが入ってた方が可愛い、かっこいいっていう意見もあるけど、そうしちゃうと履けない時が出てくる。体を気づかいたい時には可愛い、かっこいいではなくて、守ってくれるものが大事。
衣装的にダメ、とならないように考えたらやっぱり黒ですし、今後は色も増やしたいですが、一番初めの切り口はそっちに振りきっています。

STAFF
ダンサー向けという商品で変に派手にしすぎて、逆にダンサーに受けないというパターンはよくありますもんね。
ダンス経験者ならではの商品ですね。
衣装として格好いいから使って欲しいっていうよりは、本当に体を守るためにできてるから使ってほしいっていう感覚ですね。

2ucci
それを理解してもらうことも大切で、だから伝えていかなきゃならないし、特に環境が整っていないダンス部活で言えば顧問の先生とかコーチの人に理解してもらうことも重要です。
ただモノ作りだけで、それが一概に売れるかっていったらそうでもないので、地道にでも活動していかなきゃいけないんです。

社会人から見たダンスシーン

STAFF
ありがとうございます。
長年シーンを見ているツッチーさんから見て、ダンスシーンを見ていてどうですか?
今がよく見えるのか昔の方がよく見えるのかその辺もお聞かせ下さい。

2ucci
今も昔もいいなぁと思っています。
今は、単純に人口も増えたし、若い子も増えたし、市民権も得たし、会社にいれば、「うちの息子娘ダンスやってるんだ」という上司や、同僚がいて、良いイメージで見てくれるようなっていると思います。
昔は昔で、もっとバックグラウンドのカルチャーから様々なことを感じ、ライフスタイルに取り入れることが出来ました。
ダンスが様々なビジネスを通して社会システムの中の一つのものとして多くの人に認識されてきて、ダンスシーンが日本の社会に貢献するところまでになったんだなと思います。
さっき言ったように、バトルも昔はサイファーがメインだったけど、今は審査員がいてコンペティション形式のバトルが多い。
なので、入りやすい人たちは増えるし、それでどんどん面白くなっていって、見る人も増える。今の時代の皆がそれをやりたいと思うなら、少しずつ形を増やしながら時代に合わせて世界を広げるっていう意味ではいいことですよね。未来をつくるのがヒップホップカルチャーですから。

STAFF
良くなったように見えるってことですね。

2ucci
良くなったっていうか、違う見方が増えたというイメージですね。
同じダンスを見てても、ダンスシーンとみるか、カルチャーシーンとみるか、いい意味で見え方が違うし、得られるものも違う。
そしてどちらも、社会的な価値がある。
ただ、新しい見方が増える分、さっきのサイファーとか、元々のコミュニケーションカルチャーという本質的な良さも上手く残して伝えなきゃいけません。極端に言ったら、ただ競い合うだけのロボットみたいなダンサーばかりになってしまうのは違うと思います。
そして、まだまだ閉鎖的な感じはしていて、さっき言ったように、「ダンス流行ってるよね」「うちの息子もやってます」というようななんとなく知ってる人がダンスバトルを見たときに、どっちが勝ったのか何がすごいのかわからない部分は残っていますよね。

STAFF
そうですね。

2ucci
それが故に、まだプレーヤー中心みたいな所があって、もしかしてそこで色んな方法で分かりやすい何かを作り上げれれば、もっと広がる、そうなると見る人はもっと楽しい。社会人的にみるとそういうふうなイメージですね。

STAFF
スポーツとかビジネスの方で考えると、もっと勝敗とかわかりやすい方が応援もしやすいということでしょうね。

2ucci
スポーツ=勝敗、だけではありませんが、完全にわかりやすい勝敗システムを作ることが世界を広げる一つの方法なのかもしれない。けど、BBOYだったらヒップホップカルチャー、ワックだったらワック、ジャズだったらジャズとそれぞれのバッググラウンドカルチャーを理解していれば、もっと楽しめる人がいるかもしれないとも思うんです。
もしかしたら今の学校教育の中で、カルチャーとしてのバッググランドを教えてあげた方が、将来的には理解して見る人が増えるかもしれない。
何かを伝えたいことがあって踊ってるっていうことを知ってる人がいたら「あぁ、あの人たち伝えようとしてやってる」って視点で楽しんだり、何かを感じる人がいるだろうし。美術に似たイメージですよね。
また、舞台とかになるとステージ作品として完成されているので観やすいですしね。

STAFF
そっちの方が観やすいですよね。

2ucci
そうですね。スターみたいなBBOY、BGIRLがちょっとずつ増えてきて、世界が広がっているような感じはありつつも、若い子が何年か続けていったときに、その先どうなるか自分的には気になります。
やめてほしくないなとか、せっかくやったんだったら、そこから何を吸収していってくれるのか、そういうのを考えるとBBOYってやっぱり自分らしさとかがすごく重要だなって思っています。

ROCK STEADY CREW加入までの経緯


STAFF
続けるっていう意味では、憧れであったROCK STEADY CREWに入ったのが2016年と最近なわけで、続けた結果が実ったということですかね。
どうやってROCK STEADY CREWに入ることになったんですか?

2ucci
ずっとダンスを続けている中で、ROCK STEADY CREWが毎年NYでアニバーサリーをやって、ダンサーだけでなくDJやMCやグラフィティーライターなど様々なジャンルのメンバーがいて、ヒップホップカルチャーを広める活動をしてるのは知っていました。
それで日本にROCK STEADY CREWのメンバーが来る時は少しづつコンタクトはとったりしていました。
その後、30歳を過ぎて大きな怪我で膝を手術してから、まともにしゃがめなくなってしまったんです。

それでもずっとダンスとかヒップホップには関わっていたくて、自分が踊れなくても周りの人を踊る気持ちにさせたいと思ったときに、音楽をやるしかないなと。自分が感じてたヒップホップカルチャーの良さは、コミュニケーションカルチャーという部分なんだと再実感した瞬間でした。
それで、どこでもそれが出来るパーカッション、カホンとかボンゴを始めてやって、BBOYだからブレイクス好きで、その元ネタなんだろうとか、いろいろ音楽掘って、ファンクの方にどんどん寄ってったり。
そしたら自分の原点はジェイムズ・ブラウンだったなってことも思い出して、ファンクも黒人のカルチャーだし、そしてヒップホップカルチャーの原点にもう一度気持ちが向いていったんですね。

元々ヒップホップが生まれたNYのブロンクスの地域には黒人系のコミュニティとプエルトリコからの移民の人たちのコミュニティがあったんです。
なので、次にプエルトリコの音楽を掘ったらサルサミュージックとか、サルサを取り入れたヒップホップミュージックがありました。このサルサなどのラテンミュージックは自分が始めていたパーカッションともリンクしていたんです。

そして、ヒップホップカルチャーが生まれたところにいて、カルチャーを広める活動を続けてきたプエルトリコの人たちこそがROCK STEADY CREWというところに繋がったんです。
なんか自分の中でピーンと、「あぁ、そういうことか」みたいな感じがありました。ちょうどその時にROCK STEADY CREWリーダーのクレイジー・レッグスがNYから生まれ世界で発展したヒップホップカルチャーのパワーで、経済破綻に苦しむ故郷のプエルトリコを盛り上げるべく、「Puerto Rock Steady Music Festival」というのを開催していたんです。
それを聞いたら行く気満々になっちゃってすぐに行くことにしました。

STAFF
すごい行動力ですね。

2ucci
地球のほぼ裏側ですからね(笑)。
まさか行くとは思わなかったですが、自然に引き寄せられた感じというか、行ったら行ったですごいいいところで、みんな陽気だし、車に乗ったらラジオ局が三局しかないんだけど、全部サルサ、どれかけてもサルサ、たまにレゲトン、みんなラジオで踊ってるし。

STAFF
陽気でいいですね。

2ucci
そうなんです。
この国民性が、ポジティブでキャラクター性が強いという自分の感じていたROCK STEADY CREWのイメージの原点なのかな、とかも感じました。
そこで実際現場にいたROCK STEADY CREWのメンバーともコミュニケーション取る機会があって、そこからだんだんと打ち解けることができました。

STAFF
どのタイミングで入ることになるんですか?

2ucci
自分が「ロックマンシリーズ」という活動を日本でやっているんですね。ヒップホップカルチャーのコミュニケーションカルチャーとしての良さを広める活動なんです。
DJとバンドがメインのパーティーをやったりしていて、踊りたい人は踊り、会話やお酒を楽しむ人は楽しむ、という感じのパーティー。
そうやってヒップホップカルチャーを通して人と人とのコミュニケーションをつなげる場をつくっていました。
ダンスが上手い下手なんて関係ない。ダンス2年やってませんていう人も来て、一緒に久々に踊ろうよだとか、楽しむことがメイン。
そこにスペシャルゲストでクレイジー・レッグスがきたときに直接認めてもらいました。

STAFF
いいパーティーだねみたいことですか?

2ucci
パーティーの中でやってることで特定してこれがっていうのは無いのですが、ヒップホップカルチャーの本質的な良さを広めていきたいという自分の気持ちが伝わったのだと思います。
そこで、こういうことやってるやつなんだ、というところをちゃんと人として見てもらえたのが一つのきっかけ。
もちろんそれまでにダンスを見てもらってるし、他のメンバーとはたくさんコミュニケーションをとったメンバーもいます。
YNOT(ワイノット)というメンバーがいるのですが、自分が膝を怪我したときに、彼はトップロックとかミュージカリティというところでBBOYとして勝負していて、それまでのブレイキンのイメージを覆すような、新しい彼のスタイルが、自分にとっては大きな気付きのきっかけになりました。
そのようにROCK STEADY CREWに会ってポジティブなパワーを沢山もらってすごく感謝しています。

STAFF
それが最近の話なんですもんね。
そもそもMASAMIさんが加入したのはいつごろなんですか?

2ucci
MASAMIさんは93年頃ですね。
当時NYへ行かれていて、90年代初頭にROCK STEADY CREWが活動を再開した後に、日本人初のメンバーとして加入しています。当時の歴史的な「jam on the groove」というヒップホップミュージカルにも出演していて、劇場で世界公演を行いヒップホップカルチャーを広める活動をしていた偉大な方です。
聞いた話によるとMASAMIさん、当時、現地でかなり攻めていたみたいです。

STAFF
攻めていたというと(笑)?

2ucci
NYで夜になるとクレイジー・レッグスやミスター・ウィグルスのところに電話が掛かってきて、「クラブでMASAMIがサークルダンスバトルをしていて、盛り上がってすごいことになってるぞ!」という電話がかかってくるくらい、色んなところでダンスバトルをしたりしていたみたいです。

STAFF
現地でそれはものすごいパワフルですね。
MASAMIさんはどんな方なんですか?

2ucci
MASAMIさんと一緒に活動してるとポジティブパワーとかクリーンなバイブスっていうのをすごい持ってて、そこから沢山のパワーを貰います。

STAFF
力を与えられるのはとてもいい関係ですよね。
2ucciさんに関しては、プロダンサーではなく会社員をしながらのBBOYですもんね。

2ucci
そうですね。本当に感謝しています。
けど自分の中では、プロかプロじゃないかって関係なくて、純粋なヒップホップカルチャーを体現できるかどうか。会社員でも、ROCK STEADY CREWだから、そこは毎回会場をロックしなきゃいけないというか、して当たり前のことだし、それをできる気概がなければ入れないと思います。
そして、自分は自分らしい経験を持って等身大の自分で向かっていったところをCREWの一員として受け止めてくれたんですね。
表面的にただ踊れるとかでは入れなくて、気持ちの部分とかちゃんとそういうところまで人を見てくれる人たちなんだと思います。

STAFF
すごいパワーもらうって言ってましたもんね。

2ucci
与えられてるだけじゃダメだし、リスペクトを込めて、逆にこちら側からも与えなきゃと思っていながら、日本ではMASAMIさん、次世代のYOUTEE、REIMIと一緒に活動しています。
YOUTEE、REIMIは歳下ですが、向こうのほうが先に加入したので自分からしたら先輩ですけどね(笑)。

今後の展望


STAFF
ROCK STEADY CREWのメンバーとしてもそうですし、ミズノの社員さんという意味でも今後の展望や目標はありますか?

2ucci
すごくシンプルに言ったら、どちらも共通して、これからも自分らしく、頑張っていきたいというのが一番です。
それがあっての今の自分ですし、今持ってるものっていうのは今持ってるもので、最大限かけ合わせたり組み合わせたりして何かをする。そして持ってるものが変わったら、また次のことを考える。
人生の中でゴールはないから、多分それをずっと繰り返していくんだなっていうのは自分の中でありますね。それが一番自分が生きてる感じがすることです。
仕事でもそうだし、ダンスやヒップホップカルチャーに対しても、ともかく広い視野をもって未来を見続けていくことですね。
ゴールが見えてるわけじゃないから頑張り続けないといけないです。
ROCK STEADY CREWの活動に関しては自分にとっては今スタートして、これからですね。
そんなに若くはないですが(笑)。

STAFF
ここからスタートもまた新鮮ですよね。

2ucci
そうですね。そんな中で、「ROCK STEADY FOR LIFE」っていう新しいプロジェクトがあり、ミュージックフェスティバルなどが新しくNYで始まるのですが、先行して日本でやろうという話になり、MASAMIさん達と一緒に進めています。
かっこいい間違いないヒップホップカルチャーコンテンツを、カルチャーを知らない人にも楽しんでもらえるライブやバトルのイベントです。かなり豪華なラインナップと素敵な会場でやるので、これは是非チェックしてもらいたいですね。

2.18 ROCK STEADY FOR LIFE

"ROCK STEADY FOR LIFE" Music Fes in JAPAN & RSC MASAMI STUDIO 20th celebration 2018/2/18

ただ、大きなことをドンとやるっていうのが根本じゃなくて、BBOYとしてだったら、色んなイベントに行って、自分の場合はサークル出て、どれだけロックするかっていうのは一生変わらないだろうし、それをやるために自分がどういう踊りができるかとか、自分の体と向き合っていかないといけないのはあるから、その中で自分のスタイルをどう作っていくか。常に手探りしています。

STAFF
素晴らしいですね。

2ucci
そのためにはジムも行くし、疲労回復や体調管理のためにサウナもよくいきます(笑)。

STAFF
サウナなんですね(笑)。
足の部分も補なわないといけないですもんね。

2ucci
それも自分のマイナスではあるんですけど、「こう来たか俺の人生」とポジティブに受け止めています。
だからそれを辛いけど嫌々やってるっていう感覚はないですね。

STAFF
マイナスというよりは楽しんでる感覚ですか?

2ucci
生きてる感じがする。こう来たかどうしよう、どうしてやろうみたいな。
それもちょっとBBOY的な発想かもしれませんね。
誰でも平等に表現する自由があることが、BBOYの原点的な部分もあるし、そのカルチャーの一番いい所というか、誰でも何かの基準に基づいた上手い下手関係なく一緒にいられるんですよね。
シーンの話に戻りますが、自分が始めた時代はそういう部分を若い子が求めているから受け入れられ、広がっていったんだなと思います。なので、それを今のみんなが理解すればするほどまた新しい広がりがある可能性があると思います。
そして、そこで自分が何を得て、何をもらって、じゃあ次何を発信したいと思うかの循環です。

STAFF
なるほど。

2ucci
昔は自分がROCK STEADY CREWに入るだなんて思ってなかったです。
自然な自分の人生の中で、小さいきっかけで始めたことでも接していくと実は深くて。色んな視点で見ていったら長く長く続いてさらに色んなことが分かるし、そして新しい人生のきっかけが生まれるんだなと。

STAFF
38歳にして20年以上前に衝撃を受けたチームROCK STEADY CREWに入るというのも続けてたからこそですもんね。

2ucci
ほんとそうなんですよ。
不思議だなーって思います。
入りたくて続けてたっていう感覚ではなかったし、なんて言ったらいいか分かんないですが、今まで続けてたことが一つのカルチャーの形にちゃんとのっかってたんだなとも思えました。

STAFF
やってたことが間違ってなかった的なことも思えますね。

2ucci
そういう感覚は少しありますね。

STAFF
社会人をしながらダンスを続ける人増えてきている中、2ucciさんの意見はとても力になり、さっき言ってたように読者にもポジティブなパワーを与えてくれそうです。
本日はありがとうございました。