【Dewspeak vol.07】ヒップホップ重要年代 90’sを駆け抜けたヒップホップダンサーIMAEDA NAOKI

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90年代。・・・ファッション、音楽、そしてダンス、、様々な分野でリバイバルされ、今尚フォーカスされ続ける時代の分岐点となった重要年代90s。
そんな90年代に時代の寵児となったヒップホップダンサーの一人IMAEDA NAOKI。
伝説的イベント「メインストリート」の看板的チーム「オヤジェン」のメンバーとしてダンスは勿論の事、ファッションやチョイスする音楽、ライフスタイルそのものが注目されるほどの誰もが認めるカリスマダンサーとなり、そして人気絶頂の25歳にして突如引退。
そんなヒップホップの全盛期の一つ90sを駆け抜けたカリスマダンサーは当時何を思い踊り、そして何を感じステージを降りたのか。
当時回ってきた隠れて撮影されたVHSを擦り切れるまで見ていた一人であるTAKUYA(SYMBOL-ISM)が20年越しの超貴重な対談を試みる。

TAKUYA
Dewsは若い人達が多く見ているサイトで、失礼な話かもしれませんがIMAEDAさんの事は正直解らない世代。そういう人達にもこのインタビューを見て少しでも当時の空気感が伝わればなと。今って90’sリバイバル的な流れもあり、ファッションも音楽も、そしてダンスも根強く。

IMAEDA
流行ってるね。

TAKUYA
ニュースクールのヒップホップダンスが日本に入って来た瞬間の大きなキーマンの一人、IMAEDAさんはあの時の象徴的な一人だと思うんですよね。当時の人気実力共に。IMAEDAさん自身がどれくらい意識されてたかは解らないんですけど、僕も含め当時を知っている人は間違いなくそう思っていると思います。

IMAEDA
意識してなかったらやんないからね、当時は。

TAKUYA
そうですよね。
しかもIMAEDAさんは、未だに遊んでるって言ったら失礼ですけど、クラブで会うじゃないですか。今のクラブ、つまり現在の音楽とかも体感しながら、今のダンスシーンはどう見えるのか等も今日は聞けたらなと思います。宜しくお願いします。
早速ですが出身は東京出身なんですよね?

IMAEDA
東京世田谷出身。

TAKUYA
世田谷なんですね。
僕以前クラブでお話しさせてもらった時にKOYAさんとKANGOさんとは古い付き合いだ、みたいな話を聞いた覚えがあります。

IMAEDA
高校からだね。KANGOが最初に出会ってるかな。

TAKUYA
ダンス関係なく?

IMAEDA
関係なく。
高校の時に俺は頭が悪すぎて定時制で夜間の高校に行ってた。
地元の高校なんだけども、KANGOの中学がそこら辺にあって、地元のそういう人達が集まってたんだ。

TAKUYA
まあ、少しやんちゃな人達が。

IMAEDA
そう。
やんちゃなタメの人達が同じクラスだったりしてたのよ。
KANGO自体はそこの高校じゃないんだけど、こっちの方に中学の友達がいるから、しょっちゅう遊びに来ててそれで仲良くなっただんよね。

TAKUYA
踊りはもう始めてたんですか?

IMAEDA
ううん。
高1だからまだそんな踊りとかって文化すらも知らない。
ディスコっていう場所自体はあって、新宿のディスコに行って、パラパラとかユーロビートとかやったりしてたんだよ。
けどそれは、文化をどうこうってよりは、ただの夜遊び。

TAKUYA
遊んでるっていう。

IMAEDA
そうそう。パワーがもう有り余っちゃってんじゃん。なんかしてないと暇だし、みたいな。
なんかチャラチャラしてていいよね、みたいな。例えば渋谷のセンター街にたむろしてたりとか。

喧嘩だ!とか、ワーって行って、ニヤニヤしながら傍観者みたいな感じでいたり、下らない話に付き合ったりとかっていうのがあって、チーマー的なこともやってたんだけど、結局つまんないのよ。
そんな中、渋谷公園通りがセンター街から一本こっちにあって。そこはチーマーじゃなくて、バンディッドっていう四輪の人達のいる通りがあって。
そこに一個上の先輩がいて、その公園通り沿いでラジカセかけて。今思えばそこで流れてた音楽はブラックミュージックだったと思うんだけど。その先輩は、ブレイキンをやってる人で、その先輩の彼女はこんなことをやってたの(ランニングマン的な動き)。

TAKUYA
今思えばランニングマン。

IMAEDA
そう、今思えばランニングマン。クラブみたいなこともやってたりして。
それがブラックの踊りだなってことも意識してないから、当時は足でこんなことやってる人いるよなーぐらいの感じで見てた。
それで「これなんなんですか」って聞いたら、「ニューダンス」って言ったか、「ブラックなんとか」って言ってたかな。

TAKUYA
そのテの音楽はブラックコンテンポラリーって言われてた時代ありましたね。

IMAEDA
そう、今でいうR&Bみたいなやつなんだろうね。
なんでも、ブラックコンテンポラリーってまだ言っていたような時代。その時初めて、そういう文化があるんだっていうのをふわっとした感じで思ったんだけど、そこまでまだ別に・・・みたいな。
そしたら間もなくTVで「DADA」が始まるんだよね。そこではその時教えてもらったランニングマンも出てきて。

TAKUYA
衝撃的なステップ満載ですよね。

IMAEDA
満載。ディスコ行ってもそういうのが徐々に増えだして、なんか遊びの流れみたいなのがあって。色んな事が一気にその時代にバっと。
トレンドとして昔からやってる人がいたんだろうけどもフォーカスされ始めた。
それはメディアなのか、一般からの口コミからなのかちょっと俺も解かんないんだけど。

TAKUYA
この話まだ80年代ですよね。

IMAEDA
後半、89年とかだと思うんだけど。
まだヒップホップって感じじゃないんだよね。今でいえばR&Bみたいだったり、今のHOUSEの原曲になったような。ソウルだったりクラシックのその時代のバージョン
みたいな。当時の先端いってるやつみたいな。そういうのが「DADA」でもかかってて。
「DADA」はラップがかかってるってイメージよりもそういうイメージ。みんなはそういうので楽しそうに踊ってたり、催し物のコンテストやったり色々してたから。
けど俺は行ってないんだけど。

TAKUYA
行ってないんですね?

IMAEDA
そうそう、「DADA」の現場にね。だけど俺の友達とか行ってたよ。
正にKANGOとかKOYAは行ってた。俺はそういうの苦手なタイプで。。

TAKUYA
苦手っていうのは何がですか?

IMAEDA
ベースが天邪鬼なの。

TAKUYA
なんとなく解ります、ていうのもあれですが(笑)。

IMAEDA
ベースが天邪鬼で人がワーっとなってると、俺別にいいなってなっちゃう。
でも、もちろん気にはなってるし、だから斜に見てる感じかな、偉そうに(笑)。そういうのあるでしょ、だけど俺はこういくから、みたいな。でもトレンドの軸は離れたくないから、研究もするし。

TAKUYA
そんなスタンスな中「DADA」に出演してたダンサーやZOOの人達とは知り合ってはいたんですか?

IMAEDA
知り合ってるかな。ちょっと曖昧。でも当時ZOOにはすごく憧れてたよ。
他ダンサーも「DADA」が始まった当初渋谷に「ジョー」っていうクラブがあったんだけど、そこで今DJしているダンサー時代のKEN-BOとかも見てるし、ナッツボーイズとして。で、その前にね、ダウンタウンが司会してた「DANCE DANCE DANCE」みたいな番組もあったりして、そこにオークトゥリーっていうKOJI君と、BOBBY君ともう一人・・・。もう一人。申し訳ないけど、ちょっと名前が忘れちゃったけど、
つまり六本木系の人達、あの辺の人達ね。KOJI君、BOBBY君もZOOの人達にも会ってる。ちなみ俺らは最初新宿系みたいな感じだったんだけど、そのうち六本木の方が洒落てる感みたいなのが出てくるんだよね。

TAKUYA
それはなんでなんですかね。溜まってる人達の雰囲気なんですかね。

IMAEDA
そうそう。感覚として、洒落てんなって。

TAKUYA
新宿系っていうのはどういう人達の事を指していたんですか?

IMAEDA
ブレイキンやポップを主体とした人達みたいな。
けど新宿系なんだけどカッコいい人もいて。
新宿のセンチュリーっていうディスコがあって、そこにもう「DADA」やって結構有名になってて、俺らがすげえな、かっこいいなって思ってたZOOのMARKさんが現れるって噂を聞いたり他の有名なダンサーさんが現れるよってなって、夜な夜な行ってたんだよ。そこで、MARKさんに会うことができた。

TAKUYA
IMAEDAさん、MARKさんに憧れてたって話ありますよね。

IMAEDA
そう、俺髪型も真似してたもん。
ロン毛にして、ツーブロックにして。
それは今さっき話してた六本木系がカッコいいっていうののちょっと前ぐらい。すでにその時にはTAKE-Gとも知り合ってたの。東京のそのテのダンサーのタメ軍団って結構いっぱいいて。ZOOの中にもDEERっていて、TAKUMIとHIROSHIGEとSHINSAKUとかいたじゃない?全員タメ。
でKOYA、KANGO、TAKE-Gとか本当にいっぱいいて、そういうやつらでセンチュリーとかで情報交換したり。
あとその中にKEN-BOもMASAOって元マイクロフォンペイジャーのやつとか。そいつもダンス凄いかっこよかった。

TAKUYA
そこで六本木があるよ、みたいな情報を得るんですか?

IMAEDA
うーん、情報というよりは雰囲気で知る感じかな。
六本木のクラブとかでZOOの人達と仲良くなる前にBOBBY君と仲良くなった。
「お前、このレイダースの帽子かっこいいな」みたいに話しかけてくれたんだよね、確か。
多分それが一番最初にBOBBY君が声かけてくれた時だと思う。こっちはBOBBY君の事既に全然知ってて、やっぱりかっこいい人に目がいくし、黒かったんだよね。とにかくノリが黒かった。
ZOOの人たちはエリートっていうのかな、そういう雰囲気。

そこから、ZOOの人たちと交流ができるようになったし、六本木にもしょっちゅう遊びに行ってたんだよね。
それこそサーカスとかは、ほぼ毎日行ってた。人もいないのに、月曜日から。

海外へ行き始めたニュースクール初期

TAKUYA
今話していたような話は90年とか91年とかですか?

IMAEDA
そうだね、もうLAとかも行ってる時期かな。一番初めに俺がLAに行ったのが91年だと思う。それが初の海外で。

TAKUYA
IMAEDAさんのイメージはNYスタイルで。LA見てた時は誰を見てたんですか。ソウルブラザーズ(Soul Brothers)ですか?

IMAEDA
もちろんソウルブラザーズもそうだし、黒人さんがどうだっていうのもあったんだけど、そこは見つつもやっぱり日本のダンサー情勢みたいなのも逐一知ってないとだめじゃん?
LAに行って得てきたAKIRA君(CRAZY A)、CHINO君とKOJI君(ちゃんねるず)。当時、すげえと。

TAKUYA
なるほど!意外というか、関連性そんなに感じてませんでした。

IMAEDA
関連性そんなにないんだけど、見てたし、すげえなと思ってた。

なんか怖いけど、でもすげえなみたいなのがあって。多分91年だったと思う。AKIRA君とちゃんねるずの二人がLA行って帰ってきて、タイダイ色のジーンズみたいなクロスカラーズを着て杖持って。それこそさっき言ってたセンチュリーとかのディスコで、お披露目会じゃないけど、「帰ってきました、俺ら、黒い感覚得てきました。」みたいなノリで、ホーシングみたいなのを披露するわけ。
その時は、超速いホーシングみたいなのが流行ってたんだよ。それには相当びっくりした。黒いの現れちゃったみたいな。
やっぱり当時から黒さはみんなで追求して、黒い踊りいいよねみたいな。ZOOとかも同じもの見てるわけだしね。

TAKUYA
そこの元ネタを見始めた時期という事ですか。

IMAEDA
そうそう。ZOOの人達を見て真似するのは卒業。その人達が見てる元ネタを見て、オリジナリティ感を出そうっていう、そんな話し合いをしたわけじゃないんだけど、自然の流れでなってた。
俺にとっては、技ってよりは黒さなんだよね。とにかく黒い感じがかっこいいなって思ってた。
そういう意味では、AKIRA君とかちゃんねるずが帰ってきて、黒さみたいなのが全然変わっちゃったのよ。どんな吸収の仕方してんだろうな、みたいな。尚且つやってることも新しいし。
それでニュージャックスウィングの時代からもっと泥臭いというのかな。ニュージャックみたいに都会のスムースな感じのかっちりした踊りではなくて、ソウルブラザーズみたいなドロっとした黒さみたいなのが流行り始めたんだよね。

TAKUYA
ある種適当みたいな。

IMAEDA
適当だよね。そっからそっちに首が向くのかなみたいな。今まであったような、こうやろうみたいなルールが崩れちゃった感じかな。それでさっき言ってたタメ軍団で行こうよってなったんだよね、LAに。HyROSSI君(ROOTS / ALMA)もいたかな。

TAKUYA
なるほど。

IMAEDA
そんな皆が黒さを求めてる中でもBOBBY君が当時やっぱりすごかったね。追ってるところがそうだよねっていう。
憧れてたし、悔しいみたいな部分もあるし。何であんな感じでできちゃうのかなって。羨ましいな、悔しいな、でもかっこいいなって複雑な気持ち。

TAKUYA
嗅覚が鋭いんですね。

IMAEDA
そう、鋭いの。

日本におけるニュースクールのアイコン「オヤジェン」

TAKUYA
オヤジェン結成はどういう形でなったんですか。

IMAEDA
その頃冷やし中華とか、ヤキソバとかくだらない名前をチーム名にするのが流行ってたのよ。
それでオヤジ&ジェントルマンって名前をつけたのがZOOのNAOYA君。
その時に、オヤジ&ジェントルマンにはCAPさんとかも入ってたし、NAOYA君もいたし、斎藤君(LUKE)、五十嵐君(HIRO)もいたかな、たぶん・・・。

TAKUYA
てことはZOOのアンダーグラウンド版みたいな感じだったんですか?

IMAEDA
うーん・・・やる?みたいなノリで始まったと思うかなー。
みんな俺より上の世代で下が俺一人しかいない感じ、多分。
で最初は「青山ナイト」でやったかな。

TAKUYA
「青山ナイト」がもう始まってるんですね。
青山でやってた頃の「青山ナイト」って事ですよね?

IMAEDA
青山のラクラースってところでやってた。
「MAIN STREET」の前身的イベントかな。
そこでコンテスト的なこともやったし、その催しものの一つとして、オヤジ&ジェントルマンって面白いじゃんってみたいなノリで決まったんだと思う。

TAKUYA
ZOOはまだ「DADA」やってる時ですよね。

IMAEDA
やってる時。
だからZOOの人は忙しくて、残ったのがBOBBY君と原君(RAHA)と俺っていう感じかな。
その流れで適当にその後もやっちゃったみたいな。

TAKUYA
何年くらいですか。4,5年はやってないですよね。

IMAEDA
やってないね。俺が辞めたの年齢で言えば25歳だもん。それは覚えてる。

TAKUYA
オヤジェンじゃなくて、ダンスをですか?

IMAEDA
オヤジェンを。俺の中では「オヤジェンをやめる=ダンスを辞めた」なのよ。
これは前提として話したいんだけど、よく言うじゃん?「ダンス俺引退するわ」とか。もちろん辞めるっていうのはあるんだけど、俺の辞めるっていうのは、ステージで踊らないこと。ステージでスポットライトで照らされて、披露するのは辞めるって意味。それが25歳。その時は、要はオヤジェンを辞めますっていうのだったんだと思う。

TAKUYA
オヤジェンって今考えるとどんなチームでしたか?

IMAEDA
俺の中では、先端な事を、その時90年代では、もちろんヘンリーリンク(Henry”Link”)とかブッダストレッチ(Buddah Stretch)、ルースジョイント(Loose Joint)とかエリートフォース(Elite Force)。「ALIVE TV」の人達を追いかける的な。
92年。91年はまだまだLA。ディヴァイン・スタイラー(Divine Styler )、スキームチーム(Scheme Team)。やっぱりちゃんねるずとかもクロスカラーズを着てたしね。ソウルブラザーズの真似する人達も勿論いたし。
91年はおもいっきりLAだったんだけど、92年になるぐらいな時に、ベビドン(Lalah Hathaway / Baby Don’t Cry)が出て、時代の流れが ニューヨークになるんだよね。

ヒップホップダンスブーム到来

TAKUYA
変な話あの時のオヤジェンやIMAEDAさん、そして「MAIN STREET」の影響力って凄かったじゃないですか。勿論今と比べればダンス人口の絶対数は少なかったですがやっている人達は皆そこを見てましたよね。まあ今思えば色々要因は考えられはしますが。けど本当に皆が一斉にそこを見てましたね。

IMAEDA
色んなこと言う人がいると思うんだけど、俺の中ではこう思ってる。
ただのトレンドだったし、やる人がいなかったていう。当時ってそういうことをやる人がいなかった。

例えばスクールで教えてますみたいな人も本当に少なかったし、ダンスで何かやっていこうって思ってる人たちってもっと少なかったんだよね。だからだったのかなって思っちゃってるんだよね、俺は。絶対値が少ないから、注目せざるを得ないというか。ちょっと早いものをふわっとやれば、やらしい話、注目を浴びるし。

TAKUYA
メディアとか雑誌とかも注目してましたね。

IMAEDA
メディアとかいうのは目新しいものを記事にしたいわけじゃん。
その時、雑誌「FINE」の編集長で大野さんていう方がいるんだけど、当時ものすごい有名で。
「FINE」の次に「warp」とかやってる人で、ダンスシーンにいち早く注目していたんだよね。
「FINE」で、CHIEKOっていうモデルをやってた女の子なんだけど、その子が「DADA」の女の子チームみたいなのの一人だったの。

TAKUYA
ダンサーなんですか?

IMAEDA
うーん・・・。
俺の一個下で何ていうチームの名前だったか、女の子3人組みたいなのがいたの。名前なんだったけな。ZOOの流れで。MAMIみたいなのもいたかな。

TAKUYA
あ、それZOO.Jrじゃないですか。

IMAEDA
あ、そうだ!ZOO.Jrだ!「FINE」のモデルをやってた子。当時もやってたんじゃないかな・・・。
それで、誘われたというか、その流れみたいなのあるじゃない。で「FINE」大野さん、この人もとにかく夜遊び好きみたいな人で、色んなところにいて。で「こういう人たちがいるよ」とか「こういうのが流行ってるよ」とか情報共有してたんじゃないかな。内情は俺よくわかんないけど。で多分「FINE」で初じゃないかな?俺のスクールにカメラが入って取材されたのは。

TAKUYA
自分当時に何度か行ったことあります。新宿御苑の「スタジオ門」。

IMAEDA
本当?

TAKUYA
ダンスの印象も勿論ですが、凄い人数だった印象があります。

IMAEDA
それこそ80人とか。あんな小さいスタジオに。二つに分けてたもん。40:40で分けてやってたから。
でもね、そんだけ入ったのは数ヶ月。1年も続かなかった。

TAKUYA
そんな赤裸々なお話を聞けるとは。。

IMAEDA
80人ていうのは本当に最高値。そこから減っていくし。

TAKUYA
けど、当時それを生業にしようみたいな気持ちはあったんですか?ダンススクールっていうものを。

IMAEDA
それも話があるんだけど、92年、ニューヨークの空気を吸って、帰ってきてこれみよがしにクラブで見せるみたいなことをエンドマックスでやってた頃に下にダイスケって人物がいたんだけど、俺とKANGOにスクールやんないんですかって言ってきたんだよ。でダンスはやってるけども、どうやってお金稼いだらいいかもわかんないし。のらりくらりダンスをやってたみたいなところもある時期で、俺、クレープ屋やってたし。渋谷で。

TAKUYA
クレープ屋!

IMAEDA
109-IIのとこのクレープ屋。

TAKUYA
ベールに包まれてて当時何やっているかわかんなかったIMAEDAさんが実はクレープ屋。

IMAEDA
あ、でもクレープ屋そんときは既にやめてたか。
ロン毛だめって言われて、それで辞めたんだ(笑)。
そんな中「スクールやんないんですか」ってダイスケに言われて、KANGOと顔を見合わせて「ありだね~」って言って、やろうかって。まだ近場の人ではKOJI君とかしかやってなかったのよ。

TAKUYA
ストリートダンスレッスンの走りですよね。

IMAEDA
本当にそうだと思う。俺らは、自分でスタジオ借りて、何時間の分だけ払ってみたいな。今もそういうスタジオってあるんだろうけどね。
そういう意味では、スクールみたいな走りだよね。隙間産業だよね。あの当時こんだけ流行ってんのに何故誰も教えてないのって話になってKANGOと始めたの。
二人で始めたんだけど、KANGOはハウスになっちゃったじゃん?なっちゃったっていうのもあれだけど、ハウスが好きになったから。

ダンスをやっていた動機

TAKUYA
スクールやっても当時大盛況で、つまり流行ってた、というか流行らせたんですね。

IMAEDA
そうそう。流行ど真ん中。誰が見てもかっこいいよねみたいになってたね。で俺はそれが好きだし、チャラい方がモテんなって思ってたからやってたし。

TAKUYA
凄いです、ご自分がやられてたダンスをチャラい方って言っちゃえるって(笑)。

IMAEDA
まあ、そうだよね(笑)。

TAKUYA
ストレートで素晴らしいです。

IMAEDA
だって、モテたくてやってたもん。それはこの前もTwitterでそういうこと書いたけど、
もちろん理由があってやるのはいい事なんだけど、そもそもダンスでも何でもアーティスティックな事なんて女にモテたいからやるもんだよ。

TAKUYA
根本はそこだと。

IMAEDA
あいつよりかっこいいよ、俺の方がとか。真面目な理由じゃないと思うね。アーティスティックなデザインとかなんでもそうだけど、掘っていくと逆に真面目になっちゃうんだよ。チャラく始めたのに、コアになっていく傾向にあるよね。

TAKUYA
チャラいままやってた。けどある意味でIMAEDAさんはダンスはコア的にも見えてましたが。独自のイメージもあったんじゃないですか?

IMAEDA
ラバーバンド。

TAKUYA
そこもハッキリと。
しかしながら勿論ラバーバンドなんですけど、IMAEDAさんならではな発言も当時結構覚えてて、ニュースクール論みたいなのが。例えば「凄いことしなくていい」みたいな言い方してて。

これ何かの雑誌か何かで見たんですけど、今考えればそういう考えは勿論普通に転がっているんですが20年数年前のまだ皆どれだけ見ている人を驚かせるか実践している中で技的なものは排除してシンプルにムーディーに踊るIMAEDAさんのスタイルと言葉は当時16、7歳くらいの自分には刺激的でしたね。。

IMAEDA
まあ正直自分はそういう驚かせるとかアクロバティックとかそもそもできないっていうのもあるから。けどできないからこそ今言ってくれてたようなことに気付いたこともあって。
バク転とかしてワーッて盛り上がってるお客さんに向けて言ってる言葉なのかもしれない。雑誌を見る人達になんか言いたかったの。そういうので拍手とか、そういうのじゃない踊りもあるよねって。雰囲気で音に合わせてグルーヴでカッコよくみせるっていう。俺がグルーヴが出てたかは定かじゃないんだけど。

TAKUYA
けどそういうやり方、考え方あるんだってのは確実にその時期伝えられた気がしますね。

IMAEDA
まあけど俺の踊りなんて、コピー。俺コピーうまいのよ。

TAKUYA
そんなハッキリ・・・。

IMAEDA
技のコピーもそうだけど、精神的なコピー、なりきるコピーもなかなかうまいと思ってたの。なりきりコピー(笑)。
普段の生活から切符入れるとき内股でいれたりとか。ダンス以外のところでも、パッションでも。ダンスだけラバーバンドになりきろうと思ってたんじゃなくて、普段からあいつみたいになりてえと。あいつの私生活を見たわけじゃないよ、こっちでしか過ごせないから。でもこっちの生活を常にラバーバンド意識。それが一番かっこいいじゃんみたいな。

TAKUYA
ダントツでラバーバンドがかっこよくみえたと。
そこの研究心が強かったんですかね。

IMAEDA
研究はしない。俺練習大嫌いだもん。自分で言うのもなんだけど、コピるセンスってあるじゃん。今なんの役にもたってないけど

TAKUYA
役にたってないんですか。

IMAEDA
たってないと思うよ。あれって、勢いみたいなのがあって、若気の至りってとこあるじゃん。
でそれって技とかだけじゃなくて、その人の勢いとか、自信満々でやってる感もこみなんだと思うんだよね。
それが歳とるとできなくなる。絶対に。

ダンスとの付き合い方、年齢について思う事

TAKUYA
歳とってもかっこいい人もいますもんね。

IMAEDA
いると思うよ、でも若い時の感じではないんじゃない。
20の頃とは違う。20代の頃の自分、40代の自分。ダンスをやっててもね。でもやってるのは素晴らしいことだし、長くやっていけてることがすごいじゃん。お金の問題もあるし、やっていけてない人もいるじゃん。
それは素晴らしいと思うし、体力が続くまで、というか自分の気持ちが萎えるまで。萎えたら終わりだと思うから、俺は萎えちゃったんじゃないかなって思ってるんだけどね。

TAKUYA
突然ステージ上がるのやめようと思ったのは具体的には何が原因ですか?早すぎますよね。

IMAEDA
25歳だもんね。

TAKUYA
全然踊れるじゃないですか。

IMAEDA
まず、ダンスをやめようじゃなくて、チームで踊るのをやめようと思ったの。
やっぱさ、BOBBY君と原君(RAHA)は年上じゃんか。やりにくいっちゃやりにくい。

最初は合わせてるのも嬉しかった。BOBBY君と俺合わせてやってるってすげえ光栄だし、すげえ有名になってる気がするわーみたいな。
けどなんか違うなとかさ、俺のやりたいことじゃないなこれとか。もちろんやろうと思えば全然できるけど、それが嫌になっちゃった。
そういうのが多分とっかかりだったかな。やめようと思う数年前から徐々にストレス的なものが溜まってたというかチームで踊る事に違和感というか。
今思えばあの頃やってよかったんだろうなってすごくいいことだったなと気づかされることもいっぱいあるけど、ただ途中からネガティブが入ってきちゃったんだよね。
そうすると、なんかハマれないというか、萎えちゃって。

TAKUYA
なるほど。

IMAEDA
当時後輩だったり、それこそいっぱいいたじゃん?
BABYNAILあたりとか、U-GEとか、RYUZYとか。
RYUZYに「僕たちの事当時どう思ってたんですか」って一回聞かれたことあるの。

TAKUYA
直系の後輩にあたるんですかね。

IMAEDA
むこうはそういう風に思ってるかもしれないけど、俺は正直そっちは見てなかったの。上しか見てないし自分の事しか考えてない。
やってんなーみたいな感じだったね正直。
あ、けどTAKUYA(MO’PARADISE)はセンスあるなーって思った。角度とか。
今でも見るとセンスあるなって思うよ。棒っぽさ。
軸がぶれない。俺も当時からやりたいやりたいと思ってたけど、軸のぶれなさ加減とかなかなかできなかった。
黒人さんのダンスという意味では、それが一番大事かなって。
軸のぶれなさ加減というか、一本入ってるんだよね。どっち向こうが。

TAKUYA
はい。

IMAEDA
けど当時はやっぱ自分が一番なの。天狗もいいとこだよ。俺やっぱかっこいい、俺一番って。先輩たちに対してもそうだよ、俺の方が上手い、カッコいいって思ってた。最初は憧れて入ったじゃん?けどそのうちやっぱり俺の方が上手いじゃんって思ってた。偉そうに。

当時のファッションについて

TAKUYA
あの時期ってそれが良かったかどうかは別としてとにかく最新ファッションを身にまとうみたいな流れは強かったと思うのですがIMAEDAさん自身はどうでしたか?

IMAEDA
俺何着てただろ・・・。

TAKUYA
確かバスクのブーツとか履いてなかったですか?ティンバーじゃなくバスク?
みたいに覚えてます。

IMAEDA
履いてた。ニューヨークに92年から94年まで連続でいったりするんだけど、そこで一緒に行った人たちが「これ流行ってんだよね」って教えてくれて、で俺が後で自分が見つけたように履くっていう(笑)実際俺がニューヨークで誰かが履いてるのを発見したわけじゃない(笑)。

TAKUYA
(笑)。赤裸々な告白ですね。
俺これ見つけたぞ!みたいな雰囲気出してましたけどね。

IMAEDA
そう、そういう雰囲気を出しながらも、誰が履いてるかよく解からずに買いましたみたいな(笑)。
あとは国内でも色んなとこで買ってたよね。下北のスパークスビートとか、代官山。
92年かな?GAPが全然日本に入ってなかったときに、ロンディースっていうセンスがいいものをセレクトショップとして日本に買い付けてきて上乗せするよみたいなお店があったの。そこも良く行ってたし。GOODENOUGHとかも買ってた。

TAKUYA
GOODENOUGH着てたんですか?

IMAEDA
俺は着てないんだけど、全然まだ皆が着てなかった時で、それを五十嵐君(HIRO)とか、斉藤君(LUKE)とかもこれ見よがしに着るのよ。
それはロンディースってとこで買ってて、俺は高くて買えなかったけどみんな買ったりしてたのよ。92年の年にLA行ったんだけど、GAPのお店にいったら、2000円とかで買えるTシャツが、ロンディースでは10倍くらいで売ってたかな・・・(笑)。

TAKUYA
時代ですね。

IMAEDA
時代だね。VANSとか。スケボーのスケーターがはいてる今でいうジョガーパンツ的な?下すぼまってないからジョガーじゃないんだけど、でドレッドで、みたいな。白と紺のボーダーとか。かっこいいというよりは、チャラいわーモテそうーみたいな(笑)。

TAKUYA
(笑)。

IMAEDA
斎藤君(LUKE) はオシャレだったなって思う。まあ姿もあるんだよね、骨っぽい体型もそうだし、顔の具合もそうだし、着たものが柄シャツでも何でもかっこいいなーって思ってた。。

ダンスシーンの推移について

コメント
  1. @masskutt より:

    【Dewspeak vol.07】ヒップホップ重要年代 90’sを駆け抜けたヒップホップダンサーIMAEDA NAOKI | ダンスの情報サイト Dews(デュース) https://t.co/bjK1anEoPx こちらの記事に画像提供させていただきました!

  2. @drkbleu より:

    いまえださんのインタビュー、正直すぎてめっちゃ面白い。この感覚は「90年代」じゃなくて、都市の感覚なんだよ。
    https://t.co/LJbh561nSM

  3. @DJYOHSUKE より:

    【Dewspeak vol.07】ヒップホップ重要年代 90’sを駆け抜けたヒップホップダンサーIMAEDA NAOKI(ページ2) | ダンスの情報サイト Dews(デュース) – Part 2 https://t.co/XBPE6UNoVo

  4. @sexyamaguchi より:

    【Dewspeak vol.07】ヒップホップ重要年代 90’sを駆け抜けたヒップホップダンサーIMAEDA NAOKI | ダンスの情報サイト Dews(デュース) https://t.co/dcQWdscifC

  5. @Mronthereal より:

    現場を知るHipHopダンサーの貴重な対談・・・【Dewspeak vol.07】ヒップホップ重要年代 90’sを駆け抜けたヒップホップダンサーIMAEDA NAOKI | ダンスの情報サイト Dews(デュース) https://t.co/vBWMQBUw7U

  6. やっとゆっくり全部読めました。
    【Dewspeak vol.07】ヒップホップ重要年代 90’sを駆け抜けたヒップホップダンサーIMAEDA NAOKI | ダンスの情報サイト Dews(デュース) https://t.co/cr0c9hVSFP