現在はロックバンド「1.G.K 」で活躍!「一撃」のKATSUにインタビュー

世界でも活躍を見せたブレイクダンスチーム「一撃」のBBOY KATSUにインタビューを敢行。 なんと現在は、ロックバンド「1.G.K 」として活動しているという。 世界大会も経験した彼がなぜバンドマンに!?ダンス界で唯一無二な活動をみせる男、KATSUに迫る。

2000年代に世界的に活躍した関西のブレイクダンスチーム「一撃」。
「Battle Of The Year 2005」にて、ベストショーを獲得した“あのショーケース”は10年以上たった今も数々のBBOYの心に刻まれていることだろう。
今回Dewsでは、「一撃」の音源担当として当時からオリジナル音源を制作していたというKATSUにインタビューを敢行。
彼の現在の活動はなんとロックバンド「1.G.K(ワンジーケー)」としてメインヴォーカルを担当しているというのである。
2月25日には、10年の想いが詰まった渾身の1st Album「Circle」のリリースを記念して総合芸術イベント「Belief」を開催する。
彼がBBOYになったルーツとは?そして世界大会も経験した彼がなぜバンドマンに!?ダンス界で唯一無二な活動をみせる男、KATSUに迫る。

ダンススタート当時から受けていたバンドの影響

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STAFF
今回は、KATSUさんについて、ダンス、バンド活動、今回行われるbeliefというイベントについてなど色々と聞かせていただきます。
早速ですが、色々とお聞かせいただく前にDewsをご覧の皆様でご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんので、自己紹介からお願いできますでしょうか。

KATSU
はい、一撃のKATSUです。
BBOY CREWの「一撃」と、今は「Alphact(アルファクト)」という実験的アーティスト集団に所属し、ロックバンドの「1.G.K」としても活動しています。
あと「GEAR(ギア)」という京都のロングラン舞台公演にも出演させてもらってます。

STAFF
かなり幅広い活動ですね(笑)。
一撃は昔からご活躍されてますが、KATSUさんのダンスを始めたきっかけについてお聞きしたいです。
ダンスというものを知ってからどのような経緯で活動が始まったんですか?

KATSU
ブレイクダンスは、14〜15歳の時に、NHKだった記憶なのですがテレビでTHE BLUE HERTSをみて、「うわ!ロックバンドってこんななんや!」て衝撃をうけて、
その翌週には兄貴がたまたまダンス甲子園のビデオ見てて、「うわ!なんやこれ!」ってなって、「ブレイクダンスかっこええ!!」てなってから、ダンスをやりたいってなって始めましたね。
この2週間で、2個衝撃を受けて、バンドも後々始めたのがこの衝撃きっかけでもあります!
中でもIMPERIAL JB’s が衝撃でかっこよかったですね!「回転してるわー!」ってなりました(笑)。

当時はダンススタジオとか無かったので、そのダンス甲子園のビデオをコマ送りで見たりして自己流で勉強してました。
ビデオを、コマ送りで見すぎて、その部分がビリビリってなって見れなくなってしまったので、もう1本同じビデオ買ったくらいです。

STAFF
ビデオの擦り切れる感じ、時代を感じますね(笑)。
練習はどのあたりでしてましたか?

KATSU
京都の山科にある公園で練習してましたね!鏡も何もない場所で。
山科って当時、京都でも結構治安が悪いところで、そこの人らと一緒にダンスはじめて一緒に練習したりしてたんですけど、徐々にみんなダンスを辞めていって、その中でも僕はずっとブレイキンやりたいってやり続けてました。
ある時、ディライトマガジンを見つけて、「ダンスの世界ってこんなんあるんや」ダンスが盛り上がってるのを感じて興奮しました。
その時、ずっと一人でやってたんやけど、他にもやってる仲間の紹介で出会ったのが、後の一撃メンバーの「SEIICHI」「KENJI」「QUICK」でした。
当時京都で”天下一武道会”というイベントがあって、それを見にいったときに、I LOVE FOOTWORKのKAZU君に「京都でダンスしてます」っていったら、「ほな、大阪こいよ」って言われて大阪にも足運んでました!
他には、”CLOSE UP”というADHIPさん主催のイベントがあって、
当時のDJTIMEでは、暗黙の了解みたいなのがあって”舞台上はブレイキン”、”フロアは立ち踊りの人ら”という感じで僕はその時上下PUMAのジャージを着ていって、イベントで「みんなうまいわー」て衝撃受けてました。
その時パッと横見たら同じジャージ来てるやつがいて、「同じ人いる!」て思ってたら、知らない女の人がきて、「それ誰々のカバンでしょ」って言われて、同じジャージきてる人と間違えてたみたいで。その後すぐにジャージ着てる人が謝りにきたのですが、それが一撃の「SIN」だったんですよ(笑)。
そこから色々と仲良くなっていきましたね。16〜17歳くらいのときにめっちゃ出会いが続いた感じです。
当時は、BRONX、AIR GROOVE CREW、STYLE OF OLD SCHOOLなど活躍してる人とかと一緒の場所で練習させてもらっている曜日があり「ビデオで見てた人らがたくさんいるわー!」っテンションあがりっぱなしでしたね。
そのとき、SINに誘われていったけど、全然来なくて最初は一人でした(笑)。

STAFF
すごい出会いが続きましたね!その出会いが結果として一撃というチームを作り上げたのですね。

KATSU
そうですね、あとは多くの先輩方に本当に感謝の気持ちがあります。当時は練習場所に行き、挨拶のときに”握手する”なんて知らなかったり、周りの先輩方が礼儀はちゃんとしろって正してくれたり、
学校では教えてもらえないようなこと、”何が大切か”をたくさん教わりましたね。

STAFF
ダンス界で当たり前な握手は知らない人からすると、びっくりしますよね(笑)。

KATSU
そこから、SINと仲良くなって”一緒にチーム組みましょう”ってなって、
練習してたときに、「あと一人いてはるんで、紹介しますね!この練習場所にきますんで!」って、言われて練習してたんだけども、なかなか来ない、
SINもそろそろ来ますとか言わない。
「来ないのかな」と思ってたら、帰る時間になって、SINにもう一人の人は?と、聞いたら、「この人です」って、ずっと横で練習してた人やって(笑)。
紹介せ〜よ、ってなりましたね(笑)。
それがKOUSUKE君で、その三人で最初に組んだのがB-MAX。
後から聞いたら、KOUSKE君も同じだったみたい。紹介せー!みたいな。
お互いずっとしゃべらんまま、2時間いましたからね。PRINCEとか他のメンバーと出会うのはその半年後くらいかな。

STAFF
それがB-MAXのはじまりだったのですね!!すごい状況からの出会いですね。

KATSU
いまはもうスタジオでの練習も一般化してきてるので外でそういったコミュニケーションをとることはなかなかないですよね。
毎日練習場所違ったし、出会いも毎日新鮮で楽しかったし、先輩方との練習がすごく勉強になるし、今でも出会った方たちへの感謝の気持ちは忘れないですね。本当感謝です。
仲良くなるだけではなく、人と出会うことで未熟な部分を見つめ直し学ぶことも本当に多かったです。

音楽の追求から“あのショーケースが”出来るまで

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STAFF
関わり方が今と昔では違いますよね。レッスンで出会うことも無かったり、
練習場所や、イベントも少なかったりと密度の濃い出会いが多いからこそ、偉大な人が多いのもありそうですね。
当時、練習はテープでもしてましたね(笑)。

KATSU
あった!!!テープも聴きすぎると、遅くなるんよー。
自然BPMバックね(笑)。
中で、テープが絡まったりするし、「もーあかんわ、このテープ」とか(笑)。
持ち運びはウォークマンでしたもんね!
そのつぎ、MDやった!MDすぐ終わったけど、あれめっちゃ画期的だと思う!音飛びもなかったですしね!

その後、すぐ音楽がデータ化されましたもんね!凄い時代来たなってなりました。
だから、若い子たちはカセットテープとかMD知らない子がほとんどじゃないかな。

STAFF
テープとMDを知らないと音楽をダビングするとか、CDから移すとかの概念がないですよね。

KATSU
そうですね。音が無くて、ビデオから流れる先輩方チームのショウ音源をカセットデッキで録音したりしてましたね。

STAFF
練習に欠かせない。MIXTAPEがありましたね。

KATSU
あー、そうですね、それもあった!懐かしい!
そのあと、MIXCD!テープは一発録音!何個かMIXTAPEつくらせてもらったから覚えてます。AKAIのサンプラー買ってMIX作ったりしてました。
その辺りから、音作りに興味が出てきましたね。

STAFF
それはいつ頃でした?

KATSU
当時音源が中々手に入らなくて、ずっと気になってました。みんなどこから手に入れてるのかと。で、ある時Rock Steady Crewのビデオ見てて、ブレイキンてこういう音で踊るんや、って踊りだけじゃなくて音楽にも興味が出てきましたね。
ビデオは周りの人も持ってたし、お互い貸し借りしてダビングして、ビデオから得るものは多かったです。その中で流れてた音楽がJames Brownとは知らず、カセットデッキでテレビから流れる音を録音して、レコード屋さんに持って行って、これなんの曲ですか?と聞いて、「これJBやね!」となって、始めてタイトルとかアーティスト名を知るきっかけができました。
そこから、「自分で音楽(曲)集めたい」って欲求がどんどん膨らんできて、それが18歳くらいの時。
もっと集めたいってなってから、勢いで18万円くらいのターンテーブルセットを買いましたね(笑)。

STAFF
録音してレコード屋に・・・。いまとなっては考えられないですね(笑)。

KATSU
でもターンテーブルを買ったものの、レコードがない状況でした(笑)。
その時、”Blow your head”がめっちゃ好きやって、探しまくってやっと見つけて買った初めてのレコードでした!

DJの先輩方やレコード屋の方に、”2枚使い”というのを聞いて以来、むちゃくちゃ集めましたね。
ultimate breaks & beatsシリーズなどでスクラッチの練習などもやりまくる日々でした。
やまさん( DJ TEE氏 )とも仲良くさせてもらい始めた時だったので、DJについて少しづつ教えてもらっていって、そこからレコード・ダンス・バイト、ひたすらこの繰り返し。
レコードも高かったからバイトした給料の4万は絶対レコードに使うって決めてました!その頃からずっと音が好きになってはまっていったかな。

STAFF
はじめたきっかけが今では考えられないですね!時間有意義に使っててストイックに突き詰めてる感じですね。音楽好きなのが生きて今があるような形ですね。

KATSU
そうですね。今思えば、音楽が好き過ぎて聴き続けていたから、音ハメをしようと思ったんじゃなくて、次に何の音が来るか知ってたから純粋に楽しんでいた感じです。
一撃メンバーで遠征するときも移動中は一切しゃべらず、音楽をずっと聴いてました。メンバーからはよくそんな同じ曲を何回も聴くなーって言われてたし、みんなが移動で疲れてホテルチェックインしてから俺は元気になり始めて「あそぼーぜー!」って襲撃してたから。
俺と同じ部屋になるのがイヤってみんな言ってたなー(笑)。
音楽をずっと聴き続ける中である時から音を分解して聴くようになりました。
ハイハットの音だけ、キック、スネアの音だけ、純粋に”この音かっこええなー”とか。聴けば聴くほど、「この音なんやろーっ」て、その音についてめっちゃ研究してましたね。

STAFF
皆さんの気持ちお察し致します(笑)。
KATSUさんといえばオリジナルの音源をいち早く作っていたイメージがありますが、いつくらいから作り始めました?

KATSU
当時、BOTYの一撃のショーケースは俺がつくるようになっていって、
ある時、やまさん( DJ TEE氏 )に、”AKAI 2000XL”っていうのがあるぞ。って言われて。
サンプラー( MPC )の存在を知りました。そこから一撃のショーケースの音もパワーアップしていきました!で、既存曲にドラムとか乗っけれるようになって「音作りってこんなに幅広いんや!!同時に俺が何人もおるってことになる!音が足せる!すげー」ってなりました。
その後、ChemicalBrothersとか、デジタルサウンドに出会って、自分らが今までバトル・ショーで使ってた曲とは違ってて、どんどん新しい曲でショーしようってなっていきました。その変化の中で、ロックバンドに再び出会いました。一撃のショーの曲は、俺、SIN、PRINCEの3人がだいたい決めてたんですが、
だんだん、それまでのブレイキンの曲から離れていって、ロックとかデジタルとか。
そしてLinkin Parkに出会ってから、そういえば、昔”THE BLUE HERTS”で衝撃受けたことを思い出しました。そこから、ロックでブレイキンやりたいって俺自身どんどん思うようになって。Linkin ParkのNumbのデジタルバージョンを2005年のBOTYで使ったのがやはり思い出深いですね。
その直後から”自分でも曲つくりたい”って真剣に思いはじめていきました。

STAFF
2005年のBOTYの一撃は衝撃でした。最高にかっこよかったです。

KATSU
ありがとうございます!たまに、俺も見るな〜。色々と思い出させてくれるし、あの時の音が音楽に対する気持ちを思い出させてくれます。
ダンサーっていうのは、ダンスがメインだけどダンスをするときの音を自分でつくるって発想は当時俺たちにはなくて、発想自体も変化していったきっかけが2005年でしたね。
その時、BOTYのベストショーを受賞して決勝で負けて沢山得るものをもらって、帰ってきてからはみんな違う方向に進むって話もしてたし、
俺自身、次の世界へチャレンジしようと。BOTYという大会が後押ししてくれたように感じ、自分の気持ちに正直になろうってなりました。
音楽もサンプリング無しでゼロから、キックの”ドン”の音から作り始めました。

STAFF
では、本格的に音楽を作りはじめたのは、2005年をきっかけにそこからスタートしたんですね。

KATSU
Macを導入したのもそのときですね。IMac(笑)。

STAFF
懐かしいですね。
ブラウン管みたいなサイズのやつですよね。

バンド活動スタートのきっかけから10年越しの1st Albumリリース

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