【Dewspeak vol.03】日本BBOYスタイルの拡張に大きく貢献する九州のBBOY kouske

WASEDA BREAKERSへの加入過程で芽生えた価値観

kouske
WASEDA BREAKERSにその後やっぱり実際会わなきゃ!ってなって。
その間に、もう一回だけ東京のダンスコンテストでニアミスはしてるんです。その時もやっぱり負けるんですよ。その当時バトルじゃなかったから、ダンスコンテストですから。やっぱりダントツで負けるんですWASEDA BREAKERSに。もう全ての面において。
その時僕はエクストラハウスのクルーで、まだ僕も、ロックダンスやってて。その立ち踊りも駆使したんですが、やっぱコンテストでは勝てない。っていうのがあって、会いに行こう、もうこれは会いに行くしかない。
で、あの時は八王子の体育館にWASEDA BREAKERSのメンバーが現れるらしいっていう情報を聞きつけてそこまで駆けつけるんですよね。いるらしいってだけで。誰も知らない人ばかりなんですけど。で行って!で、「ここはWASEDA BREAKERSの人達が来るって聞いたんですけど」って、いたB-BOYに聞いたら、「あの人達今サークルの旅行に行っててみんな来ないよ。」って。うわー!会えんっ!てなってたら、一人だけWASEDA BREAKERSのシャツを着てる人が現れて、それがその時の三回目のラジオトロンの時にいたWAKATAKEさんっていう人なんですよ。そこで一瞬交流が生まれて。
ちなみにそこにはTSUYOSHIさん(FREEZE / Spartanic Rockers)がおられたんです。初めて自分のダンスを見せてそこも交流が始まるんですよ。で、その次の次の日くらいにTSUYOSHIさんに誘われて、今度FREEZEの練習に行く事になったんですけど。
TAKUYA 
一番の目的のWASEDAにナカナカ辿り着かないけども(笑)。

kouske
はい、しかしそれはそれで、ホント衝撃だったんですよね。池袋のサンシャインビルの中で練習したんですけどJOさんが来てくれて、でJOさんとTSUYOSHIさんとMASAKIさん FREEZEのメンバーが3人来られて、こっちはKIYOさんと。で当時JOさんTSUYOSHIさんとWASEDAのメンバー達は一緒にショーしてたりもしてたんですよね当時。ハイタイムで。

TAKUYA
新宿ハイタイム。90s BBOY重要スポット。

kouske
その時に会いに行くことができて、JOさんにも会えて、やっぱり、全然駄目だなって思って自分の踊りが。
やってることがなんか解りやすすぎて、それは何故なら、そのWASEDAの人達もそうだったしJOさん達もそうなんですけど、今でもそうですけど、惹かれるダンサーって基本的に上手さよりもハテナが浮かぶっていう。
うめえーとか、かっこいいとかじゃないんですよねずっと僕は。何なんだこれは一体?!で、何を考えたんだろうこの人は!っていう、何か考えたから多分そうなるわけじゃないですかそういう動きに。
基本的にいつもハテナが頭に浮かんでしまう人達には未だに興味を持つというか、自分もそうなりたい。ただ上手いとか凄いとか、当時確かに言ってくれた人達は僕の周りにも沢山いてくれたんですよ。でもそうじゃなくて。
なんなのそれって。笑われてもいいし、怒られてもいいし、その、かっこいいとか上手いとかじゃない別の感想をもってもらいたい。何故なら僕がそうだから。って思って。
で紆余曲折しながらも何とかWASEDA BREAKERSにも出会えてそこで踊りを見せることができて、まあ段階を踏んでWASEDAに近づくことができたんです。しかしその時間の中でかなり試行錯誤、結構孤独な作業でしたね福岡で。まあその時KIYOさんも同じところを見ておられたんですけどKIYOさんはKIYOさんで独自でやられてたっていうか。

de_image4
Waseda Breakers 99

TAKUYA
KIYOもWASEDAに入ったんだよね?

kouske
そうですねBattle Of The Yearで一緒に。でもKIYOさんはWASEDAとしてはあの時だけで。同じ時期21.5をやってたのでKIYOさんもブレイキングからまた更ににその違う見せ方をたぶん追求し始めたころですよね。
あの時CHAOさん達にお願いして、どうしてもKIYOさんも一緒にWASEDAの事を長い時間見てきて、ここでどうしても一緒に出たいと。で、KIYOさんも一緒に。で、あそこが最後のタイミングだった。

kouske
KIYOさんは本当に、唯一の歳が近いストリートダンサーだったから同じ時間軸を知ってる先輩であり、友達でしたね僕の中では。でも天才でしたからねあの人は本当に。よくいたじゃないですか、あのB-BOY特有の、なんでそんなすぐできてしまうのみたいな。で、影で僕は悔しくて練習しちゃうんだけど本番では絶対にKIYOさんがキャーキャー言われて・・・

TAKUYA
(笑)。
そんな風には見えてなかったけど俺は。

kouske
それがまあ僕は嬉しくもありそのバランスが好きだった、陰と陽みたいな、ほんとなんか。なんか二人一組みたいな時代あったじゃないですか、B-BOY特有の。で、そういう意味でバランスは凄い取れてるのかなと思ってたし、大分で言うとTAKUYAさんRYOさん、FREEZEはJOさんTSUYOSHIさん、大阪KAZUさんTORUさん、沖縄はKAZUHIROさんとA–KIさん、まあ元を辿ればCHINOさんKOJIさんとかになっていくんでしょうけど、、なんかあの二人一組みたいな感じで。
大丈夫ですかこれ、全然脱線してまとまってないですよね(笑)。

現在のマインド、モチベ―ション

TAKUYA
WASEDA BREAKERSに影響受けて実際入って世界で活躍してっていうイメージもあるんだけど、その後のkouskeはまた更に独自に進んでる感じもして、特にまた近年、あのレッドブルのインタビュー見てもそうだし、実際踊りを見てもとにかく自分で作り続けるっていう意味でのHIPHOPのスピリットに果敢に挑み続けている人だなって思うんだよね。
そういうモチベーションとかって今は何から得続けて今尚構築し続けられているのかなと。
俺自身このインタビューとか過去の話をしてるんだけど、実際は俺は過去を掘るんだけど、それは未来への糧にするために掘るだけであって。

kouske
まあどこまでが現役でやっているのかやっていないのかっていうライン引きが難しくて、僕もそう言ってもらえてとても嬉しいんですけど、実際はやっぱ引いた時期があるんですよ、活動的には。
東京に住んでた時期実際そうだった。しかも出ていきたいということもなかったんです。ただ確かに活動はしなくてもダンス自体はやってはいました。やってきただけ。で陰で一人で練習。毎晩東京にいる時もしてたし、家の近所なんですけど。

TAKUYA
活動は勿論大事だけど個人的にはその表に出ないのに続けてるってのが興味深い。そのモチベーション。

kouske
いや、自分がその生み出した動きっていうか、ネタですよね。必殺技の開発です。要はCrazy LegsのスレッドだったりKEN SWIFTのあの、お尻つくヒップストンプだったり。ああいうのの延長上に僕はいるわけで。CHAOさんのあのネタからどーのこーのだったりああいうのみたいな。あったじゃないですか 必ずやるその人ならではのお約束の必殺技。で、あれを僕も創ってきたつもりでいて。
それってなんか、身体を使っているわけじゃないですか。自分の身体だけで、どこまでいけるかっていうのって永遠のテーマだと思うんですよね。この先歳とって体は辛くはなるんだろうけど、でもその状態にはまだなれるかな歳とっても。

TAKUYA
確かに、自分も飽きないなあ。方向性は多少違えど。

kouske
何かそこで誰もやってない見え方があるんじゃないかなと思ったら、一般的って言ったら悪いですけど、ストリートダンスとかいわれてる世界の事なんか、はっきり言ってどうでもよくなったんですよ。今でもそう。
言ってしまえばどうでもいい、ちょっと気になる。その間をずっと、ずっとこう振られながらきている。でも気になる。でもやっぱそこで失敗。かっこいい人もいる。興味・・ああ、興味惹かれる人もいる。ああでもいっか。それをずっときながらもう、軸にはそうやって何か、なんかできるんじゃないかなみたいな。って思うのがモチベーションっつったらあれですけれど。まあ、探求心に近いというか。

TAKUYA
結局続けられる人って何か飽きないように何か遊べるもの、付け足せるもの探すのが上手いよね。kouskeも正にそんな感じ。

kouske
僕ダンスに興味を持つ前に子供の頃に誰もが興味持つものあるじゃないですか。漫画だったり特撮映画だったり。
そういう、今で言ったらオタクカルチャーみたいなことになるんでしょうけど、当時はそんな言葉もなかったからまあ、ちょっといくとサブカルチャーになるんですかね。ああいうのだったり、と、何でもに興味があったんですね。

だから学校の図書館に行って、星座の本借りまくって宇宙のことを考えたりするけど、家に帰って読むのはキン肉マンだったりする。
で、高いところによじ登って片手でぶら下がってみたりとかもやったり、ジャッキー・チェンに憧れてスタントマンの物真似をしたりとか、体を使って。滑り台から。滑り台を滑らずに上から飛び降りる以外でどうやって降りれるかなとか。カンフーもあるじゃないですかキョンシーを見た中で。って誰もが通る道の中でもやっぱり一つ一つがものすごい興味があって、なんでそんなお札を書いて額に貼る。じゃそのお札にはなんて書いてあるんだろうって。
一つ一つ、やっぱりなんでも興味がありすぎて、逆にこれ困ってるんですけどねいまだに。絞れないから。
でその中にHIPHOPってのが突然僕の人生の中で現れた。でもそれって、絵を描いて、踊って、言葉を並べて歌って口にして、音楽を奏でるわけじゃないですか。結局それって全部一緒っていうか今まで、それは確かにHIPHOPって言ってるんですけど、結局人間がこの世に誕生してからずっとやってきてる事の最先端バージョン。
しかもそれがなんで最先端なのかって言ったら。えっとHIPHOPって学問じゃない。学科、美術の教科でもないし、音楽の教科でもなかったし、誰かが勝手にやりだして自然発生的にここまで来てるって意味では、やっぱ原始人が洞窟に絵を描いたりとか、その雨よ降れって雨乞いでシャーマンが歌って周りでなんか踊るわけでしょ。で結婚式でさっき向かい合って男女が結婚式の舞をしたり。でその周りでは太鼓だったり自作の楽器を叩いたりする。結局ずっと同じことを人間て繰り返してる。で、そう、ほんと広い目で見たら僕はいま、この現在、地球の中で生きてる。それこそ今ですよね。今最先端の人間。
それは全ての人がそうなんですけど最先端の人間として、もう30代にもなって、仕事終わって、家の帰りの途中のその辺の道端でなんか変な音楽かけて、そうやって変な体勢で必死になんか床と戯れているっていう状況はその、要は今を生きる地球人の姿なんですよ。大げさな話になりますけど。
そう考えたら、ブレイキングってめちゃくちゃ、生物として見た時に。生命活動の一つとして考えたらめちゃくちゃ変なことやってる。だけど、自分はその最先端にいると。とても面白い。それだけでもモチベーションが上がるというか。なんか、面白いんですね。それを多分通行人の人が俺のこと見るじゃないですか。そこで、絶対にかっこいいと思わないんですよ。その人からしたらそんな外で、まあ僕未だに外で練習ばっかしてるんですけどそんな寒い汚い人様の敷地内で何やってるんだろうって。その感覚のすれ違いが一瞬だけあったりするわけでしょ。それとかも別にわかってもらいたいとも思わないんですよその人に。その人なりに生きてるし。でも一瞬だけ絡むんですよ感覚がそこで。一瞬だけ、向こう今こっち見たろ、みたいな。俺はでもそいつが来たからと言って別に凄いの繰り出すわけでもない。人目を気にしてないみたいな。

TAKUYA
(笑)。
素晴らしいストーリー。

kouske
ホントいい歳こいて何やってんだろってなるんですけど。横でカップルがいちゃついてたりするんですよ練習してて。でも、そういうことを考えると誰が優勝してとかこのスタイルがとか歴史からとか勿論ビジネスの絡みもありますけれど、何かもう自分のブレイキングっていうのをやることこそが、僕にとってのやっぱオールドスクーラーと呼ばれる、オリジネーターと呼ばれる人だったり、他にも影響を受けた先輩だったり、ほんともっと上の大御所さんであったり戦友や後輩であったり応援してくれた家族に対してとかに対する返答とかリスペクトという。

TAKUYA
変わらないね。俺から見たらkouskeは一生やってるだろうし、俺もたぶん一生やってると思うね。
バトルや賞レースは勿論熱いしだからこその感動があるし、シーンを広げるために必要で一つの指針にもなるから面白いんだけど、しかしそういうのとは別に俺らがこの年齢になって伝えなきゃいけない事って他にもあるなって。
大人で続けている方々は沢山いるし、いつ見てもカッコいい人も沢いるにはいる。けど常にフレッシュなことを見せ続けられる大人がそんなには多くないかなって。フレッシュ。
そういう意味でkouskeはずっとフレッシュな事やるんじゃないかなって気が。その、驚かせるとかじゃなく。ヤバい域に達する数少ないダンサーになるんじゃないかなって。
本当に例えばで言えばDJ第一世代にしてDJ KRUSHさんって、今でもフレッシュな音と空気感だなと!強烈に思うのよ。例えばHIPHOP以外でも坂本龍一さんの音楽はフレッシュだと思うし。てなんか、歳じゃないんだよね。
結果という形に頼らずとも一瞬動いただけでただただヤバいダンサーが歳とともにもっともっと増えていきたいよね。

kouske
そうですよね。B-BOYの世界ってどうしてもしょうがないと思ってるんですけどあの歳でここまでできるって!っていう一つの物差しはある。暗黙の了解で。で、それは俺も理解しているんです。確かにその通りで、と思うけど、でも、あのなんだろう。要はブレイキングの戦いの踊りというか。戦うときって人間やっぱり力をこめるわけじゃないですか。でも歳とって、じゃあそんな力出せるかってみんな出そうとする、頑張って維持しようとする、それが一応今の時点なんですけど、でも、僕は、多分TAKUYAさんならわかると思ったんですけど力を抜くことのほうが難しい。で歳とっていくとその、歳をとられた方の、例えばジャズもそうですし、作られる音楽だったり絵とかだったりまあ普通に自分のじいちゃんばあちゃんの言葉でもそうですけど。やっぱりこう。なんていうのかな。

TAKUYA
レイドバックしてる。

kouske
解っちゃってるっていうか。メリハリがある。で、要はその力をこめるってことに対して、みんな必死になってるんだけどその力をどれだけ調節・コントロールするかっていうところかなって。やっぱそれを解ってやっている人達の踊りっていうのは興味惹かれる、なんでできるそれ?みたいな。でもこれからどんどん出てくるんだと思うんですよね。カンフー映画の話とかでも主役はいつもワンパクなやつで、途中でおじいちゃんみたいなマスターが現れて、でそういうマスターに一回かかるじゃないですか。でマスターは笑いも、ユーモラスに全部交わしつつ、あの一発で倒すじゃないですか。若者の考えを。でそいつはそこで改心するみたいな。で、学び直して そこでその抜き差しを覚えて最後ライバルに勝つじゃないですけど、ああいうやりとりがバトルだったりダンス、セッションの中に出せるようにはなりたいなとは思います。ああいうマスターみたいな。だから全然大御所になりたいとかそういう欲求は僕はいままでホントになく。先輩たちはリスペクトするけど、でも、長くやってれば誰だってレジェンド。で、そっから その残したものが死んでからも生き続ける人が本物のレジェンドだと僕は思うんですよ。だから、そうなるかならないかは周りが判断することで僕自身はそうやってひょいひょいってかわしながら一発入れれるようなそんな人になりたいんですけどね。

TAKUYA
そうだね、お互いそんなダンサーになれるよう頑張ろう!今日は話せて、そして相変わらずで良かったよ!有難う!

あとがき
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kouskeと久々に話をさせてもらって相変わらずダンスに対して、そしてHIPHOPに対してピュアな心を持ち続けている希少なレジェンドダンサーだという事が解かりました。歴史に対して大きなリスペクトと今尚学び続ける姿勢を持ち、且つHIPHOPの本質的なフロンティアスピリットを同時に持ち続ける彼には改めて共感と感銘を受けました。ダンスシーンはどんどん拡大され続け、自分もそれはとても良いことで益々の発展を願う一方で、こういったダンスをする事の原点、本来の目的みたいなものを見失っては勿体ないなと改めて気付かせられるインタビューでした。ダンスが、いやダンスに限らずとも何か取り組んでいることに対してつまらないなって思った時またこのインタビューを読んでほしい永久保存版HIPHOPインタビューですね。

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TAKUYA (SYMBOL-ISM / worcle co.,ltd)

90年代初頭ストリートダンスに触れ、様々なジャンルを模索、横断する。 その後ダンスチームSYMBOL-ISMを結成。ハウスを基盤にしつつも様々なスタイル、音楽性を 反映させた独自のスタイルを形成し、DANCE DELIGHT、DANCE@LIVE、JUSTE DEBOUTをはじめとする 様々なコンテストにて優勝、入賞多数、その他様々なステージを通し強烈なインパクトを残す。 そのスタイルは彼の拠点東京・代々木に因んで「代々木系」とも呼ばれる現象を起こし、 ダンスのスタイルのみならず音楽、ファッション、ライフスタイル、様々な切り口からあらゆるヘッズに影響を与えている。 またダンスプレイヤーと並行し2004年に起業。レンタルスタジオの先駆けとなったstudio worcleをはじめイベントスペースANCE、その他音楽バーshirokumaやレコードレーベルyygrec、セレクトショップCONTE-NU、等、これまでに無かったダンスやカルチャーに直結するコンセプチュアルなスペースやビジネスアイディアを数々生み出しダンサーのライフスタイルを変革させ続けているキーパーソンとしてもシーンに大きな影響力を持つ。
ANCE @yoyogi_ance
shirokuma @yoyogishirokuma
CONTE-NU @conte_nu

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