【Dewspeak vol.04】全国にハウスダンスを広めた張本人 ”Mr.HOUSE” KOJI

80年代よりZOO FamilyやJSBのオリジナルメンバーとしてTV番組「DADA」に出演し、最新のダンススタイルを取り入れ、広め、その後90年代には日本オリジナルにして伝説のハウスチームROOTSのリーダーとして全国にハウスダンスを広めた張本人”Mr.HOUSE”KOJI。90年代初中期KOJI氏をきっかけにハウスダンスに触れた一人でもあり、現在ハウスシーンを牽引する一人でもあるTAKUYA(SYMBOL-ISM)が当時の時代背景、日本のハウスダンス創成期について等々、鋭く迫る。


TAKUYA
KOJIさんが90年代初期日本にNYハウスダンスを取り入れそして広め、そして今尚現役で活躍されているということで言うならばKOJIさんのダンスヒストリーそのものが日本のハウスシーンの1ヒストリーだとも言えると思うんですよね。なのでそういう意味でも今日のお話はハウスシーンにとってとても意義ある機会になるかと。
本日は宜しくお願いします!

KOJI
宜しくー。

80年代、ダンスをはじめたきっかけとその時代背景

TAKUYA
先述した通りKOJIさんといえば勿論ハウスで今日はそこを主軸でお話したいのですが、KOJIさん自身のキャリアで言うとHIPHOPダンス、あの時代で言うホーシングやニュージャックスウィングは欠かせないのかなと思うのですが。
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元々NYのハウスダンサーもHIPHOPのバックグラウンドがありますし。
そもそもKOJIさんのダンスキャリアは80年代からですよね?

KOJI
俺のキャリアは、スタートは高校生で、フラッシュダンス観てから始めたから、それが17歳なんだよね。
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17だから逆算すると、82年かな。

TAKUYA
じゃあもうホントに第1世代のブレイクダンスの方々と全く同じぐらいなんですね。

KOJI
そう。だからやっぱ多分、東京の第1世代はみんなフラッシュダンス世代なんだよね。
あそこのロックステディクルー(Rock Steady Crew)の場面がきっかけで、「ワイルドスタイル(WILD STYLE)」とか「ブレイクダンス」がその後じゃん。

TAKUYA
なるほど、今でこそハウスダンスのイメージのKOJIさんも初めはあのジャストビガン(Jimmy Castor Bunch/It’s Just Begun)のシーンを見てブレイクダンスから始めたクチっていうことなんですか。

KOJI
そうだね。段ボール敷いて練習してたもん。

KOJI
ホコ天って意味では・・・言っちゃっていいのかな?別に赤裸々に語ってもいい?
最初は、えーっとね、ダンサーとしてのキャリアは17って言ってるけど、その前にホコ天のローラーやってたの。高校の時に頭リーゼントにして、革ジャンだったの。

TAKUYA
ローラー・・・ロックンローラーのローラーですか。

KOJI
そうそう。ローラー族、竹の子族のローラー。が、自分の一番最初の・・・まぁキャリアじゃないよね。

TAKUYA
じゃあ違う意味でのホコ天なんですね

KOJI
そうそう、違う意味の。だからまだブレイクダンスが出てくる前に踊ってたね。俺のそのデビューというか。

TAKUYA
一世風靡とかですか?

KOJI
ま、一世風靡ほど古くないかな。一世風靡のちょっとあとかな。

TAKUYA
そこから何されてたんですかって言うのもあれなんですけど、僕が知ったのはやっぱり「DADA」とか、自分が印象的なのは、ZOOのビデオが当時出てたじゃないですか、フォーライフから。

KOJI
ZOO IIね。

TAKUYA
ZOO IIのGIVENっていうあのビデオで、体育館みたいなところでKOJIさんがステップをZOOの人達と。
あの時ZOOファミリーなんですかね、TV番組「DADA」でも観たことあって、スーツ着てめっちゃホーシングやってるみたいな、あの時代でのHIPHOP、ロスのスタイルをやってる印象なんですけど、それってだいぶもう・・・80年代後期じゃないですか?

KOJI
そう、俺が「DADA」出てたのは俺が24、5の頃なんで、もう89か90年か。

dada

TAKUYA
それはどうやって・・・ちょっと失礼な言い方なんですけど、どういう風に表に出てきたのですか?
要はそのブレイクダンスから始めて、そういう場所で踊るに至るまでというのは。

KOJI
「DADA」に・・・番組出るきっかけは、あれ、メンバーにウィークリーチャンピオンだって肩叩かれるじゃん。
あそこで優勝して、最後グランドチャンピオンで優勝するとメンバーになれるみたいな感じだったの。レギュラーになれるみたいな。
ただ俺の場合は全然そうじゃなくて、その頃に当時よく一番遊んでたのは六本木なんだけど、俺たちその頃六本木サーカスがホームグラウンド的な感じで遊んでいて、しょっちゅう暴れまくってたんだよね。暴れまくるっていうのは踊りでね。すげー踊って。
で、俺自体はTACOさん(ex.ZOO)の存在は知っていて、ホコ天でTACOさんのダンスを観たことがあったりとかして存在は知っていたんだけど、ある日TACOさんに声を掛けられて、何も分からずにTACOさんの赤のコルベットに乗せられてブロロロロ―って。そしたらD3カンパニーっていう当時「DADA」をやっていた事務所があるんだけど。
それでホボさんっていうプロデューサーにいきなり紹介されて、「あの、こいつなんですけど来週から出させるんでよろしくお願いします」「あ、マジですか?」っていう感じでなんかいきなり。で、その次の週から出るようになって。そういう感じなんだよね。その前の週にBOBBY(JSB UNDERGROUND)が出始めて、俺はその次の週からやってた。

TAKUYA
なるほど。どれくらいの期間出られていたのでしょうか?逆に出なくなるきっかけっていうのはあったんですか?

KOJI
出なくなるきっかけっていうのは、多分レギュラーダンサーで踊ってたのはZOOファミリーっていう肩書きでやっていたんだけど、まぁそうだね、半年ぐらいで出なくなったんだけど。それは素直に言うと、ある日突然「じゃあ今日で卒業ね」みたいな感じでディレクターから・・・誰に言われたんだっけな、RIKACOに言われたんだっけな。ちょっとその辺の記憶が曖昧なんだけど、とにかく卒業みたいな。
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ただね、今思えば、「DADA」は、“卒業”っていう言葉を使うのすげー早かった。AKB48が“卒業”って言う前に、「今日でBOBBY&KOJI卒業です」みたいな(笑)。

TAKUYA
(笑)。
どこよりも早かったんですね。ちなみにZOOメンバーとは師弟とかではないんですよね?

KOJI
違う違う。勿論世代的にいったら歳はさ、TACOさんがいて、その下に年齢でいったら俺なんだけど、その下にMARKとNAOYAがいて、BOBBYとかHIROとかって感じだけど、あんまり年齢差は関係無いというか、その時にそのカルチャーに触れて、みんな触発されてがむしゃらに・・・なんか何て言うのかな、どっぷり浸かって、突っ走ってきたみたいなところがあるから。
全員タメ語同士だったし、別にそういう師弟関係ではない。

TAKUYA
それはホーシングっていうスタイルでKOJIさんが先行ってた感みたいなものがあったということですか。

KOJI
それはあったね。でも・・・ミスターTってさ、俺はカトウさんて呼んでたんだけど、「DADA」に出てた・・・。

TAKUYA
出てましたね、はい。

KOJI
ちょっと謎の人物なんだけど、でもすごい世話になった人で、すらっとしたなんかダンディな感じでさ、ザ・六本木の遊び人っていう感じだったんだけど、その人が・・・まぁ俺も六本木で遊んでいる頃になんか目を付けられたっていうか、「ちょっとお前、なんか踊ってみて」って、いきなりオーディションみたいな。
夕方だったかな、ちょっと連れていかれて。で、踊ったのねガッと。そしたら「じゃあ今度代行頼もうかな」って言われて、それからサーカスの代行とかでちょこちょこやるようになったら俺がそのままサーカスでレッスンを引き継いでやるようになって。

TAKUYA
サーカスってディスコですよね?レッスンをしてたんですか?

KOJI
そう、やってたんだけど。でサーカスのオーナーの唐さんがサーカス専属のインストラクターというか、サーカスダンススクールみたいな感じでやるから、ここでKOJIくん正式にやってくれっていう。で、唐さんから給料貰ってやってたの。
その時生徒でいたのがコボージーズとかKANGO(ROOTS)とか。

TAKUYA
田中君(れいかんやまかんとんちんかん)もいたと聞いたことがありますが・・・。

KOJI
そう。田中は一番最初の生徒だから。あとRAHA(オヤジェン)もちょこちょこ来たりしてたよ。

TAKUYA
その時のスタイルはいわゆるSoul Brothersみたいなスタイル、ホーシングですか?教えてたことは。

KOJI
いや最初は、ニューダンス。要はランニングマンだったりとかロボコップとかマイクタイソンとか、あの辺のニューダンス、その当時流行りの・・・。

TAKUYA
そういうのは当時どこからの影響なんですか?KAZUさん(STRUT)とかの存在も大きいのですか?それともまた違う流れですか?

KOJI
KAZU君は多分一番早くそういうことやってたと思うんだよね。そういう番組もやってたし。
でもその時まだKAZU君と接点が無くて、途中で六本木でちょっと会うようになったのかな。いつ話したかっていうのはそこまでちょっと覚えてないかな。

TAKUYA
KOJIさん自身はもう自分でビデオとか見て取り入れたという感じなんですか?

KOJI
そうだね。まあそういうことをし始めた時に、ボビーブラウン(Bobby Brown)のエブリリトルステップ(Every Little Step)とか、あとMCハマー(MC Hammer)だったりとか、あの辺がニューダンス・・・つまりPVの影響って大きくて、その後に・・・そうだね、六本木で遊ぶようになってから・・YO!MTVRAPSかな、やっぱり。あれの影響は大きかったかな。あとはその時当時渋谷のちょうど、センター街に近い感じのところで、昔ビデオ屋さんというか、裏取引じゃないけど・・・売ってたんだよ。

TAKUYA
何ですかそれ(笑)。VHSですか?
それはもう録画したものを売っているみたいな・・・。

KOJI
多分ね、なんか向こうで録画したのを送らせてるみたいな感じで・・・一本ね、2000円くらいしたかな。

TAKUYA
あ、けど確かにありました小さなセレクトショップとかでそういうの。それ結構90sあるあるですよね。

KOJI
そう。それを当時の2000円って高いじゃん。誰かが買ったりそれを回したりとかして。
ソウルトレイン(Soul Train)、YO!RAPSとか。で、それがすごく当時資料としては貴重で。ソレを観まくって、その中で例えば3rd BASSの後ろにダンサーいたりとかさ、EPMDだったらフェンディ(FENDI)がいたりとか、ちょっとずつ観て色々と吸収していったっていうか。もう本当に何秒かの世界だよね。3秒くらい
しか出ない。3秒くらい、また3秒くらい、みたいな。その瞬間瞬間を見て、自分たちなりに取り入れて吸収して、自分たちなりにやっていったっていうとこがある。

TAKUYA
ホーシングってのはどう捉えてるんですか?ソウルブラザーズ(Soul Brothers)のスタイルですか?

KOJI
そうだね、ソウルブラザーズ・・・あの頃でいうと、またその資料でいうと、最初はね、BOBBYがなんかどっかに行った時にこんな踊りしてたっていうのに衝撃喰らってBOBBYがやり始めて、自分で見始めたのはビデオだったんだけど、その当時RAPMANIAっていうLA vs NYのラップの紅白歌合戦みたいなのがあって、後々DVDも売られるようになったけど、その時はVHSで、ホントもうノーカット。その時にDEF JEFでのソウルブラザーズだったりとか、あとディバァインスタイラー(Divine Styler)でのスキームチーム(Scheme Team)だったりとか。
まぁけどやっぱりソウルブラザーズが大きいね。

でも、その後ちょっと同時進行がちょっと後くらいかな、ヒロコダンサーズ、ロバートとかロマイとか、その辺の衝撃は大きいね、242っていうチームなんだけど、その後ビデオが手に入ったの。なんかちょっと俯瞰のビデオなんだけど、242のショーの映像みたいなやつ。

TAKUYA
YouTubeに上がってるやつですかね。

KOJI
そうそう。で、ロバートとかがステッキとか結構使い始めて。

TAKUYA
なるほど、それを「DADA」とかでも取り入れて。

KOJI
そうそう、なんかカッコよかったんだよね。ステッキ使って踊るとか。

TAKUYA
飛び越えたりとかってことですよね。フェンディもやってましたよね。

KOJI
やってたね。だからちょっと流行ってたのかな。で、俺もなんかステッキ持ってこうやってコツンコツンて。まぁ要は映像から観て、そこからインスパイアされて自分たちなりにこう解釈してやってきたというか想像して。

TAKUYA
音はどうしてたんですか?
ダンス自体は良いじゃないですか、映像で取り入れられるじゃないですか。音源・・・徐々にショーするみたいなこともだんだん増えていく訳じゃないですか。

KOJI
まだね、ショーの段階ではないのよ。

TAKUYA
けど、音は手に入れるみたいなのはなかったんですか?

KOJI
だってサーカス行けば死ぬほど聴けるし。

TAKUYA
なるほど、じゃあ自分で所有するみたいな時代ではまだないんですね。

KOJI
いや、人によると思うよ。レコードをその頃から集めてる人はいるし、俺もちょこちょこあったけど、そこまでDJ志望ではなかったから。
まぁ、あの頃DJ志望じゃなくてもみんなレコード買ってたけど、でも俺はそんなレコードとか買わなかったな。俺は本当にクラブに純粋に音を聴きに行って体を動かす方が好きだったから。

初代J SOUL BROTHERS

TAKUYA
その頃で言うとチームとしてはJSBに繋がっていくんですよね。JSBと言えば今も続くというか、今はもうEXILEの流れですけど、JSBじゃないですか、これ見ている人はKOJIさんがJSBって解らないかもしれないですけど。

KOJI
Japanese Soul Brothers。

TAKUYA
Japanese Soul Brothers。
メンバーは自分が分かる限りだとLUKEさん(ex ZOO)、HIROさん(ex ZOO / EXILE)、BOBBYさん、そしてKOJIさんになるんですかね。

KOJI
そう、それが初代。

TAKUYA
その結成はどのようにして?

KOJI
最初結成はね、あの頃みんなすごくとんがっていてお互いにバチバチだったんだけど、俺とBOBBYが「DADA」とか出て暴れて遊んでて、ある日唐さんがサーカスでコンテストやるって言ってきて。じゃあみんなちょっと参加して盛り上げようってなって。
結構日本中ではないけど、あの頃大阪ONE ON ONEも出てたし、CRAZY A & POSSEでアキラくんやCHINO、KOJIも出てたし、TAKE-Gもみんな出ててバチバチで、で審査員がNYのSHAKEそこでJSBが優勝した。

TAKUYA
そうなんですね。なるほど。それでJSBとして4人が組んだんですか?
それはZOOやってる時ですか?

KOJI
そうだね。俺たちがあのコンテスト出たのは多分「DADA」抜けた後だと思うんだよね、俺の記憶だと。抜けた直後ぐらいかわからないけど、多分抜けて、そういうコンテストがあるっていって、HIROとLUKEと俺とBOBBYでやろうってなって。その後ぐらいに六本木で遊んでたボビーブラウンが声掛けてくれて、「お前ら明日コンサート出すから踊ってくれ」って。最初半信半疑だったけど、とりあえず行こうよって言って。絶対ありえないでしょこんな話。楽屋で待ってたら、本当に呼ばれるのかなって。
でもネタだけ用意しといてって。曲も何が掛かるか分からないから、一応フリ作って用意してたら急にマネージャーが来て今から行くぞって。「Japanese Soul Brothers!俺の友達紹介するぜ!」ってボビーブラウンが言って俺たち出ていって。

TAKUYA
ほー!

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KOJI
で、DJが何掛けるかも分からなくて、「おいおい何掛かるんだよ」ってちょっとこう探りながらやってたんだけど、「Snap/I’ve Got The power」がかかって。来た!バッチリだと思って。で、合わせたルーティンをアイコンタクトで取ってソロ決めて。ボビーブラウン本人もえらく気に入ってくれてさ!

TAKUYA
はっちゃけてKOJIさんが踊られているJSBってそのぐらいの時期ということですよね。でその後の90年代初期ハウスにスタイルが移行していくわけですがそれはニューヨークに行った衝撃で変わったんですか。

KOJI
あの頃やっぱさ、情報が少ない分早いもん勝ちじゃないけど、新しいものをやった奴がカッコいいみたいな、早い者勝ちではないけど、勿論すごくみんなアンテナ張ってたし、お互いバチバチだったし、これカッコいいっていうそのセンスっていうかさ、それを見つけるセンスだったりとか、その頃みんなピリピリしてたんだよね。俺はその「DADA」を通ってニュージャックスウィングを通ってきて、ある日TACOさんと六本木のウェーブ行った時にモニターに、7sportだ。リングでの。BROTHERS IN JAZZのあのダンスを観て、TACOさんとこれヤバいって。
たまたま店員にTACOさんの知り合いがいて、手に入って。それからまた見まくるようになって、だから一時あの頃そういう「DADA」でのラインダンスの歴史見ると確認できるんだけど、ちょっとそういう感じの要素が曲とかジャズみたいなもんとか入ってて。

TAKUYA
なるほどー、とにかくいろんなものにアンテナを張っていろんな事をやった時期があるということですかね。

NYハウス、日本のハウスダンス創世記

KOJI
で、やっぱりBE BOPに関しては音がちょっと違うなと思って、で、だんだんホーシングにも飽きてきた時に皆はLAに行ってたんだよね。やっぱソウルブラザーズ観に行ったりとかで。俺はなんか行かなくて、ちょっとその時にベイビードントクライ(Lalah Hathaway/Baby Don’t Cry)のPV観た時に衝撃があって、本当にこう喰らったんだよね。で、それはニューヨークだったっていう。

TAKUYA
NYは洗練されてたんですかね。

KOJI
そうだねー!
勿論やっぱり後々知るんだけどさ、彼らがMOPTOPSやMISFITSっていうのを知るんだけど、とにかくカッコよかったってのがあって、そっか、じゃあニューヨーク一回行ってみようって。その頃仲間だった2人3人で。何も情報も分からないままサウンドファクトリーバーってところに行ったらハウス掛かってて。
ハウスは日本ではヴォ―ギングのイメージしかなかったんだけど、そこからだよね。一気にチャンネルが変わったのは。

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NY修行時代のKOJI

TAKUYA
なるほど。で日本に持ち帰ってくる訳ですか。自分は93、4年ぐらいなんですけど、下北沢ルーというスタジオでKOJIさんがハウスレッスンやっているという情報を聞いて行ってるんですね。
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あの時雑誌Fineにダンス情報が結構載っていて、ていうかダンスの情報はまだそこくらいしか無くて。で、ROOTSも出てたんですよね。そこで「ハウス」って書いてて自分が聞いたこと無くて・・・。
で、下北ルーに行くんですけど、あそこからハウスダンスが日本に伝えられていったのかなと。KOJIさんが一番最初に始めたみたいな感じなんですか?ハウスのレッスンとしては。

KOJI
まあそうだと思うけどね。

TAKUYA
そこから全国にワークショップ行ってたじゃないですか。自分はその後福岡に受けに行ってたんですけど、あの時とかっていうのはやっぱりハウスダンスってものを全国の人が知って、呼んでたみたいな感じなんですか?

KOJI
多分ROOTSを知ってくれてから。
その前身のKOJI & HyROSSIのメインストリート観に来て、それで何かインスパイアされたかで、それで呼ばれるようになったんだろうけど、まぁ分からないけど。だから要は点が線になったというか。点が繋がってたんだよね。例えばこの辺だったら、近隣から来て、あ、そうなの?全然そこにも行くよっていう話になって。それがどんどん繋がって線になっていって。

TAKUYA
当時これがハウスだよとKOJIさんが紹介してくれる音楽は主にロフトクラシックスやガラージと呼ばれるものでしたよね。そういうのはNY行って聞いて、みたいな感じなんですか?
いわゆる4つ打ちのことはあまり言ってなかった・・・まぁ4つ打ちもなんですけど、どっちかっていうとそういう印象があるんですよね、クラシックスだよ、みたいな。

KOJI
そうだね。それが自分の中で心地良かった。勿論ハウスは4つ打ちなんだけど、多分イベントでさ、例えばサウンドファクトリーバーとかだったら、上はさ、ルイベガがまわしてるんだけど、下ではちょっとクラシックスが掛かってたりとかガラージが掛かってたりとかダンクラが掛かったりとかっていう感じだったりとか。
俺は下の方が気持ち良かったんだけど、それが多分、やっぱディスコの匂いがするからなんだよね。ディスコ世代だからすごく心地良かった。勿論ハウスも良いんだけど、ROOTSがいわゆるクラシックを多く使ったということなんだろうけど。あとイベントでいうとアフターライフ、アフターライフ自体がキムライトフットとか回してて、そういうクラシック掛けてたから、すごいやっぱりクラシックはテンポがゆったりしてるじゃん。

TAKUYA
それで現地のダンサーも踊ってたんですか?

KOJI
踊ってる。もうガンガン踊ってたね。

TAKUYA
その時期に主に影響を受けたダンサーを教えてください。

KOJI
今で言うオリジネーターだったら全員だよね。カリーフ(Caleaf)、イージョー(Ejoe)、ブライアン(Brain Green)、シャネイ(Shan.s)、マージョリー(Marjory)、ジャスティス(Justice)、トニーセイクー(Tony “Sekou”)、ピーターポール(Peter Paul)、ブードゥーレイ(Voodoo Ray)、

あとヤジャデイってあんまり知られていないんだけど

TAKUYA
でも来ましたよね日本に。

KOJI
あ、来たね。よく知ってるね。そうそうヤジャデイとマージョリ―と、あと誰だっけな、今ど忘れしちゃった。カッコよかったね。今DJとかやってる。その子も見た、向こうで。カッコよかった。影響を受けたのはその辺だね。でもそれはオリジネーターなんで当たり前なんだけど影響を受けるのは。
だけど別にそれだけじゃなくて、あ、あとごめん。えーとね、あと一人若手で俺がすごい影響を受けたんだけど。

TAKUYA
ケビンですか?

KOJI
あーそうそうそう。よく出てきたね。そう。ケビンカッコよかったんだよね。あとジョーイ、ジョーイ一派。ニュージャージー一派ね。今みんな見てるジョーイってのはちょっとゆるい感じなんだけどね、当時は全然尖がってた。

TAKUYA
当時日本では赤スエって呼んでたらしいですよね。

KOJI
そうアカスエ。

TAKUYA
当時まだ名前が分かんなかったからってことですよね。NYのクラブで赤いスウェット履いていたからってことですよね。

KOJI
そう。俺たちはコミュニケーション取りに行って話して名前なんだっけって聞いて、俺は日本のKOJIなんだけどって。それで名前知っていって。けどその前は解らないから、例えばトニーセイクーはカポ師とか。カポシって呼ばれてた。

TAKUYA
カポエイラやるから(笑)。

KOJI
そうそう。全員NYのクラブで見てだよね。

TAKUYA
まだ日本でも有名じゃない時期っていうことですよね。

KOJI
そう。でも、カリーフとピーターは、あれだ、ジプシーウーマンに出てたかな。後に知るんだけどね、あれがハウスだったりとか。
なんかその頃は断片的にしか映らないでしょ。でもカッケーなこの二人とか。

TAKUYA
ジプシーウーマンですね。かなり断片的ですよね。

KOJI
断片的なんだよ。だけどそこの1秒だよ1秒バックスキップしたら、あ、何かやってた、多分こうじゃないかみたいな感じでやってたし。で、後にあれがハウスだって知るわけだけど。

TAKUYA
凄い、本当に手探りですね。

KOJI
そう、あとやっぱり俺がニューヨークに行き始めた時・・・。10回近く行ってるんだけど、毎年行かないとどんどん忘れちゃうし、行って、着いて、箱入って、「これだよこれ、やっぱ忘れてたわ俺」って。で、また帰ってくるじゃん。東京で踊ってまた行って、これ忘れてたって。なかなかね、入んなかったんだよ。
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分かる?だって行ったって、たかだか2週間とか・・・短くて2週間、長くて2ヶ月とか期間が。やっぱね毎日のようにクラブに行くけどなかなか入んないんだよね。やっぱりそれだけ難しかった。フィーリングが。で、ある日だんだん踊ってた時に、俺浮いてる、ていう感覚から俺ちょっと馴染んでるかも、っていう感覚に変わってきて。分かる?踊ってる時の感覚。俺は絶対今掴んでない、なんか浮いてるわ、これ違うわ、こいつ違うわって。

TAKUYA
解ります、ていうのもあれなんですが解ります。

KOJI
踊っててね。でもね、みんなすごい一体感があって、スタイルもバラバラなんだけどハウス踊ってたの。だけど、俺ハウスまだ掴んでねえな、って。だけど何回かやっていく内に、ちょっとずつハウス掴んできてるかもって、そんな感じだったよ。帰ってきて俺、ワーッてやってたんだけど、
その頃既に注目されていたから、KOJI君がニューヨークから帰ってきた、なんかハウスやってるって。さほど知らなかったんだけどね。

TAKUYA
今思い出すと自分がKOJIさんのレッスン初期に受けた時ホーシング混じってました。

KOJI
だってね、まだパドブレやってないんだもん。ただね、当時コーナーレイアウト、三角跳びって呼ばれてた。俺が言ったんじゃないよ。三角跳びって、三角に跳んでるから。でも何か誰かが言ったんだろうね。それをひたすら俺やってて、パキパキにキレキレで。そこからもうちょっと踏むようになってきて。

TAKUYA
ツーステップはあったんですかね。

KOJI
いや、勿論彼らはやってたよ。多分俺らはその時に何をやってるかまだ解んなかった。

TAKUYA
解んない、なるほどー。

KOJI
KANGOも他のインタビューで言ってるけど、何やってるかわからない。色々分析して結果、こう踏んで、みたいな。最初何を踏んでるか解らなかった。
でもやってくうちにだんだん解ってきてみたいな。

TAKUYA
確かに僕もKOJIさんにあの時期習ったんですけど、ツーステップは出てきてないんですよね。

KOJI
そう。だからツーステップも、多分自分なりの、俺は要はぶっちゃけ言うと、真似が下手くそだったんだよ。分かる(笑)?

TAKUYA
それがKOJIさんの流れになって。それを知らずに自分は見てカッコよく見えていたところも沢山あって。それも面白いですけどね。

KOJI
自分なりになる。だから多分向こうのオリジネーターに言われたのは、誰は誰々っていうか、当時言われてたんだけど、これは多分、真似したつもりが真似できなくて自分になってたみたいな。
で、だからKOJIはスタイルがある、みたいになんか認められてたみたいなんだけど。周りの人に聞いたんだけどね。

TAKUYA
だけど良いですよね。

KOJI
だから自分では一生懸命誰かを真似したかもしれないけど、自分なりになっちゃったんだろうね。
それが全部結局はスタイルになったから良かったんだけど。

TAKUYA
その後皆さんハウスをそれぞれに・・・それこそツーステップも掴んでいくんですね。段々と。

KOJI
ちょっとずつステップが・・・多分昔のROOTSの映像を今見ると、それまでやってないステップが入ってきた時期にちょうどその時期のROOTSのショーのルーティンに入る事が確認できるから。
例えばスワルが入ってきた時っていうのはマージョリ―が来日した時で、あれは多分ダンスフィールドていうイベントでマージョリ―たちがすげー腰低くやってて、カッケーって。ですぐ取り入れて、ってそういう感じ。まだそういう時代だった。今みたいにステップが出尽くした訳じゃなくて。だからすごく遅かったんだよね、俺らがハウスのステップを全て知るまでというのは。

TAKUYA
いや、それはそうですよね。あの時代に。映像はYouTubeも勿論無い中で。YouTubeどころか何かしらの映像だって手に入らない時代ですよね。NYのダンサーとの繋がりもゼロからで。いや、だからもうそこには感謝というか、凄いですよね。ダンスにしても音にしてもその一つ一つをほぼほぼ正確に突き止めてくれた。で作ってくれた一個一個の基礎というか、日本のハウスベーシックですよね。ホント凄いです。

KOJI
音に関してはミックステープも多分売ってたんじゃないかなニューヨークで。多分そうだな。ハーレムの125ストリートとかさ、偽物のVHSを売ってたりとか。いろいろあの頃そうやってたんだよな。

TAKUYA
そんな格好いいハウスとか売ってたんですか?

KOJI
ミックスで売ってた。ハーレムとかでもそうだし、ソーホーとかでも売ってたかな。お香とかTシャツを売ってたりとか、なんかホントに露天商だよね。そこにミックステープとかVHS・・・なんかインチキ臭いVHSだったりとか。

TAKUYA
そういうものも買いながら。

KOJI
そうだね。だからとりあえず情報が無いじゃん。とりあえず勘でさ、買ってみようと。イベントの名前とか載ってたりとかで、これヤバいとか。

TAKUYA
ファッションとかってあの時はどうなんですか?
あの頃って海外でしか買えないものが多かったじゃないですか?KOJIさんはどうしてたんですか、海外で買い物してたんですか?

KOJI
東京は、下北のスパークスビートてあったの。ROOTSのYANが店員だったんだけど完全に並行輸入でさ、向こうから当時流行ったゲスだったりとか、カルバンクラインだったりとか、ダメージとか、色々その頃流行ったブランドが。それをいち早く取り入れてて、俺も遊びに行ったりとかしてて。その辺の世代たちはみんなそこで買ってた。あとは俺はブルックリン行って、えーっと・・・あ、Dr Jaysだ!ドクタージェイズってちょっと例えが悪いけどジーンズメイトだよね日本で言ったら。
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安くて、多分そういう感覚だと思う。決してすごくオシャレではないんだけど黒人版ジーンズメイトみたいな。その辺は自分のセンスで。でもなんか俺は当時もうNYのPV出ているようなダンサーがああいう格好してるからってそれをそのまま着るっていうのはあまり無かったかな。なんか俺自体はあんまり流行りとか分かんなかったっていうか。例えば当時ティンバーは絶対履くじゃない。俺ティンバー履いたこと無い。なんか俺は好きじゃなくて。俺は当時からコンバースが好きだったけど。今もよく履いてるんだけど。

TAKUYA
コンバースと言えば当時KOJIさんはオールスターの靴底にガムテープを貼ってたじゃないですか。
ターンやステップを滑らかにするために。あれはNYのハウスダンサーからですか。

KOJI
違うよ。

TAKUYA
あれオリジナルですか(笑)?ガムテープスタイルは。

KOJI
ベビーパウダーを撒くとスタジオのおばちゃんに怒られるのよ。汚しちゃってって。汚しちゃうからベビーパウダーじゃなくてどうしようかなって考えた時に、紙のガムテね。ツルツルの。

TAKUYA
僕らみんな真似してましたよ。

KOJI
ええー、やってた?あれを貼ると、汚さずにちょっと滑るていう感じで・・・。

TAKUYA
だけど剥げてくると逆にベタベタするんですよね。

KOJI
何回か踊ってる内にペリッて剝がれちゃう。結局汚くなっちゃう(笑)。

TAKUYA
あれニューヨークのスタイルじゃないじゃないんですか。感動!

KOJI
違う違う。あれは俺のスタイル。KOJIスタイル。
あの頃、だからリュックの中にいつもガムテ入れてた。

TAKUYA
パウダーも勿論持ってるんですよね。

KOJI
パウダーも持ってた。ただパウダーが怒られた場合はガムテみたいな。けど怒られるまではパウダーでやるんだよ(笑)。

TAKUYA
(笑)。
ちなみにパウダーは勿論ニューヨークからですよね。

KOJI
そうだね。パウダーはニューヨーク。
粉撒いて床馴らして・・・。あれがカッコよくてさ。カッケーなみたいな。

日本オリジナルハウスチームROOTS

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