「デザインもHIPHOPも逆転できるゲームのようなもの」XXX-LARGE・METHが語るデザインへのこだわりとは…?

アーティストの振付はもちろん、ステージの演出や構成を手がけたり、会社や飲食店の経営、アパレルブランド設立など、ダンスと二足のわらじで活躍しているダンサーが増えてきています。

今回は、その中からデザイナー、レコード店経営をしているXXX-LARGEのMETHにインタビュー。

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彼は、自他ともに認めるHIPHOP好きで“歩くHIPHOP辞典”と呼ばれるほどHIPHOPマニアであることをご存知の方も多いでしょう。HIPHOP要素のひとつであるグラフィティを描くことでもよく知られています。

年に1度開催されるビッグパーティーSTRADのフライヤーデザインを始め、チームメイトであるTAKESABUROらが運営するダンススクールYELLOW BLACK DANCE STUDIOのロゴのデザインを手掛けるなど、ダンサーならMETHが手掛けるアートワークを1度は目にしたことがあるはず。

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―ダンサーとしての活動と並行してデザインやJUICE recordsというレコード店も経営されていますが、活動の割合はどのくらいですか?

METH:デザイン+レコード屋:1、ダンス:1ですね。

―グラフィティを描かれていますが、描くようになったきっかけは何だったんですか?

METH:親父がテレビを観ながら、チラシの裏とかに常に落書きをする人でした。何か説明をする時も絵を描いて説明してくれて、その時にサラッと描く立体の絵に惹かれましたね。その感覚が幼い頃からあって、真似して描こうと思うけど平面的にしか描けない自分がいて…。だから、工夫して描くようになるんですよね。当時、漫画「ドラゴンボール」をすごく観察していたんです。悟空はもちろん、ドラゴンとか他のキャラクターやマシンのディティールに注目していました。鳥山明先生が好きで、「アラレちゃん」なんかは文字がデコーレションされていて、アメコミぽいところが好きでした。

―そこからどういう流れでグラフィティを描くようになったんですか?

METH:中学の頃、HIPHOPを知ってハマっていく中で自然にグラフィティに出会いました。そこで、グラフィティのカラーリングと鳥山先生のレタリングが似ていると発見しました。アウトラインの取り方や字の太さ・シャドーの描き方…。
HIPHOPにハマっていくと自然にグラフィティにもハマっていったという感じです。中学の頃、当時、一緒にHIPHOPにハマっていた友人から「SPRAYCAN ART
という洋書をプレゼントされたのもキッカケかもしれない。映画「JUICE」の主人公Qの部屋に置いてある落書きだらけのスピーカーを真似していたし、今も残っているんですけど学習デスクも落書きだらけっす。当時、俺が好きなアーティストは、アメコミでやっていたレタリング、色の付け方、光が反射しているような描き方を取り入れていたんですよ。鳥山先生もアメコミファンで、「ドカーン」とか擬音にクラックという手法を使ったり、そういう風に描いているんです。

―グラフィティも鳥山明が描く擬音もアメコミから来ていたんですね!

METH:俺も最初は気付かなくて、古本屋で昔のアメコミを掘りながら新しいアイディアを探していた時に「あれ?」って気付いて…アメコミはグラフィティのインスパイアソースで、鳥山作品もそう。影響を受けたものが同じなら「じゃあ、俺も仲間に入れてもらいまーす!」って。(笑)これで、子どもの頃に見てきた親父の立体的な絵、鳥山明の漫画、HIPHOP…点と点が繋がりました。絵が好きで、字の並びが好きです。本職のヴァンダルな方達にはメッセージ性やバトルの要素もあってエキサイティングです。が、自分は違法な行為は、今はしていませんよ。

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※1979年創刊の楽譜雑誌「月刊歌謡曲」(通称ゲッカヨ)にて漫画の連載をしていたこともある。

―デザインの仕事をするようになったきっかけは?

METH:デザイン自体は2000年代初頭くらいからです。当時は、PCが使える友人に手描きのものをIllustratorでデータにしてもらって、Tシャツ工場へ行って刷ってもらっていました。
当時の原宿や恵比寿の各ショップに地元の友人が数人働いていて、そこら辺の交遊関係で刺激を受けて、マイナーながらにブランドを立ち上げたことがあって、自分のデザインしたモノを全国のセレクトショップに営業をかけて取扱ってもらっていました。その時が多分キャリアの最初だと思います。当時、XXX-LARGEやSASに着てもらったりしてプロモーションをしていました。その頃からセレクトで老舗だったBLACK ANNYの原宿店に扱って頂いたことは未だに想い出深い、というか誇りになっています。
その後、PCを買って、俺はXXX-LARGEで衣装作り担当をしていました。多分、TOKYO DELIGHTに出た頃に衣装をデザインしたのかな?
自分のためというより、チームのプロモーションをしていくために初めてごっついiMacを買いました。そこからは、YELLOW BLACK VIDEOシリーズとか、基本的にチーム活動のデザインワークスはほぼ全般やっていました。マンガを連載していた時期もあり、CDジャケとか、最近は外注中心でやっています。

―デザインやグラフィティを描く時に意識していることはありますか?

METH:アウトラインの精度と意味。ダンスシーンのサポートはもちろんするけど、服は服、チラシはチラシ、絵は絵と区別する。あとは、もともと服のデザインをしたくてPCを使ってグラフィックを描くようになったので、ロゴとかは服に落とし込んだ時にどう見えるかを意識しながら描いています。どのみちHIPHOP的な考え方の延長上にあるので、DOPEかどうかですね。
あとは、安易にHIPHOPアーティストやレーベルのロゴをサンプリングするのは控えています。散々やってきましたが、それは活動期の話。お金を貰えるようになってからは控えていますね。簡単だし、すぐBITEされるから。BBPとかみたいにオフィシャルでやれるアパレルも増えましたもんね。
 

―混合しないようにしているんですね。

METH: 職人気質ではないですが、やるなら本格的な精度が欲しかったんだと…。当時のダンスシーンでは、フライヤーひとつにしてもデザイン性はあんまり重視されていないように思えて、お金や価値に結びつきづらいノリだった。文字間をどんなにこだわったとしても、フライヤーを手にした人は文字情報くらいしか関心がないという変なジレンマがあって。Illustratorを触ったことがある人ならちょっと分かると思うんだけど、フォントによってはそのままだと文字間がバラバラになるものも多いんです。そういうところに気を使えていない感じのデザインが本当に多くて…「オレならこうする」という意識が自分はあったんでしょうね。
遊び場だった原宿や渋谷のショップ、クラブシーンではイケてるデザインが山のようにあったけど、ダンススタジオに置いてあるイベントフライヤーの安っぽさには正直目を覆っていました。(笑)今はだいぶマシになってきていますが、本質的にはさほど変わっていないのかもしれません。ダンサーとしても、自分のネームを決める時に、自分の名がビジュアル的にどう掲載されるかもひとつのレース的な面白さだと思っています。

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―“ダンスシーンでデザインが重要視されていない”というのは意外でした。

METH:もちろんYOYOGIの人らや、SO DEEP関連、大阪のHEXBEX、sucreamgoodman関連や、OLD SCHOOLな方々の一部の人など、プレイヤーは重要視していますよね。
全体は、オーガナイザーたちがどうしたら総体的なカッコ良さを的を得るかをディスカッションしていないんじゃない? それじゃクリエイティビティ(創造性)は自然と削除されちゃうと思いますね。
例えば、フライヤーのデザインがカッコ良いと「ヤバイ!」と思うし、かっこいい人が集まるだろうなと想像して期待する。フライヤーなどのビジュアルイメージと現場の空間が上手くマッチングすると良いものが生まれると思っているし、現にそうなっています。
ダンスシーンにもカッチョいいオーガナイザーがもっと増えて欲しいですね。

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