【あのダンサーは今vol.1】前編 : k-en(ex錯乱武者・KAMUI)が振り返る、早過ぎた優勝と挫折!

ヒップホップといえば“ステップ”という時代に、斬新なタットと緻密なコンビネーションを中心としたヒップホップスタイルで話題を呼び、日本で最も歴史のあるコンテスト「JAPAN DANCE DELIGHT FINAL Vol.7」にて優勝した[錯乱武者]。 同チームに所属するk-enに今だからこそ聞ける話を伺った。

皆様、“あのダンサーは今なにしているんだろう”とふと脳裏に浮かぶことはないだろうか?
「RAVE2001」、「少年チャンプルー」など、数々のダンスブームを巻き起こしたきっかけにおいて活躍を見せたダンサーの中には、未だ様々なシーンでダンサーとして活躍をみせるものやアーティストして活動するもの、完全にダンスシーンからは離れ、生活するものなどその後の道は様々。

Dewsでは、そんな「メディアで一世を風靡した方の今を深堀するべくインタビュー企画【“あのダンサーは今”】をスタート。
記念すべき、第一弾は、1990~2000年頃、ヒップホップといえば“ステップ”という時代に、斬新なタットと緻密なコンビネーションを中心としたヒップホップスタイルで話題を呼び、日本で最も歴史のあるコンテスト「JAPAN DANCE DELIGHT FINAL Vol.7」にて優勝。
コアなダンサー達からリスペクトを込め「変態系」と呼ばれるダンスのスタイルを世に知らしめたチーム[錯乱武者]、そして当時、ヒップホップ情報を掲載していた数少ないストリートファッション誌「WOOFIN’」でオーディションを行い、VOCALの[Wooh](ウー)を加えたヴォーカルダンスユニット[KAMUI]でメジャーデビューを果たし、ダンサーという枠にとどまらず活躍していたk-enをピックアップ。

今回当企画のはなしを持ちかけた所、これからダンスを仕事にしていきたい後輩たちの参考になるのなら、と快くインタビューに応じてくれた。
数々のアーティストのサポートダンサーや振付の実績、アパレルから商業デザインまで多岐にわたるデザイナーとしての実績、レンタルスタジオの経営など、クリエイターとしてのk-enの半生について、話を聞いてみたが終始笑いの絶えないインタビューとなった。
インタビュアーはk-enの出身地三重でイベントオーガナイザーなどを行っていた新人ライターのshowgoが行った。

ダンスという仕事と親との確執

showgo
お久しぶりです。今年もJAPAN DANCE DELIGHT FINALVol.23が終わりました。錯乱武者が優勝したのがVol.7ということで約16年経ちましたね。僕ももうk-enさんと出会った時と同い年になっちゃいました(笑)。

k-en
時間の早さはおっかないですね(笑)。
今年もFINAL見に行こうと思ったんですが自身のダンスの仕事が入っちゃっていけなくて…残念。観に行きたかったです。本気で応援しながらたくさん楽しみたかったのに。
自身の為にも常に「新しいもの、動いているもの」には注視していたいですし。

showgo
きっと知ってるダンサーも出ていたでしょうしね。まずk-enさんという人物から深掘りしたいなと思っているのですが、ダンスはいつごろから始めたのですか?

k-en
僕ははじめるの遅かったんですよ。
20歳までデザインの専門学校に通ってました。そろそろ就職だって時に「自分は社会をろくに知らないガキだし、本当に何がしたいのか分かってもないのに就職ってどうなんだろうな?」と思ってて。
先が見えてないのに「一つの職に就く」ことが怖かったんですね…。
そしてその頃「家出たいな」とも思ってて。

するとちょうど地方の某テーマパークがオープンする年で、「ショー出演者がケガかなんかで欠員が出て人を探してる。」と、当時登録していた派遣会社から連絡がきました。
そこの社長となぜか仲が良かったので「あいつはノリいいし、ダンスやってなくても出来るやろ!」と…。

ほんと適当ですよね、自分も即答で「OK!」でしたけど(笑)。環境を変えて色々経験したかったし、刺激ありそうで。

でも実際行ってみたら、周りは大阪・東京からきてる本物のダンサーばかり。自分は未経験の上カウントすら知らない(笑)。
そんな状況でもダンサーと仲良くなって色々と教えてもらいました。
今思うと、本当感謝しかありません。それがダンス人生のスタートです。

ただし、自分の両親は開いた口が塞がってなかった(笑)。
「デザイナーになるんとちゃうんかい!!あいつはアホでどうにもならへん!」って(笑)。

showgo
たしかにびっくりしますね笑

k-en
専門学校時代はコンクールで結構賞をたくさん取ってたので、親も期待してたんですね。そこからは勘当状態。
親父は「お前は最低の人間だ。帰ってくるな!」と。10年近くろくに口もきいてくれませんでした。

showgo君とあった10年前位にやっと父親が「三重(地元)に入ってもいいよ」って匂いを出してくれた感じでした。
うちの親父は完全にガンコで堅物だったから、僕の思考・行動は理解できなかったみたいです。

余談ですが、JAPAN DANCE DELIGHT FINALで優勝した時、「さすがにこれは報告の電話してもいいだろ。」と電話しましたが、めちゃくちゃ怒鳴られました。
「お前は最低の人間だ。電話してくるな!」って話すら聞いてもらえず(笑)。

showgo
東京に来たのはいくつ位のころですか?

k-en
上京したのが22才になる年です。某テーマパークと2年間の契約が終わってから。

その2年間でダンサーや外国の演者・ダンサーさん達から色々教えてもらってました。このとき既に「ダンスで食っていきたい!」と思ってました。
ストリートダンスの方はいなかったんですけど、「ダンスで食べていくならバレエとジャズをしっかりやりなさい」って当時の振付師さんに言われ、教えてもらってました。
ストリートダンス一本に絞るのは、まだまだ先の話ですね。

早すぎた日本一と挫折。

k-en04

showgo
DELIGHTを優勝したときの話もお聞きしたいと思ってたのですが。

k-en
覚えてるかな~。かなり昔ですし…
自分に都合よく思い出に色つけて話ちゃいますよ(笑)。

[錯乱武者]のメンバーとして入ったのは、僕は一番最後でした。
優勝する2~3か月前位でしょうか。

当時、ストリートダンサーが駅前に少しずつ出てきてた頃で、スタジオにも[ヒップホップ]ダンスのレッスンが出始めてきて、スタジオFaith赤坂 (※代表:宮田さん[Spartanic Rockers])で深夜に練習会があり、そこに呼んでいただいたら[錯乱武者]がいました。

「あ、錯乱だ!」って思った(笑)。

自分が加入前の錯乱は当時「RAVE2001」にも出演し、アングラで注目されてたチーム。

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