その愛が何を生むのか?〜梅棒 6th OPUS 『GLOVER』レビュー〜

世のサラリーマンには梅棒を見てほしい。雑でわかりにくい資料を提示して、根拠なく「思いは伝わる」という人を見るたびに、私は「梅棒を見ろよ」と思うのです。あれだけたくさん伝えるための論理的な工夫を丁寧に積み重ね人だけが、最後に「気持ちだ!」と言える資格があると思うのです。そして人の心をつかむことができるのです。
今回のレビューでは、10月に開催された梅棒 6th OPUS 『GLOVER』を取り上げます。

梅棒 6th OPUS 『GLOVER』とは?

梅棒は、「踊りは気持ちだ!」をコンセプトに結成された、エンタテインメント集団。セリフを使わずJ-POPの歌詞とジャズを中心としたダンスでストーリーを伝える独自のスタイルで、劇場型エンタテインメントを提供します。2012年に『Legend Tokyo chapter.2』で優勝して以降、意欲的に舞台公演を開催しています。動員数は第1回公演から順調に伸び、6作目となる今回の会場は東京グローブ座。キャッチコピーは「愛、超ド級。」「遠い先の未来」「出会ってしまった2人」。高さを生かした大がかりなセット、壮大なSFストーリー、豪華ゲスト陣。あふれるメジャー感をまとい、超ド級の感動を観客を届けました。

ストーリーの舞台は、約300年後の未来。この世界では地上にはロボット立ちが徘徊し、人間はそれを避けて地下に住んでいます。発端は天才科学者の兄弟、吉田ベルリネッタ(塩野拓矢)と吉田テスタロッサ(梅澤裕介)、そして彼らにいつもリードを奪われて悔しい思いをしている科学者・中田カウンタック(鶴野輝一)のいざこざ。ある時カウンタックは、吉田兄弟を出し抜く高性能な人型ロボット・ジュリエッタ(梅田彩佳)を発明します。しかし事件が起こり、自分の作ったジュリエッタが傷つけられたことに怒りを感じた中田は、自分と吉田兄弟が作ったロボットたちを引き率いて人間を攻撃するようになりました。
人類を滅ぼそうとする中田率いるロボット軍団、それに立ち向かう吉田兄弟たちレジスタンスチーム、そして彼らの戦いを避けて地底に身を潜める地底人たち。3つのコミュニティーが出会い交流を持つことで、争いが続く世界に変化が訪れます。

魅力的なゲスト出演者

今回の作品では、カンパニー外のゲストが主演を務めました。
ヒーロー・ロメオ役の大貫勇輔さんは世界で活躍するダンスアクター。容姿端麗。こんな高貴な雰囲気のダンサーが梅棒のギャグ漫画のような世界に入っていくとどうなるのか? 作品の中の大貫さんは常に輝いていて、ダンスはもちろん素晴らしいんですが、それ以上にこんな美しい人が舞台上にいて「立っているだけで面白い」ということに私はとても感動しました。手すりに足をかける動作だけでも面白い。顔にエプロンの布がかかり、その布を邪魔そうに表情をゆがめるだけでも面白い。ロメオの動き一つ一つに大いに笑わされました。

ヒロインであるロボットのジュリエッタを演じたのは元AKB48の梅田彩佳さん。無邪気に瞳をキラキラさせる姿がとても愛くるしかったです。梅棒作品のヒロインは毎回とても魅力的ですが、今作品のジュリエッタは格別でした。荒れ果てた不毛な土地で、花を編んだみずみずしい首飾りが彼女の可憐さを強調します。

ジュリエッタは自分の力を制御することができない怪力ロボットなので、彼女のちょっとした動作に周りの人たちはオーバーに振り回されます。もちろんジュリエッタの愛らしさは梅田さんの魅力あってのものですが、ジュリエッタのキャラクターを目に見えるものにするには、振り回される登場人物たちの息の合ったリアクションが欠かせません。そうやって一致団結でヒロインの魅力を盛り立てているところが私はわけもなく好きでした。

ロボットダンス、ブレイクダンス

ダンスで印象的だったのは、GeishaのMarcoliniさん、NANOIさん2人が演じたロボットのロボットダンス。この2体のロボットは、舞台にいる時間が非常に長く、その間は常にロボットの動きをしていますが、それでも見飽きることがありません。頭や手首のちょっとした動かし方のニュアンスやポージングの多様さに、つい視線が吸い寄せられます。
『抱きしめちゃいけない』では、元であるAKB48/アンダーガールズの振付をキャストが踊る場面がありますが、そこでもこの2体だけはロボット風にアレンジした動きで踊ります。それも新鮮でした。

曲では、大切な人とのすれ違いを表現するシーンの『ここにしか咲かない花』がよかったです。
歌詞「雨上がりの道は泥濘むけれど」に合わせてピッコロ(松浦司)が転び、そこからブレイクダンスのフロアムーブにつなげます。ブレイクダンスは一般的に力強くたくましいイメージがあると思いますが、ここでは歌詞を利用した入りがとても効果的で、悲痛なシーンを見事に表現していて目からうろこでした。
全編を通して安定したダンスを披露し、常にヒーローのオーラを放つロメオが、この曲でだけ軸がぶれぶれで踊るのもまた胸に刺さりました。

誰のためのテクノロジー

吉田兄弟が作ったロボットは、科学者がヘッドギアをかぶることにより動きをコントロールできるように調整されています。私はこの設定がすごい発明だと思いました。同じ舞台上で同じ振付で踊っているのに、一人がヘッドギアを装着するだけで、ロボットと人間、操る側と操られる側という状況が表現できるんです。そしてその演出は、悪役中田カウンタックの感情を表す手段として効果的に使われます。

物語の序盤に自分が作ったジュリエッタを破壊され怒った中田は、ヘッドギアをかぶり吉田兄弟のロボットを乗っ取ります。ここでは中田と同じ動きをするロボットの数だけ、中田の怒りが増幅して感じられます。
また終盤の大決戦、ロボット軍団とレジスタンスチームが掛け合いで踊るシーンでも、中田はヘッドギアをかぶります。その瞬間に気付くんです。どんなにロボット軍団が多勢に見えても、その怒りは実はロボットを操っている中田たった一人のものでしかないんだと。中田の孤独が丸見えになってしまう。見てはいけないものを見た後ろめたさ、人の弱さを知ってしまった悲しみ、いろいろなものが混じり合い、胸にくる瞬間でした。

レジスタンスチームの切り札が電気やコンピューターの力を必要としない、即席で作られた非常にシンプルな道具だったことが、私はとても示唆に富んでいると思います。何かと闘うは言い過ぎですが何かに備えるとき、何かチャレンジをするとき、人は重く複雑で強固な武装を好みがちです。しかし、それはしょせん天才になれない人の考えだということは中田を見ると感じます。
似たようなことは現代の企業内でも起こっていることだと思うんです。昔みたいに時間をかけて大きなもの地道に作って発表するより、周りを巻き込み情報を素早くシェアしその期間で可能な要件のものを短い期間でリリースすることが求められる。そういった点でも身近な出来事のように思え考えさせられました。


「愛があれば大丈夫」「愛さえあれば何もいらない」。そんな風に人生を思っていた時期ありました。しかし大人になって、愛を極端にプライオリティの上位に持ってくることはリスキーな生き方だと思うようになりました。だって愛する人はある日突然死んでしまうかもしれないから。そしたら生きる目標がなくなるかもしれません。
たまに思うんです。仮に地球上で自分以外の人間が死んで愛することができる対象がいなくなってしまっても、私はたった一人でも前を向いて生きていきたいと。そしてそのために必要なものは何なのか?それは愛ではないと思うんです。そう思っていたんです。

そんな私がこの作品の中で一番「これだ!」と思ったのは、終盤にある鉢植えに向かって登場人物たちが祈るシーンです。このシーンで彼らは、死んでしまった仲間に対して祈りをささげます。これは私の想像ですが、きっと彼らはこれから定期的にみんなで集まって鉢植えに向かって祈るんでしょう。そこから新しい習慣だったり、信仰だったり、文化だったり、哲学だったり、人間が生きていくために大切な、新しい営みが始まるんです。愛する人がいなくなっても新しく始まる何かがきっとある。愛する気持ちが強ければ強いほど、大きな何かが生まれる。そんな希望を感じることができたので、あのシーンは私にとってすごく意味のあるものでした。
次回の公演は来年6月。詳しいことはまだ発表されていないので、続報に期待です。

【公演概要】
東京公演:2016年10月15日(土)〜10月23日(日)東京グローブ座
大阪公演:2016年10月25日(火)〜10月27日(木)森ノ宮ピロティホール
上演時間約90分

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