「ダンサーが、アーティストとして認められる方法を探して」EXILE ÜSAインタビューvol.1

ストリートダンスをキーワードに活動するダンスカンパニー/ダンサーのアジア域内での交流と共同制作を支援するプロジェクト「ダンス・ダンス・アジア~クロッシング・ザ・ムーヴメンツ~」通称DDA
3月24、25日には東京公演も決まっており、現在着々と準備が進んでいる。

今回Dewsでは、同団体のWEBサイトにて行われている企画「TALK LIKE DANCING! ―オドルヲカタル!―」と連動し、豪華ダンサーのインタビュー記事の一部掲載がスタート。

こちらは、なぜ彼らは踊り始めたのか?そして、ダンスは彼らの人生をどう変えたのか?アジアのダンスシーン最前線で活躍する人々へインタビューへのインタビュー企画となっており、今回第二弾はEXILEのパフォーマーとして活躍し、現在はエンタテインメント・プロジェクト「DANCE EARTH」を通じてダンスの素晴らしさを伝え、その可能性を追求するÜSA氏にインタビュー。
【VOL.1】ではダンスとの出会い、パフォーマーとしての地位を確立するまでを振り返ってもらった。

ダンサーが、アーティストとして認められる方法を探して

——-ÜSAさんがダンスと出会い、のめり込んでいかれたきっかけから教えてください。——-

もともとは、ダンスを踊るようなタイプとはほど遠い感じの小学生でした。
当時は身体も弱かったですし、表に出てなにかをするような目立つタイプではなかったんです。どちらかといえば、恥ずかしがり屋でしたから(笑)。
 でもいつからか、どこからともなく自分の中にエネルギーがあふれてきて、それをなにかで表現したいと思うようになりました。でも、それを表現する方法をなかなか見つけられなかったんです。
 そんなときに偶然、MCハマー (編注:’90年代を代表するアメリカのミュージシャン、ダンサー。2ndアルバム『プリーズ・ハマー・ドント・ハーテム』は、全世界での売上枚数が1000万枚を超えるヒットとなった)だったかな? 彼の姿をテレビで観た瞬間、「あ、これなら俺にもできるかも!」と思ったんですね。
 まあ、安易なきっかけではあるのですが、彼を真似してみたらそれがどんどん楽しくなって、さらに人前でやってみたら快感だったんですね。それで「自分の中に貯まっていたエネルギーを表に出す方法はこれだ!」と感じて、のめり込んでいきました。

——-目立つタイプではなかったというお話ですが、たとえば体育の実技などは率先してやるタイプだったのでしょうか。——-
体育は好きだったのですが、どちらかというと苦手だったのは音楽でしたね(笑)。音楽の授業には歌のテストがあって、出席番号順に歌っていくじゃないですか。いきなりみんなの前に立たないといけないし、音程を外すと大爆笑が起こりますよね。それで音楽の時間にはちょっとトラウマみたいなものを感じるように……(笑)。あと、当時は小児喘息だったので、激しく動くとちょっと発作が出ることもあって。その二つが当時の自分にはコンプレックスになっていました。

 だから普通だったら、ダンスなんてもうその時点でやらないかもしれません。でも実はダンスって特別な道具はいらないし、音楽に合わせて頭を振る、ジャンプする、手を叩く……それだけで成立するものなんですよね。だから僕も気軽に始められたし、音楽に対するトラウマや身体を動かす大変さを乗り越えることができたと感じています。

——-そこでダンスの持つ力を実感して、さらに続けてみたいと思われたのですね。——-
ええ。もう単純に踊ることが面白くてしょうがなかったんです。MCハマーや、EXILEのリーダーだったHIROさんが参加していたZOO(編注:’89年に結成され、’95年に解散したダンス&ヴォーカルユニット。代表曲の『Choo Choo TRAIN』は’03年にEXILEがカバー)というグループへの憧れを入口に、ヒップホップをどんどん掘り下げることでダンスにハマっていきました。

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