日本ヒップホップ第一世代 HORIE “Harucalloway” HARUKI【Dewspeak vol.09】

言わずと知れた日本ヒップホップ第一世代であり、今尚第一線で踊り続けるリビングレジェンドHORIE “Harucalloway” HARUKI from Sound Cream Steppers。
時代と共にあらゆるダンスを習得し、16歳キャリアスタートから現在50歳に至るまで常にシーン最前線に君臨。
ダンスと共にMCもこなしJAZZミュージシャン顔負けの強烈すぎるキャラクター性も兼ね備える。
またダンス、音楽への知識の豊富さでも知られシーンにおいてヒップホップ伝道師的存在となり絶大な支持を得続けている。
そんなヒップホップ伝道師HORIE氏の歴史を振り返り、ストリートとは、ヒップホップとは何なのか・・・TAKUYA(SYMBOL-ISM)が熱い対談を試みる。

TAKUYA
HORIEさんとは昔から何度も僕はお話させて頂いてますし、HORIEさん自身もSNS等を通じて個人発信を積極的にされていて多分多くの方がHORIEさんの言葉に多大な影響やヒントを受けていると思うのですが、今回は改めてHORIEさんの歴史も振り返りつつ、僕自身今だからこそ聞いてみたいなと思う事もあり、現代に置き換えた時にどう考えるかのヒントになるようなお話が聞きだせるのではと思っています。宜しくお願いします。 

HORIE
はい。宜しくお願いします。

TAKUYA
まず基本的なところなんですけど、現在50歳になられたHORIEさんのダンス歴はどのくらいになるんですか?
僕も出演させてもらったSound Cream Steppers 20周年パーティーが何年か前に。

HORIE
20周年が2013年だから、つまり今チームは25周年かな。
そこからプラス10年と考えて自分自身のダンス歴は35年くらいになるのかね。

TAKUYA
なるほど、という事は1983年からスタートしたんですね。
つまり映画『ワイルド・スタイル』の公開と共に影響されたヒップホップの世代っていうことですよね。

HORIE
第一次、第一の矢。
いわゆる原宿ホコ天時代だね。

TAKUYA
当時、HORIEさんがホコ天に通いだしたのはいつですか?

HORIE
確か、高一か高ニかくらいの頃だね。

TAKUYA
そこから始められたということですね。
以前からよくHORIEさんともお話させてもらったんですけど、ブレイキングの中でも技じゃないみたいなところの着眼点というか・・・。
僕も少なからずブレイキングをやっていた時期があるんですけど、やっぱりやり始めは派手なものに目がいきがちで、しかも今の時代だと想像しにくいですが、あの入ってきた瞬間て、恐らくああいったダンスの実態を捉えるのも相当なセンスを要すると思うんですよね。
でもHORIEさん方は早々に大技のみじゃない部分に拘って、見え辛い部分に時間をかけて、みたいな印象があって。
僕の中では第一次シティーボーイダンサー?みたいなイメージですけど、いきなり着眼点が「ダンスとしてスタイリッシュにブレイキングを捉えていた」みたいな。
それって何故早い時期から気付けたのかなと。

HORIE
『ワイルド・スタイル』っていう映画のプロモーションで、ニューヨークのダンサーとDJとラッパーとグラフィティアーティストが総勢26名ぐらいで世界ツアーを回ったときに日本にも来ていて、テレビ出演して、それが置き土産になるわけだよね。
俺たちの最初の教科書になる。
『笑っていいとも』とかニュース番組とかにも取り上げられていて、当時のMYSTIC MOVERS(ミスティックムーバーズ)というチームメイトであり、高校生の僕の同級生でもあるCake K(ケイクケー )がベータマックス(ソニーが販売していた家庭向けビデオテープレコーダおよびその規格)で全部録画してたんですよね。
そこでのROCK STEADY CREW (ロック・ステディ・クルー)の踊り方がベースになるんだけど、その83年組と言われる今のROCK STEADY CREWじゃなくて、83年のメンバーの踊り方っていうのは当時はジャジーとかって言葉知らなかったけど、今で言えばジャジーな踊り方をしてたわけだよね。技をやらないんだよ。
とにかく出てきてちょっとトップロック、立ちのステップを見せてから、パッとフットワーク入って、サラッと帰っていくわけね。
全員そんな感じなわけよ。最初の教科書がそれだったからというのが大きいのかな。

TAKUYA
自然とそうなったわけですね。

HORIE
そう。
足技とかを競い合うものなんだなっていうのは捉えたよね。

TAKUYA
完全第一世代ですよね、その発想が。

HORIE
もちろんウインドミルとか技も全然興味あるんだけど、俺らはフットワークのつなぎだとか、トップロックからフットワークに入るときのドロップのパターンだとか、そういう事を競い合うものであって、体力勝負とか回ったもん勝ちっとかていうのは、かなり初期からダサいねってMYSTIC MOVERS内では言い合ってたよね。

TAKUYA
その後に日本の中でパワームーブの進化がすごくなってきて多くの人の興味がそちらに向かっていく中でも方向性は変わらずですか?

HORIE
人それぞれ自由だよっていう感じで技をやる人はやればみたいな。
ただうちらはうちらで打ち出すものはあるよっていうだけの話だったかもね。
でもすごい誇りがあって、例えばウインドミルを抜く人とか、ヘッドスピンを回る人もいたけど、その前に「普通のフットワークできてねえじゃん」とかって言ってた。
普通のフットワークできてないのにそんな技とかをやってるっていうのは、ちょっとこう、アホっていうか、一発屋?ダンスじゃねーだろうっていう感覚は当時あったんだよ。
だから幸運にもROCK STEADY CREWの踊り方を見てそのままいけたんで、ダンス的にブレイキングを捉えることができたんだろうね。
ちゃんと手順があって、ウインドミル合戦ならウインドミル合戦で行くんだけど、通常はもっとジャジーなもの、要するにフレーズ合戦なんだよっていう。
どういうフレーズ持ってんの?俺はこういうフレーズあるよっていうので戦うものであって。
当時色んな方々とお話させてもらってもその話をみんな「あ、いや、注目してなかったそこは」って誰もがそう言ってました。

TAKUYA
なるほど。

HORIE
そういう部分で言うと内股、鍵足というキーワードは俺たちMYSTIC MOVERSが最初に着眼したかもしれないね。

TAKUYA
当時の原宿ホコ天にはどんなBBOY達が集まったのですか?

HORIE
AKIRA(CRAZY A)さん達東京ビーボーイズの人達はセンスがいいから何をやっても凄くかっこいいんだよね、ホコ天では兄貴分だしね
それと兄貴分と言えばB★5 CREWもよく一緒に練習したよ。
B★5 CREWにはGOTOさんもいて、直ぐに友達になったりしてさ。
それからTOKYO BE BOP CREWも兄貴分だった、OHJI(JUNGLE)さんやEIJI(JUNGLE)さんは俺達MYSTIC MOVERSが“ウソロックダンス”をやっても笑って許してくれたしね(笑)。
そして少し後にホコ天に現れたCHINO達B★ROCK CREWもセンスの塊だったよ。
CHINOは後に日本最高峰のB BOYになるんだけどホコ天に来たときはまだ中学生だったと思う。

ブレイキングはうちらMYSTIC MOVERSが細かく研究していたから内股鍵足フットワークを兄貴達に認められてホコ天で立場を得たんだよ。

これも面白い話なんだけど、MYSTIC MOVERSの大事な教科書、ROCK STEADY CREWが来日したときの、テレビの置き土産をAKIRA(CRAZY A)さんたちに見せようって言ったの俺が。AKIRA(CRAZY A)さんたちにもこの良さを解ってもらおうと思って。
しかしCAKE Kは、「あれは大事なものだからAKIRA(CRAZY A)さんとはいえ他のチームには情報公開したくない」っていったんだ。

TAKUYA
AKIRA(CRAZY A)さんたちの原点てどこなんですが?

HORIE
AKIRA(CRAZY A)さん達も勿論同じようにROCK STEADY CREWも見てるし、ちょっとしたニュース映像も見てるんだけど、手当たり次第にやっていたという感じだと思うんだよね。
うちらMYSTIC MOVERSみたいにニューヨークスタイルをはっきりと打ち出してなかった。かっこいいはかっこいいんだよAKIRA(CRAZY A)さん達も、センスが凄すぎて。
だけどROCK STEADY CREWの良さをホコ天で一緒にやってるし、解ってもらおうよと思ったけどその時にCAKE Kは嫌がったんだ。
でも俺は性格がオープンなんで「いいものは見せよう!ファミリーじゃん」って言ってて。

TAKUYA
CAKE KさんはMYSTIC MOVERSの色をちゃんと持っておきたかったって事ですよね。

HORIE
そうそう。
俺はもうAKIRA(CRAZY A)さん達にもどんどん広めたかったんだよ。
それで結局AKIRA(CRAZY A)さん達に見せて説明したのよ。
「内股じゃないすか」「鍵足じゃないすか」って。
そしたら今度AKIRA(CRAZY A)さんの方が火付いちゃって。

TAKUYA
なるほど、そっちを鍛え始めるようになる。

HORIE
そうそう。NAOYAくん(ZOO)もそこからだね。
そこから「あ、これだ!」みたいな。
本当の初期はね。

80年代時代背景


TAKUYA
今こんな話をサラッとさせて頂いてますが、勿論今みたいにヒップホップっていう言葉もまだ浸透していない時代ですよね。
まだ特別なアンテナを張っている人しかやっていない時代ですよね。
多分かなり特殊な人達しか始めないというか。

HORIE
そうだね、今始める人達とは人種が違うよね。
最初ニューヨークからヒップホップを紹介されてさ、俺は割と普通の高校生としてヒップホップに入っていったんだけど、大抵はアウトローばかり。
原宿で出会ったAKIRA(CRAZY A)さん達とつるみだしたら、あの人達は半年前まで族だったから、ヒップホップになったとは言え、やり口が族なんだよね。
だから俺はそれで鍛えられたね本当に。
AKIRA(CRAZY A)さん家行くと、ちょっとした写真とかあって、パンチパーマで特攻服着てるし、それが半年前の写真だったりして。
俺普通の高校生なのに、とにかく帰してくれないわけよ。
明日学校あるから、終電で帰るといっても「いいじゃんいいじゃん、そんなんでヒップホップとか言ってんだ」とかって言われる。
そうするとこっちも意地があるから帰らなくて。
とにかく朝まで遊ぶことを覚えさせられたり、今は社会のモラルがはっきりしちゃったからありえないけど、当時は高校生ディスコっていうのがあったからね。
新宿あたりの高校生が行きやすいディスコがあるわけよ。
土曜の夜は必ず高校生が行って。

TAKUYA
夜中なんですか、昼にやるとかじゃなくて?

HORIE
朝まで、ディスコ。

TAKUYA
さすがに酒は飲まないですよね?

HORIE
酒は飲まないね、酒は飲まないけどケチャップは持っていく。
ディスコに行くとポテトが山盛りにおいてあるのよ、フライドポテトとピザがあって。
だけど全部味が薄いのよ。だからケチャップをもってってかけて食ってたね。

TAKUYA
そこは踊りに行ってるんですか?

HORIE
うん踊りに行ってる。
新宿の高校生ディスコと言われていた「ゼノン」とか「ニューヨークニューヨーク」とかそういうところは、ほとんど高校生なんだよ。

TAKUYA
HORIEさんはその時既にダンスをやってたんですか?

HORIE
うん、ちょっとやってた。でもブレイキングとかまではしない。皆でただただパーティーしてる。
でも土曜の夜の歌舞伎町とかのパーティーぶりは現在では信じられないよね。
もう秋葉原の日曜日みたいになってるわけよ。何の祭りだみたいな。
それだけディスコの時代だったんだね。
82,3年だから、いわゆる70年代の大ディスコブームの最後の時代だと思うんだ。

日本初のストリートダンスバックダンサー


HORIE
そんな時代に始めた最初の日本のブレイクダンサー達はまず生意気な感じだったんだよ全員。誰にも頭下げないような連中ばっかりで。
芸能界とかに行っても、ヒップホップの事を誰も知らないから、自分らが好きな踊りを踊って帰ってくるわけ。だから楽しくてしょうがないよね。
誰にも指図されないんだから、「なんで揃ってないの」って聞かれても「いや、こういうもんですから」って、どんどん生意気になるよね。
それでAKIRA(CRAZY A)さん達は、最初やってた風見しんごさんのダンサーも外れちゃうわけ。

TAKUYA
自ら。

HORIE
そう。それで風見しんごさんのコンサートツアーするのにオーディションをするって言うので、AKIRA(CRAZY A)さんに進められてオーディションに行ったんだよね。

TAKUYA
HORIEさんは第二次なんですね。

HORIE
いわゆるコンサート部隊、ツアー部隊だね。
受けたのが、ホコ天のNAOYAくん(ZOO)とか俺とかベンさんて言われてる人とかCake K、あと今で言うラッパーのGANXSTA DXとかが受けてみんなで受かって、みんなでツアー行った。
けど今から考えると想像を絶するツアーなんだよ。
おれは普通の高校生だったけど、あとの奴らはクソガキだからツアーに連れて行く大人も困っただろうね。
ある日、そのベンさんって人と、GANXSTA DXが一人の女を奪い合ってステージ袖で喧嘩してるわけよ。
「なんだこら、事務所来いよ!この野郎」とか言い合ってるわけ。俺はちょっとどうしよう、本番始まるしとか思って。
そのうちこう本番になったらオラオラ言いながらステージに出ていくんだよね。
客に見えた瞬間に笑顔になって手繋いだりなんかして(笑)。
一通り踊ったあと、三曲くらい踊ったあとまたこう袖に帰ってきて、また始まるんだよ。
もう漫画より面白かったね、その日常のほうが。

TAKUYA
すごい時代です(笑)。
まだ十代ですもんね。
でも本家ROCK STEADY CREWとかのエピソードに近いですよね。

HORIE
後々聞くと、世界中のアウトローがダンスの最初の世代だっていうくらいだからね。今のバックダンサーじゃありえないよ。
楽屋で何をしてるかって言うと、一生懸命今夜泊まるホテルの名前と自分の部屋番号を書いて、それをいっぱい紙に書いてポケットに詰めたり、おしぼりの中に挟んだりとかして仕込んでステージ行くわけよ。それで一番前に居る可愛い女の子にそれを渡す、踊らないで渡してたねみんな。

TAKUYA
今じゃ考えられないですね。
一発でクビですよ(笑)。

HORIE
あとは、鹿児島の方で仲良くなった女の子を福岡まで連れてきちゃったんだよね。
そしたらマネージャーに踏み込まれて「お前ら女居るだろ」って怒られたんだ。
「お前ら業界ではタブーなんだから駄目なんだぞ」とか教えられたりして。
大人に色んなこと教わったよ。

TAKUYA
じゃあストリートダンスでは、HORIEさん、AKIRA(CRAZY A)さん達が一番最初のバックダンサーってことですかね?

HORIE
に近いと思うんだよね。
ただ正確にはその前の村山タカシさんとか、ファンキージャムとかはもっと独占だったと思う。
半年くらいしか変わらないんだけど。

TAKUYA
その方々は、芸能人のバックダンスもしてるんですか?

HORIE
してるよ。
村山タカシさん達、GOTOさん(Sound Cream Steppers)もそこに入ってたけど、年間に400ステージやったって言ってたからね。

TAKUYA
えー、毎日以上ですね。

HORIE
毎日以上。仕事があるわけだよね。
あらゆる事をやってたんだよね、「8時だよ全員集合」に出たりとか。
とにかく日本でまだブレイクダンスが出来るのはその人達しかプロチームはいませんっていう時代があったんだよね。

80年後期ダンス引退、そして復帰

TAKUYA
その後、80年代後期は、一度ダンス自体をHORIEさんが辞められてるんでしたっけ?

HORIE
うん。
高校三年間、ホコ天で3年踊って、もう体がおかしくなっちゃってさ。
怪我が全部に出ちゃってもう老人みたいになっちゃった。
首はおかしいわ、腰はおかしいわ、足首は変になってるわ、まっすぐ寝られなくなっちゃったんだ。
まあそりゃそうだよね。
ストレッチなんか知らないし、しっかりした知識もないのに朝起きてから寝る直前まで踊って、そんな生活を高校三年間ずっとやってたから。

TAKUYA
そうですよね。

HORIE
身体おかしくなって、もう辞めざるを得ないって絶望してるわけ。
19歳ぐらいでもう駄目だと。
痛くてしょうがないんだもん、身体が。

TAKUYA
なるほど。
その後の、僕が知る限りだとTV番組『DANCE DANCE DANCE』とかに飛んじゃうんですけど。

HORIE
その間の2,3年俳優修行してたから。

TAKUYA
その話、聞いたことあります。

HORIE
もう身体使えないだけど人前で自分自身をプレゼンテーションする喜びは覚えちゃってるから、諦めきれないわけよ。
表現者としての道をね。
それで身体使わないでもいい勉強をしようと思って、俳優学校に入ったんだよね。
俳優学校の方にいくと、セリフとか心情とかで表現できて、2,3年俳優やってるうちに身体がきれいになって踊れるようになった時にちょうどランニングマンとか第二次のニューダンスブームがきたんだよね。
俳優頑張ってたからそんときには実は乗り遅れた感はあったんだけど、ランニングマンとかロボコップとかをNAOYAくん(ZOO)とかAKIRA(CRAZY A)さんとか先に踊ってたんだ。

TAKUYA
もう頭の中で完全にブレイキングとは別ですか?
これは別のダンスだみたいな。

HORIE
ストリートという意味では繋がってるから、ニュアンスはやっぱりルースな感じが良い、っていうのは繋がってたかな。
あとKAZU(STRUT)さんとかが「HORIEくんはもともとB-BOYだから床入れてもいいんだよ」みたいに言ってくれたんだよね。

TAKUYA
なるほど。

HORIE
「ランニングマンだけで締めるのはそれしかできないやつがやることで、HORIEくんとかは、入れるんだからガンガン入っていいんだよ」って。
それが自信になったりしてね。
KAZUさんとかAKIRA(CRAZY A)さんとか、兄貴分にそれはありだよ、それは駄目だとか、ポップは入れちゃ駄目だとか、オールドスクールだと思われるから気をつけろ、みたいな。

TAKUYA
(笑)。
なるほどー。

HORIE
ブレイキング出身の人は、ランニングマンくらいだったらまあ簡単なわけよ。だから今度の時代は結構楽なの来たなみたいな。
体壊さなくて済むぞっていう。
立ちでランニングマンでいいんだって。
あー身体が楽だっていう感覚はあったかな。

TAKUYA
確かに身体的に言うとある意味無理は無いですもんね。
それで番組に出てからMEGAMIX(メガミックス)に入られるじゃないですか。
今だから聞ける変な話ですけど、僕からしたらMEGAMIXってBE BOP CREWで。
東京ビーボーイズ側にHORIEさんもいたわけですが、当時は派閥みたいなのが激しそうだなと。

HORIE
いや、その時点ではもう乱戦になってた。
東京ビーボーイズもBE BOP CREWもある種オールドスクールの言葉だから、88,9年とかになってくると、実はそんなに機能してなくて、もうゴチャッとなってた。

TAKUYA
なるほど!ではHORIEさんが入ることもその時代では不自然ではなく?

HORIE
だけど、MEGAMIXでお世話になる時には、なぜか新宿のディスコでAKIRA(CRAZY A)さんが、SAMさんに向かって「HORIEをよろしくな」「おお解ったよ」って二人で会話してて、俺を取引してるって思った(笑)。
俺が今譲渡されようとしている。そんな風に見てたね。
でもそうゆうのって面白いね。だから微かには派閥的なものも生きてたんだと思う。
しかしその時代にはZOOのTACOさんとNAOYAくん(ZOO)が一緒に踊ったりっていう昔で言ったら不自然な事してるわけだから、MARKがいたり。
ホコ天になればまず一緒に踊るなんてないメンバーがその時代でゴチャッとなってた。

TAKUYA
それが80年後期なんですね。

HORIE
うん、東京ビーボーイズもMYSTIC MOVERSももはや派閥とかは無かった。
MEGAMIXも俺とかYUKIとかSANCHEとかGOTOさんとかの最終形態だからね。

TAKUYA
そうですよね。
恐らく第三次か四次くらいですもんね。

HORIE
その前にはEIJIさんとかJUNさんとかOZのMEGAMIXもあった。
当時、テレビの収録の時にはSAMさんがOZとかをJUNGLEから借りてくるわけよ。
けどSAMさんは自分のチームじゃないし、いちいち外注で借りてこなきゃいけないから大変だったんだよね。

TAKUYA
そうなんですね。

HORIE
自分のチームではないし、半年くらい前にはある意味裏切られてるような仲間を呼ばないといけないわけだから。
で、俺がSAMさんの心のスキマにすっと入って(笑)。
JUNGLEのあっちの方からいちいち外注とかしないでも俺を頼ってくださいよって。

TAKUYA
(笑)。

HORIE
「SAMさんのチーム作ったらいいじゃないですか?」って言ったんだ。
ニュージャックとか、ホーシングとかジャイブとか新しいのを取り入れていって、ニュースクールのダンスを打ち出していった方がいいですよって言った。

TAKUYA
なるほど。

HORIE
俺も半分は自分の為に言ってんだけどね。

メジャー、アンダーグラウンドについて

TAKUYA
MEGAMIXの最終形態、つまりHORIEさんがいる時代のMEGAMIXはデビュー時のTRFじゃないですか?
その後TRFをHORIEさんが辞められたのには、理由があるんですか?
メジャーとアンダーグラウンドの分かれ道的な。

HORIE
メジャーに対してマイナスなイメージは、実はそんなに無かったのかな。
例えば小室さんの音で踊るって別に悪いことでは無いし、もともとTRFの直前くらいに俺とGOTOさんは小室さんの仕事をやっていたんだよ。
小室さん&HORIE、GOTOみたいな、結構地方回ったりだとか。だから全然悪くはないのよ。

TAKUYA
じゃあTRFとしてそのままやっていく事もありだったのですか?

HORIE
良かったんだけど、俺達も生意気だったしね。

TAKUYA
当時はまだ若いですもんね。

HORIE
そう、25,6歳だから、生意気で。
「自分らのやりたいようにやっていくわ」と非常に抽象的な主張があったような気がするけどね。
YUKIとGOTOさんと気が合ったし、三人でいるとあんまり上下がないから気楽でいられるんだよね。

TAKUYA
じゃあ芸能界での活動が嫌とかではなかったんですね。

HORIE
うん、だってさっきの80年代ブレイキング時代だって芸能界の仕事全然してるし。
嫌でも何でもないんだよ。
ただ当時は、方向性の違いとかでチームが別れたとかそういうレベルだと思う。
MEGAMIXだったものが終わってTRFになる人とSound Cream Steppersになる人と別れたっていう。

Sound Cream Steppers

TAKUYA
なるほど。これが90年代初期くらいなんですかね。
実は僕はリアルタイムで見だしたのはここくらいからなんですよね。
『DANCE!DANCE!DANCE!』とかはダンス始めて後々掘って見ていたので。
Sound Cream Steppersとなってからも最初は殆ど映像でしか見れず、96,7年くらいに上京してクラブチッタとかでやっと頻繁に見れるようになり・・・。

HORIE
ちょうどSound Cream SteppersになってやっていたらSTAX GROOVE(スタックスグルーヴ)の吉岡(YOSSY)が「TAKUYAとRYO(RYO aka DJ226)ってやつが九州から出てきているんですよ、面白いやつなんでこないだショーのビデオ見てください」とかって。

TAKUYA
えー!そうなんですか?

HORIE
TAKUYA達のビデオを俺んちに持ってきてたの。

TAKUYA
そうなんですか、それは僕知らなかったです。

HORIE
その頃に重なるね。

TAKUYA
変な話90年代って今以上にしっかりとジャンルを選択しなきゃいけないみたいな時代だったじゃないですか。
僕はハウスです、僕はロッキンです、広くてもオールドスクールかニュースクールかみたいな。
そんな中僕は何でも興味があったんで、結構隠れてというか、ひっそりと何でもやってたんですけど、上京して、「いや全部やっているというかブレンドしちゃってるじゃん!」って思ったのがSound Cream Steppersでした。
当時Sound Cream Steppersを見た時に、「あっ、もしかしたらハウスっていうダンス自体もNYでこうやって混ざってできたのかな?」とか「ヒップホップってものも混ざったその都市ならではのスタイルでしかないのかな」と考えたらSound Cream Steppersのやってる事は、日本の一つのオリジナルなスタイルに見えたんですよね。全部が混ざって新しいものに見える的な。

HORIE
その通りだと思うよ。
もうその時点で10年以上は踊ってるから、考え方も成熟してきてて、そのようにやってたんだと思うよ。

TAKUYA
結構特殊ですよね。今でこそ色んな事が解明されて自分で創っていく事が出来始めたと思うのですが、当時ああいった絶妙なブレンドは本当に高等テクニックだった気がします。
もちろんニューヨークのフレーバーとか作品によってあったり、それこそ前にもお話させていただいたラムゼイ・ルイス(RAMSEY LEWIS)の「JADE EAST」って6拍子の曲。
あれケンスポート(KEN SPORT)のMIX TAPEに入ってたって言ってましたっけ?
あんな曲をよく使おうって思ったなと。
それってとにかく自分達がいいと思うことをただやるって感じなんですか?
流行とか取り入れつつなんですか?

HORIE
それも30%くらいは考えるんだけど、残りの70%は独自路線っていうことの方にスポットを当ててたかな。
あとはネタ物掘るっていうか、正にTAKUYAが思うように、よくそんな曲選んできたね、って言うものを選ぶことに喜びを感じてたりとかしてただろうね。
この曲で、こういう振り付けはまずみんな驚くだろうみたいな事をいつも三人で話してたような気がするね。

TAKUYA
僕あの作品すごいなと思ってて、その音でポッピンニュアンスなノリも入りつつ、ロッキン入ってヒップホップのニュアンスもあって、HORIEさんソロで一瞬ウィンドミル入って、みたいな。
正直若者からしたら何やってんのかなって思いますよね。何にも属してないじゃないですか。
でも不思議と見事に調和してて。今でも衝撃を覚えています。

HORIE
当時も流行があったから、「HORIEさんもっとニューヨークのヒップホップをちゃんとやったほうがいいですよ」みたいな声も聞いてた。
けどSound Cream Steppersの感覚ってのは、そんなんよりこっちは一段上だからっていう感じ。お前らはニューヨークのヒップホップを真似するのがいっぱいいっぱいだからやってるんでしょって。
うちらは全然知識とかあるし、もう一個上を行っててそれを君らが読み取れないだけだよ、と生意気な風に思ってたかもしれない。

TAKUYA
印象的なショーでいうと、布使って映画『スポーン』からインスピレーションを受けたいう噂を聞いたことあるんですけど、あれ本当ですか?布使ってやってたショーって覚えてます?

HORIE
覚えてる覚えてる。
けど『スポーン』は初めて聞いたかな。

TAKUYA
あの布のネタはなんなんですか?

HORIE
Sound Cream Steppersのパターンなんだけど、YUKIがまずおもちゃ箱をひっくり返したようなことを言うわけよ。
「布を使ってやろうよー」ってまず言うわけ。
じゃあ布を使って最終形態までどのようになってるかイメージできてるわけ?ってYUKIに聞くとその後は何も考えてないって言うことになるわけよ。
YUKIみたいなタイプは面白い事とにかく言わせて、吐き出させて、俺が拾って肉付けしてったりしていくのが、Sound Cream Steppersのパターン。
だから俺はYUKIから布というお題をもらって、細かく構築してったりYUKIの考えを汲みながら作っていくんだよね。

TAKUYA
あれは元々誰かがやっていたとかではないんですか?

HORIE
ないと思うね。ある日YUKIが「布使おうよ」って言ったんだよね。

TAKUYA
そういうの多いですよね。
Sound Cream Steppersっていう名前もそうですよね。

HORIE
そうそう。
最初はラップの詩として書いたものでみんなで連発して歌ってたんだよね。
それである日、Sound Cream Steppersにしようよって。

TAKUYA
あの時代ってHORIEさんのクリエイティブな動きがダンス以外でも活発だった印象も強いです。
NAOYAさん(ZOO)と一緒にやっていたのかはわかんないですけど、お二人の映像作品も僕は見たことあって、映像制作やってたじゃないですか?
後に僕がDVDやらで映像作品リリースしていたのはそういう影響もすごいあるんです。
あの時代の映像関係は、HORIEさんが思いついてやりだしたんですか?

HORIE
うん。
俺だね映像は。

TAKUYA
それは何に触発されてやってたんですか?

HORIE
いやただ当時NAOYAくん(ZOO)と結構つるんでてNAOYAくん(ZOO)は音を作ってたのよ。
とにかくNAOYAくん(ZOO)といる時間が長くて、毎朝起きると家に来るんだ。
で夜遅くなるまでずっとうちにいるわけよ。

TAKUYA
90年代中期くらいですか?

HORIE
94,5年とか。
それで俺んちが仕事場になってて、NAOYAくん(ZOO)は一日ずっと音楽のトラック作ったり、ラップの詩とか書いてるわけ。
そうすると俺することないじゃん?
でも力になりたいから、じゃあ映像方面をやろうかなと思って、っていうのがきっかけだったと思うね。
映像とか映画も好きだから、映像的表現が好きだったんで、じゃあ俺は俺でそっちをやるわって、貯金をはたいて100万円くらいで映像の機材揃えた。

TAKUYA
100万円もしたんですか?

HORIE
そのくらいしたね。
当時VX1000という機材でカメラも映像制作始めるには2台くらいないといけないから、編集機もないといけないからって揃えた。

TAKUYA
そんな高いの買って、マジンガーZのアテレコやニューヨークシティブレイカーズの会話とかしてましたよね(笑)。
アニメにダンス用語をはめるやつ。僕見たことあります。

HORIE
そうそうそう(笑)!
それも面白いからね。
とにかく映像制作にハマっていったんだよね。
パソコンの前の時代だから、アナログ編集機で編集してたんだ。

TAKUYA
凄かったですよねあの映像。

HORIE
TAKUYAくらい感性がある人じゃないと笑ってくれなかったけどね。
大抵の人はポカーンとしちゃうようなことをやってたんだと思うね。
とにかくあの時期は心の奥底にあるヒップホップを完成させるために試行錯誤してたんだ。
ヒップホップを貫くんだっていうのは始めた時の初期衝動のまんま生きているだけ。
ヒップホップをずっと極めていくってのが常にあったんだと思うね。

TAKUYA
明らかに周りの皆さんとはやってる事が違った印象です。
もちろん尊敬する方とかいっぱいいるんですけど、チーム単位で、クリエイティブのレベルが高かったですよね。

記事をSNSでシェアする