バレエの歴史を徹底解説!ヨーロッパでの発祥から日本で広まるまで

今もなお私たちを魅了し、進化し続けているバレエの歴史をご紹介します。どんなルーツがあるのか、日本とはどのように関わってきたのか、芥川龍之介が感動したのは、バレエのどの演目なのか…。知れば知るほど、バレエへの興味は尽きなくなるはずです。

バレエの歴史

今もなお、私たちを魅了してやまないバレエには、どのような歴史があり、いつ日本に伝来してきたのでしょうか。ここでは、バレエの歴史を紐解くことで、その魅力と謎を解明していきます。

バレエの始まり

バレエには、言葉を用いずに感情等を表現するという側面と、音楽に合わせて美しく動くという側面があります。双方が、バレエの魅了ですが、ルーツは、それぞれに存在すると考えられています。表現という側面については、古代ギリシャ時代の言葉を使わない演劇がルーツだと言われています。音楽に合わせ美しく動くという側面のルーツは、中世ヨーロッパの舞踏会にありました。はじめて「バレエ」という名称が使われたのは、美しく動くという側面からです。ルネッサンス期のイタリアの宮廷内で、貴族たちが美しく踊る舞踏会で、Ballo(バロ)と呼ばれるダンスが生まれます。そこに歌が加わったものがBalletto(バレ)で、音楽が選定されるようになるとBalletti(バレッティ)になります。そして、このBallettiがあのメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスによってフランスに持ち込まれ、Ballet(バレエ)と呼ばれるようになったのです。

この動画はあくまでイメージですが、フランスに伝わったバレエに確固たる地位を与えたのは、ルイ14世です。太陽王とも呼ばれた彼は、彼自身が踊りました。その為、今では女性ダンサーの方が多いバレエは、男性が踊るものとされていたのです。

バレエの発展

ルイ14世によって確固たる地位を確立したバレエは、女性ダンサーたちの登場によってどんどん発展していきます。特に、1800年代にマリ・タリオーニというスターダンサーが登場すると、バレエ人気はとてつもないものへとなっていくのです。彼女は、ポアントで踊るという技法を生み出し、「ラ・シルフィード」で妖精が宙に浮いている様子を表現したのです。この後、バレエはポアントを履くものだということが定着し、様々な作品が生み出されていく中、19世紀後半についに、振付かマリウス・プティパと作曲家チャイコフスキーの最強タッグが誕生します。彼らがバレエにどれほどの影響を今も与えているかは、言うまでもないですね。「眠りの森の美女」や「白鳥の湖」「くるみ割り人形」は、全てが彼らの手によるものです。彼らがそれを生み出してから約200年。今もなお同じ音楽で、同じ振付のものが踊られているなんて、本当に凄いですね。

これは、今躍られている「ラ・シルフィード」ですが、細やかなパドブレは、確かに宙に浮いているようですね。「ラ・シルフィード」や「ジゼル」のように、爪先しかでない長さの衣装で踊られているものを「ロマンティックバレエ」と呼び、チャイコフスキーとプティパが生み出した数々のバレエを「クラシックバレエ」と呼びます。それらが大いに流行した後、イサドラ・ダンカンらの「モダンバレエ」が生まれ、一口にバレエと言っても、どれなのか判別しづらいという時代がやってきます。

バレエが日本に伝来するまで

バレエが日本に伝来した時期そのものは明確ではありませんが、1911年に、帝国劇場で踊られた「フラワー・ダンス」というものが、バレエ的なものだったのではないかと言われています。その当時、帝国劇場は、日本の文化の中心であり、発信地でした。バレエというものを日本に定着させようとしたのも帝国劇場で、本格的にクラシックバレエを日本人に教えたのは、帝国劇場が雇ったジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシーという人物でした。しかし、その頃はあまり、バレエは日本の人々を魅了しなかったようです。日本人が本格的にバレエに魅了されるのは、1922年に来日した、アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」を見てからです。「瀕死の白鳥」が日本の風土に合っていたのでしょうか。あの芥川龍之介までもが彼女を絶賛し、あっという間にバレエという芸術は、日本に広まりました。奇しくもロシアから亡命してきたエリアナ・パブロワが鎌倉でバレエ教室を開き、東勇作、貝谷八百子といった日本人バレエダンサーを育てはじめたのもその頃だと言われています。

この映像は、「瀕死の白鳥」を踊るアンナ・パブロワです。今のバレエダンサーたちとは体型や衣装がやや違っていますが、やはり美しいですね。このバレエを見て「鷺娘」という日本舞踊が生まれたと考える人もいるように、とにかく見るものを惹きつけてやまないものであることは、間違いありません。死が近づいていることに、全く気がついていないようにも、全てを悟って受け入れているようにも見える踊り方は、どんなに時代が変わっても、アンナ・パブロワにしか踊れないかもしれませんね。

まとめ

バレエの歴史を追ってみると、やはり人間は、バレエというものの魅力から逃れられないのだということがわかりましたね。何百年、何千年もの昔から、人は、人が身体を動かし何かを表現し踊るということから、目を逸らすことが出来ないのです。

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