松山バレエ団「森下洋子」のプロフィール。70歳に見えない驚愕のパフォーマンス動画も
バレエ歴69年、70歳を超えても現役を貫く、バレリーナ森下洋子さん。彼女は、世界的に名誉のあるローレンス・オリヴィエ賞を1985年に受賞された偉大なバレエダンサーです。こちらでは彼女の魅力や経歴についてご紹介していきます。
森下洋子さんは、今もなお踊っておられます。それも、今もなお美しく。
昨年70歳を迎えた彼女は、今年の3月から、13年ぶりの「ジゼル」で16歳のヒロインを踊ります。
1985年に自身が英国で踊り、英舞台芸術の最高栄誉、ローレンス・オリヴィエ賞を受賞した代表作の再演ですが、彼女自身は常に新しい表現を模索しておられるようです。常に模索し、常に計り知れないほどの努力を重ねておられるから、彼女は今も美しく、今も踊り続けていられるのかもしれませんね。
森下洋子さんのプロフィール
生年月日:1948年12月7日 (70歳)
出身地:広島市
受賞歴:ローレンス・オリヴィエ賞 新作ダンス・プロダクション部門 最優秀個人パフォーマンス賞
夫は松山バレエ団総代表の清水哲太郎。
父は著名なフィールドホッケー選手で、広島県ホッケー協会会長を務めた森下準。
祖母・母ともに広島市への原子爆弾投下での被爆者で、森下自身は被爆2世となる。
2人姉妹で、6歳下の妹がいる。
森下洋子さんの経歴
1948年:原爆投下の3年後、広島市で生まれる
1951年:バレエと出会う。広島バレエの草分け的な存在であった葉室潔の教室で学び、後に洲和みち子に師事。
1954年:広島市公会堂で行われた橘秋子の橘バレヱ学校の生徒の公演を見て憧れ、東京に一人でむかい橘バレエ学校でへバレエを習う
1960年:橘秋子に師事し東京で1人住み込みのバレエ漬け生活を始める
1969年:アメリカ留学
1970年:松山バレエ団“白毛女”を見て感動し、松山樹子に師事を願い出るも断られる
1971年:もう一度松山に願い出て、松山バレエ団に所属することになる
1971年:芸術選奨新人賞を受賞。
1974年:第12回ヴァルナ国際バレエコンクールに出場。日本人初の金賞受賞
1975年:文化庁在外研究員として清水哲太郎とともにモナコ公国へ留学。マリカ・ベゾブラゾヴァに1年間師事する
1976年:清水哲太郎と結婚。アメリカン・バレエ・シアターに招かれ、プリマとして世界デビューを果たす
1977年:文化庁芸術祭大賞。同賞は1975年にも受賞している。ヌレエフにパートナーとして抜擢され、ロンドンデビュー
1981年:パリ国立オペラに日本人として初めて出演。毎日芸術賞受賞。モーリス・ベジャールが森下のために大作『ライト』を作成
1985年:第1回服部智恵子賞受賞、日本芸術院賞を洋舞として初受賞。パリ・オペラ座で『るみ割り人形』全幕に主演、またヌレエフと共演した『ジゼル』の演技で、英国ローレンス・オリヴィエ賞を日本人で初受賞。
1997年:女性最年少の文化功労者として表彰される。
2001年:松山バレエ団団長を務める
2002年:日本芸術院会員に
2014年:ヴァルナ国際50週年記念として特別ゲストに招かれ清水哲太郎が振り付けた“鳥の歌”を踊る
2015年からパートナーは刑部星矢に
