バレエのボレロを紹介!バレエダンサーが特徴や歴史を徹底解説
バレエの『ボレロ』について、音楽との関係や、発祥の歴史など、動画を交えてご紹介します。ボレロがどういったものなのかいまいち知らなかったという方はぜひ本記事をご参考にその奥深さを知ってくださいね!
バレエにおける『ボレロ』を、観たことのない方に説明するのはとても難しいことです。『眠りの森の美女』や『くるみ割り人形』をバレエだと考えている方は「これがバレエ?」と面食らってしまうかもしれません。でもどうか、最後まで観ていただきたい。もっといえば、生でプロのバレエダンサーが踊る『ボレロ』を観てほしい。
『ボレロ』にはバレエとか、バレエじゃないとかではない「生きること」「踊ること」に対する渇望みたいなものが込められているのです。
私は、後で紹介するシルヴィ・ギエムの『ボレロ』を幸運ながら観る機会を得ましたが、あまりの衝撃や感動の強さに、しばらく何をしてもまともに集中できないという状況が続きました。どこがそんなに魅力的で、生で観ると動画とは何が違うのか。動画をまじえながらじっくりご説明していきます。
ボレロとは
ボレロの歴史
音楽が印象的な『ボレロ』は、バレエ以外でもCMやテレビ番組、映画にも使われています。聞いたことのある方も多いはず。
この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作されました。
このイダ・ルビンシュタインという女性は、じつはかのクリスチャン・ディオールをも魅了した女性。
パリの装飾芸術美術館で1月6日まで開催され、約80万人が鑑賞したという『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展には、彼女がモデルになった絵画が2点展示されていました。
サンクトペテルブルクの裕福な家庭に生まれたイダがダンスを始めたのは20歳というバレエをはじめるにはかなり遅い年齢でした。
しかし、その美しさと演技力を認めたセルゲイ・ディアギレフが、彼のバレエ団バレエ・リュスに彼女を迎え入れ、バレエ団初のパリ公演に彼女を参加させました。
その公演中『クレオパトラ』という演目で石棺の中から現れて、薄物を1枚ずつ脱いでゆく彼女は、高度な技術を見せる踊りをしたわけではないが、そのエキゾチックな美しさ、ほっそりとした肢体で観客を魅了したのだとか。
彼女の美しさは当時の多くの著名人を夢中にし、アラビアのハーレムを舞台にした『シェヘラザード』に出演した際は、あのピカソが「傑作だ!」と賞賛し、ロベール・ド・モンテスキューは彼女を観るために公演に日参。
プルーストもジャン・コクトーもイダの美しさに心を射抜かれていたそうです。
そんなイダは、幼いころから身体をつくっていかなければならないと考えられている「クラシックバレエ」では一流のダンサーとはみなされませんでしたが、その美貌や存在感、資金力を駆使して『眠りの森の美女』や『白鳥の湖』とは違うバレエを生み出していったのです。
1911年にバレエ・リュスを離れた彼女は、精力的にどんどん作品を作り出し、その中の一つが『ボレロ』でした。
