ユニークで中毒性溢れるヒップホップユニット・ゆるふわギャングを紹介
ヒップホップユニット"ゆるふわギャング"について紹介いたします。ゆるふわギャングのプロフィール、経歴、メンバーの詳細、名曲10選の紹介など、ゆるふわギャングについて幅広くお送りしていきます。
つい先日「ゆるふわギャングのNENEが参加した作品(Chemical Brothersのアルバム『No Geography』)がグラミー賞を受賞」なんて話題も飛び込んできており、現在進行形でホットなものを届けてくれているヒップホップユニットのゆるふわギャング。
今回はそんなゆるふわギャングについて紹介していきたいと思います!
ゆるふわギャングのプロフィール
ゆるふわギャングはラッパーのRyugo Ishida、NENE、プロデューサーのAutomaticからなる、男女2MC&ビートメイカーという構成のヒップホップユニットです。
2016年に活動を開始し、ミュージックビデオの「Fuckin’ Car」はアメリカの超人気ダンスユニット”Major Lazor”のDiploにツイートされ、世界的に有名になるというスタートダッシュを切っています。さらに、その後アルバムをリリースするための資金集めで行われたクラウドファンディングでは、目標額の4.57倍にあたる資金を集め、多くの人々から注目を集めています。
2017年4月にはファースト・アルバム『Mars Ice House』をリリース。2018年7月には2ndアルバム『Mars Ice House 2』をリリース。
時にはユーモラスに、時は毒々しく、時にはサイケデリックに、オリジナリティあるサウンドと、奇抜なヴィジュアルが人々に共有され、日本だけでなく、海外でも注目されるアーティスト・ユニットです。
ゆるふわギャングの経歴
シングル
・2017年8月 「Make Up」
ゆるふわギャングのアルバム
・2017年8月 『Mars Ice House』
・2018年7月 『Mars Ice House Ⅱ』
・2019年3月 ゆるふわギャング & Ryan Hemsworth『CIRCUS CIRCUS』
Ryugo Ishidaソロアルバム
・2016年 『Everyday Is Flyday』
NENEソロアルバム
・2017年12月 『NENE』
ゆるふわギャングのメンバー
Ryugo Ishida
ゆるふわギャングのラッパー。茨城県土浦市出身。
小学生のときに、同級生がロスのお土産で買ってきたくれた2パックのCDや、従兄弟の影響で聴いたZEEBRA『STREET DREAMS』やEMINEM『カーテンコール』などが音楽との出会いとされています。
地元の茨城では、高校時代より”Young Blood Entertainment”というクルーでイベント主宰や音楽活動を精力的に行っており、「第4回9sari Station」のChampも獲得しています。
9SARI STATION VOL.4
また、ビートメーカーであるAUTOMATICと出会った後には、フリーのミックッステープ『1993』もリリースしています。
2015までにリリースしたフリーEPをまとめてアルバムにしたので聴いてください
Ryugo Ishida – 1993 → https://t.co/dO7aYtqDFb pic.twitter.com/WdT2OkSb8z
— Ryugo Ishida (@DudeFunkaholics) June 30, 2016
そして2016年には待望の1stソロアルバム『Everyday Is Flyday』のリリースもされています。
“YRB”
“Fifteen”
NENE
ゆるふわギャングのラッパー。1994年生まれの東京都出身。旧名義をSophieeとして活動していました。
10代の前半でスペインやニューヨークへ渡航するという経験をし、徐々にアメリカのカルチャー、ヒップホップに魅了され、当時はEMINEM「Without me」、「Stan」などを聴いていたそうです。
2016年4月にはフリーEPである『SALT』をリリースし、2017年12月6日には「NENE」と改名し、初のソロアルバム『NENE』をリリースしています。
NENEと改名した理由については、Apple Music アルバムスタッフメモにて、
幼い頃からの愛称だったNENEに名義を変更したのは、彼女のよりパーソナルな面が表現されているからとのこと。Apple Music
と語られています。
“群れたくない”
“High Time feat. Ryugo Ishida”
“Famous”
Automatic
ゆるふわギャングのビートメーカー。茨城出身。茨城では”RANKER JACK”というラップグループと”BIG SCORE”というクルーでイベント主催を行っていたそうです。
子供ができたことをきっかけに一度音楽活動から身を引いたそうですが、再開後、”DRAMATIKS”というチームでDJ・ビートメイクを担当。この時期に、Dear’broという人物を通してRyugoとの出会いがあったそうです。
ここからAutomaticによるRyugoのプロデュースが開始され、『EverydayIsFlyday』までに100曲ほどの没を出す程に音楽制作に没頭したそうです。
この後に現在のゆるふわギャングが結成されます。