世界的影響力を持った伝説のミュージシャン「プリンス」を紹介

ミネソタ州ミネアポリス出身のミュージシャン「プリンス」を紹介いたします。プリンスの名曲・ヒット曲10選とともに、彼のプロフィールと経歴を時系列でご紹介していきます。

プリンスの経歴

幼少期について

1958年6月7日にミネソタ州ミネアポリスで、ミュージシャンとジャズシンガーという間柄の両親の元で生まれたプリンスは、幼くしてピアノ、ギター、ドラムを独学で学んだそうで、7歳にして「Funk Machine」という曲を書いたそうです。

1973年には、Boyz II Men「On Bended Knee」や、ジャネット・ジャクソンの「Escapade」のヒットメーカーでも知られるジミー・ジャムと出会い、当時の思い出である音楽教室で、ジャムはプリンスの圧倒的な才能に気づかされていたといいます。

キャリアのスタート

本格的な音楽キャリアのスタ-トは1975年に、プリンスのいとこであるショーンテルの夫ペペ・ウィリーとの繋がりによってもたらされました。

78年にはワーナー・ブラザース・レコードと契約。79年のセルフタイトルアルバム『Prince』は、ビルボードのトップR&B ブラック・アルバム・チャートで4位、ビルボード200で22位を記録。プラチナアルバムとなったこの作品に収録された「Why You Wanna Treat Me So Bad?」と「I Wanna Be Your Lover」は話題にあがるヒットソングとなりました。

80年代に入ると、プリンスはダブル・アルバム『1999(1982年)』をリリースし、300万枚以上のセールスを記録。そして同名の映画タイトルのサントラにもなったアルバム『パープル・レイン(1984年)』は全米で1300万枚以上の売り上げ、全米興行収入が7,000万ドル近くまで昇るというメガヒットを記録。先にもご紹介している「When Doves Cry」や「Let’s Go Crazy」などの名曲はこのアルバムから生まれました。

映画『Purple Rain』Trailer

その後も1985年の『Around the World in a Day』や、86年、自身が監督も務めた映画『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のサントラ『Parade』、89年映画『バットマン』のサントラ『Batman』などヒットアルバムを続出させています。

90年代の活動

92年、プリンスは発音不明(の為「Symbol」と呼ばれたのだそうです)のシンボルマークをアーティスト名に変更します。

94年頃からは、関係が悪化していたワーナーブラザーズから離脱の為の作品制作を始めたとされています。(99年に正式に離脱)翌年96年には自身のレーベル「NPGレコード」を設立し、RIAAからプラチナ認定を受けたアルバム『Emancipation』や、98年、未発表曲を収録した5枚組のアルバム『Crystal Ball』などをリリース。

さらに99年には再びメジャーレーベルである「Arista Records」と契約し、アルバム『Rave Un2 the Joy Fantastic』をリリース。レーベル設立や離脱、移籍など、売れっ子アーティストならではの激動の90年代でした。

2000年代以降の活動

00年代も実に多くのアルバムリリースをしていて、特に2004年のアルバム『Musicology』は大ヒットを記録しました。

アルバム自体にはグラミー賞「BEST TRADITIONAL R&B VOCAL PERFORMANCE」が贈られ、アルバムに収録された「Call My Name」でもプリンスはグラミー賞「BEST MALE R&B VOCAL PERFORMANCE」を受賞しました。

さらに、2006年『3121』、2007年『Planet Earth』、2009年『Lotusflow3r / MPLSound』など、複数のチャートトップ10入り作品も生まれています。

2010年12月7日にグラミー賞の殿堂入りを果たしたプリンスは、ヨーロッパ、カナダ、オーストラリアでツアーを開催。

2014年に『Plectrumelectrum』、『Art Official Age』と2枚のアルバムをリリースした後、2015年に彼の生前最後のアルバムとなる『Hit n Run Phase One』、『Hit n Run Phase Two』がリリースされました。

2016年4月に57歳で亡くなる

プリンスは2016年4月に鎮痛剤の過剰摂取によって遺体で発見されました。死因については、

ミネアポリス(AP) – プリンスの死因は、ヘロインの最大50倍の威力を持つ強力なオピオイド系鎮痛剤フェンタニルの過剰摂取であったことが、木曜日に発表された検死結果で明らかになった。

この結果は、4月21日にミネアポリスの自宅で遺体で発見されたスーパースター・ミュージシャンの死にオピオイドが関与していたという疑惑を裏付けるものである。

プリンスがオピオイドを処方されていたかどうか、処方されていない場合はどうやって入手したのかは明らかにされていない。少なくとも1人の友人によると、彼は長年のステージパフォーマンスで膝と股関節の激しい痛みに悩まされていたという。Autopsy report: Prince died of fentanyl overdose

とAP通信には明記されていて、アメリカでは処方薬の過剰摂取による事故が問題視もされているそうです。

その偉大なアーティストの死を多くのファンが悲しみ、翌週のビルボードのチャートにプリンスは再び再浮上しました。

また、その年の秋には未発表曲「Moonbeam Levels」を収録した2枚組作品『4Ever』や、その後も数々のリイシューや、アーカイブ版がリリースされました。

おわりに

プリンスについて紹介いたしました。プリンスはリリース作品も多く、さらにはその経歴の数々も内容の濃いものばかりなので、抜粋にはなってしまいしたが、ヒット曲などを含めてプリンスの事を知っていただくきっかけになってもらたら幸いです。

参考

https://www.biography.com/musician/prince#:~:text=Famed%20singer%2C%20songwriter%20and%20musical,with%20the%20Prince%20Rogers%20Band.
https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_(musician)#Discography
https://ew.com/article/2016/04/21/jimmy-jam-remembers-prince/
https://www.allmusic.com/artist/prince-mn0000361393/biography

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