歴史あるバレエアカデミー「谷桃子バレエ団」の経歴や所属ダンサーを紹介!

70年以上もの歴史と伝統を誇る谷桃子バレエ団は、実は今、革新的な作品を生み出し、さまざまな映像作品や舞台作品に団員たちを登場させています。「今」の谷桃子バレエ団がどんな様子なのか、こちらでご紹介してまいりますね!

この映像を見て「バレエ?」となった方も多いでしょう。でも実は、この映像というより、この『滝沢歌舞伎ZERO 2020 the movie』という作品の中に谷桃子バレエ団のダンサーの方がいらっしゃるのです。
水の中でくるくる回る女性の姿が、一瞬うつっていますよね。
その方が谷桃子バレエ団のダンサー竹内菜那子さんと山口 緋奈子さんです。

谷桃子バレエ団は、古典バレエを大切にしながらも、「エンターテインメント」というものを大切にしているバレエ団なので、バレエに興味がない方も、ふとテレビや映画で目にした美しい人が谷桃子バレエ団のダンサーさんだったなんてことはよくあるんですよ!

谷桃子(上田桃子)のプロフィール

生年月日:1921年1月11日
2015年4月26日死去
出身地:兵庫県西宮市
本名:上田桃子

一般財団法人谷桃子バレエ団総監督(芸術監督)を務め、日本バレエ協会第3代会長、全日本舞踊連合理事等を歴任した。

谷桃子の経歴

1921年に誕生した桃子氏は、2015年94歳の時に敗血症でその生涯に幕を閉じるまで、「バレエ」という芸術に心を捧げた人でした。
まだ「バレエ」というものが日本では珍しく、美しいものかどうかも分からないと多くの人が考えていた頃に、たった3歳で桃子氏はバレエと出会います。
彼女が見たのは来日していたアンナ・パブロワの『瀕死の白鳥』。
その当時の感情を覚えているわけではないと前置きしつつ、そのことが自身にもたらした影響は強いと、彼女は考えていました。
8歳で石井漠舞踊団に入団し22歳で日劇ダンシングチームに入団した桃子氏は、戦前・戦時中に現代舞踊のダンサーとして活動し、人々の心を舞踏で潤すことに心をつかまれていきます。
彼女がクラシックバレエに本格的に転向するのは25歳になってから。
小牧正英に師事し、小牧も参加した第1期東京バレエ団に参加しました。この「東京バレエ団」は発足後わずか四年で解散し、現在の東京バレエ団とは全く関係が無いといわれています。
この当時のバレエは、バレエといってもまだまだバレエの原風景的なものですが、桃子氏にとって草刈義人原案・台本による『パガニーニの幻想』(振付:小牧正英)に「少女」役で出演したことがバレエ公演のデビュー作。
その後1948年に小牧正英バレエ団公演として『グランドバレエ コッペリア 靑い眼の少女』の公演が行われます。

これは現在『コッペリア』と呼ばれる作品で、村娘のスワニルだとその恋人フランツによる恋のドタバタ劇が可憐な印象を与える作品です。桃子氏はプリマバレリーナとして主役の「スワルニダ」役を演じ、「フランツ」役の小牧とともに講評を得ました。
1949年には28歳で谷桃子バレエ団(東京バレエ研究会)を組織した彼女は、その翌年には小牧正英バレエ団・服部島田バレエ団とともに有楽座でバレエ公演を開きます。そこで当たり役の『コッペリア』のスワニルダ役や『白鳥の湖』の主役オデット姫も踊り、「バレエ」というものを日本の芸術界に浸透させることに一役買います。
彼女は、海外のクラシック作品を踊るだけでなく、「新しいバレエ」にも積極的に取り組み、瀧口修造らの実験工房の第1回発表会において『生きる悦び』を踊りました。様々な公演を日本で踊りながら彼女は、本場でバレエを学びたいとの想いから1954年に33歳でパリに留学し、その後、1956年には『ジゼル』、1962年には『リゼット』で芸術的なものに与えられる賞を受賞します。
因みに『リゼット』は現在『リーズの結婚』というタイトルでも知られる作品。世界最古のバレエだといわれています。

この作品でも、可憐な村娘を踊る桃子氏に注目が集まりました。
桃子氏は、舞台まで足を運ばない人にバレエを見せるという試みにも積極的で、1951年には映画『舞姫』1955年には映画『ノンちゃん雲に乗る』にバレエダンサーとして自身のバレエ団団員とともに出演し、多くの人々に「バレエ」という芸術を目にする機会をつくりました。下は、『ノンちゃん雲に乗る』の映像です。

1974年53歳のときに『ジゼル』踊りを現役ダンサーを引退するまで、彼女は観客の前で踊り続けることにこだわりました。そこには、戦後のすさんだ人々の前で踊り続けてきた経験があり、彼女の強い意志がありました。
引退後も自身の名を冠した谷桃子バレエ団でで芸術監督、振付家を続け、クラシックだけではない魅力を持つバレエ団を作り上げていきます。日本バレエ協会第3代会長に就任後もその姿勢は変わらず、有馬五郎や松岡伶子、尾本安代、伊藤範子といった著名なダンサーたちが彼女の元に集い、彼女の元から巣立っていきました。

真ん中は2008年87歳の桃子氏です。美しいお姿ですね。
グランディーババレエ団でも彼女の教え子は特別な輝きを放っていました。

谷桃子バレエ団を紹介

2019年に創立70周年を迎えた谷桃子バレエ団は、戦後まもなく創立されたバレエ団です。創立当時は、窓ガラスも割れたままの焼け跡が残るアトリエで、ろうそくをともしながら稽古をしていました。
でも、創立者である谷桃子氏は「バレエ」という芸術が、戦争で失われた人々の「人間性」を回復させると信じていたのです。
その谷桃子イズムは今も受け継がれており、谷桃子バレエ団には「小学校へのワークショップ」があります。「人間性」が形成される頃に「バレエ」という芸術に触れてほしいという思いからはじまったこの取り組みは好評!


このときはじめてバレエに触れたこどもたちの中からバレエダンサーを志す子どもたちもたくさんいるのだとか。
また、「新しいバレエ」を志していた桃子氏の意志を継いでいるこのバレエ団は、自分たちで新たな演目をクリエイトしていくことにも積極的。桃子氏亡き後は、同バレエ団は、赤城圭が継承し団長、芸術監督は齊藤拓が務めています。

谷桃子バレエ団出身の有名バレリーナ

酒井大

ダンスマガジンの表紙も飾っていた酒井さんは、谷桃子バレエ団在籍中にもさまざまな主役を踊っていたダンサーで、2019年には劇団四季ミュージカル「パリのアメリカ人」の主演ジェリー役に抜擢され、好評を得ました。

竹内 菜那子

とってもキュートな竹内さんは、谷桃子バレエ団の現役バレエダンサー。

彼女の魅力は、どの面からみても美しい肢体と、それを見るものが十分眺められるようにバランスをとり続けることのできる力。華やかな笑顔ももちろん、見る者の心に灯りをともします。

山口緋奈子

いつまでも伸び続けていけるかのような伸びやかさが魅力の竹内さんも、現役の谷桃子バレエ団のダンサー。

芸能事務所にも所属する彼女も、特別な華やかさをもっていますね。
竹内さんと山口さんは『滝沢歌舞伎ZERO 2021』にも出演中です。

谷桃子バレエ団の評判

上記したように、さまざまな映像作品の中にも積極的に「バレエ」の姿を見せ、小学生たちにも生の「バレエ」を見せている谷桃子バレエ団は、多くの評価を得ています。谷桃子バレエ団Academyではこどもたちの育成をし、「バレエ」という芸術を日本中に広め、多くの人々の「人間性」に影響を与えようとするそのあり方には、数多くの芸術賞が贈られているのです。
また、このコロナ禍において「不要不急」の「不」の中にいれられてしまった芸術の叫びを形にした谷桃子バレエ団制作の舞台は、配信という形で多くの人々の元に届けられて、多くの人々のこころを揺さぶりました。
芸術に関わっている人もいない人も、みんな等しく感じているであろう「閉塞感」が見事に表現された作品は、一見に値します。

谷桃子バレエ団の作品映像

こちらが上でご紹介したコロナ禍に制作された作品です。

抑圧されていたダンサーたちの解放されたエネルギーに圧倒されてしまいます。

セリフが聞こえてきそうな気がするこちらもコロナ禍で制作された「OTHELLO」。ドラマティックで見ている方の息が詰まるほどです。
もちろんクラシカルな作品も文句のつけようのない作品ばかり。中でも桃子氏が得意とした『ジゼル』はその歴史と伝統を守り続けています。

まとめ

『滝沢歌舞伎ZERO 2020 the movie』や『ノンちゃん雲に乗る』といった映像作品にも所属ダンサーが出演している谷桃子バレエ団は、小学生へのワークショップを行い、コロナ禍でもクリエーションを続けていたバレエ団です。2022年新春公演『ジゼル』のチケットは現在発売中!谷桃子氏が一番大切にしていた『ジゼル』の七年ぶりの再演をお見逃しなく!

関連記事