「今日は人生最後のHOUSEバトル!と思って踊っていました」/【FINALIST INTERVIEW Nas編】マイナビDANCE ALIVE HERO’S 2022 FINAL

 『アライブ』の名で親しまれ、今年で17年目を迎える「マイナビDANCE ALIVE HERO’S 2022 FINAL」。ストリートダンス界最強ヒーローを決めるダンスイベントとして、数多くのダンサーたちのドラマと才能を花開かせてきた。
 毎分毎秒が歴史の転換点となるこの日に向けて、多くの新世代ダンサー達が過酷な予選に挑戦し、ファイナル出場を勝ち獲った。令和ジェネレーションとも呼ぶべきファイナリストたちは、何を思いあの舞台へ上がるのか。

今回はCHARISMAX ⅠのHOUSE SIDEに出場し、音楽だけでなくスタッフとセッションしたりステージから飛び出すなど、バトル、そしてダンスの既成概念から飛び出すステージングで優勝を勝ち獲ったNas (pastéporno) にインタビュー。

ファイナル出場おめでとうございます。ご自身のルーツについて教えてください。

きっかけは、ナインティナインの岡村さんがロボットダンスをしているのを見てです。当時は子どもで、ロボットが好きで、俺がロボットになれるんだ!?という発見に衝撃を受けました。それから誰に見せる訳でもなくロボットになれるのを楽しんで踊ってました。
部活で高校までサッカーをやっていました。ずっとベンチだったんですが、ダンスが流行りはじめた時に、ダンスを披露したところ友人たちから褒められました。
高校2年で留年したタイミングで、ダンスを習い始めました。友人の誘いで「どうせ習うなら一番うまい人に習おう!」と、YOKOI(W.C.O/Electric Trouble/EL SQUAD)さんのレッスンへ。最初は体操服で「村上」と書いた赤いジャージ、体育館シューズで友人と2人で受けに行って、YOKOIさんも喜んで可愛がってくれました(笑)。
レッスンは1年通って、卒業後はキャットミュージックカレッジ(CAT)というダンスの専門学校に入学しました。専門学生の時は尖っていたので、同級生がJPOPイントロドン、などで盛り上がってる中、ここはダンスの専門だぞ、と真面目に踊っていました。今思うともっとふざけておけばよかったなと思います。
最近はストリートシーンからは離れていました。ダンスを研究したいと思っていたところから身体そのものに興味が湧いて、コンテンポラリーや舞踏だけでなく、太極拳、合気道、瞑想、興味が湧いたところに出向いていました。

あの自由さはコンテンポラリーのエッセンスだったのですね。ダンスカンパニーなどは所属されなかったのですか?

ダンスカンパニーに所属する事は憧れていたんですが、どうしても舞台作品のコマになることが多くて、それも楽しいし好きなんですけど、飽き性なので、カンパニーに入ると辛くなっちゃうかなと思いました。コンテの世界は身体の捉え方がストリートより自由だと思ったんですが、それぞれのジャンルにそれぞれの常識があるなと感じました。隣の芝は青く見えるとゆうか。テクニックや思想などを学べたのは良かったんですが、ずっと作品のコマになるのはあまり好きじゃないと気付きました。たまにやるのは好きなので参加させてもらえるなら、やらせてもらいたいなと思ってます。また、普通の仕事もやってみようと思って働いていたんですが、やっぱり性に合わないなと感じ、春からもう一度ダンス一本で頑張ろう、と決めました。なので、よろしくお願いします。
HOUSEでファイナリストになりましたが、レッスンでHOUSEの形を教えるのが苦手で。コンテンポラリーを教えたり、コンタクトインプロビゼーションをやったり、それからダンス瞑想という怪しいクラスを持っています。瞑想も好きなんです。アクティブメディテーション、動く瞑想ですね。
瞑想はブッダの時代に生まれたもので、現代では静かに座ったところで人間関係の多さ、気遣いや社会マナーなど情報量が多すぎて、混乱して終わってしまうんです。動く瞑想はそこを突破するために、叫んだり、ランダムな呼吸、激しい運動をします。曲が続いていく中で、音楽が変わりダンスのシーンがあるんですが、動いたことない動きが内側から出てきます。(自分がアクティブ瞑想のクラスを体験したときは)自分が動いた事のない動きで踊ってるのに、瞑想状態で落ち着いて自分を客観視できるし、重心がずっと完璧にとれている、体が勝手に動いてくれてる感覚を経験して衝撃を受けました。クラブで爆音で周囲関係なくトランス状態で踊っているような、そのクリーンな状態とでもいうのでしょうか。ダンサーじゃない方々が、その感覚で踊っているのを見るのも幸せな気持ちになりました。僕もそんなクラスをやりたいなと。まだまだそこまでの境地にはたどり着けてませんが、自分でもアレンジして瞑想ダンスレッスンをやっていて、今後ももっと研究していきたいなと思っています。

その経歴からの、ダンスアライブへのチャレンジは何がきっかけだったのでしょうか?

 アライブは覚えてないくらい昔にチャレンジしていました。あの大舞台と、100万円への憧れはあるものの、手強い人が多いな、という印象で、辿り着けない舞台だなと思って諦めていました。
 コンテなど、色々探ってきて、身体がうまく動かせるようになったな、と思ったのもあったし、HOUSEを踊ったら前とは違う感覚で、イメージを身体が再現できるかなと思って今回挑戦しました。引きこもり気質なんですが、35歳になりそろそろ世に出て行かないと。もうすぐ体が動かなくなるんじゃないか、というのも理由です。身体が動くのはありがたいことですから。
 HOUSEを普段踊ってないけど、ダンスという大きな括りで研究してきた僕が、HOUSEをずっと踊ってきた人の中に参加したらどう見えるのかな、という実験でもありました。
 印象深かったのは予選サークルで、Hirototti(hilotes/澄香樹)と同じサークルだったんですが、予選サークルなのに彼はサークル出るどころか、会場からも出る、みたいなムーヴで、この人本当にすごいな(笑)。と、楽しくなっちゃって、僕もサークルの外に出てしまうというのをやりたくなってやってしまいました。でも僕は勝ちにきてたので、戻って踊らなきゃ!とサークルに戻った瞬間にスタッフの方から終わりです、と指示されました(笑)。
また、HOUSEをずっと聞いてるとテンポの速さに疲れてしまいます。コンテンポラリーはBGM、景色として音を感じれるので、そっちに逃げたくなってしまいました。予選もトーナメントに上がった後、正直疲れてました。コンテンポラリーをしたかったんですが「勝ちにきた!今日はHOUSEの場!人生最後のHOUSEのバトルだ!楽しもう!」と自分を鼓舞して踊ってましたね。

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