西海岸?東海岸?HIPHOPにおける東西の意味!音楽の特徴や文化など
1970年代のニューヨーク・ブロンクスで誕生したHIPHOP。DJ、MC、GRAFFITI、B-BOYINGの4要素が結びつき、多彩な要素を含む大規模なカルチャーへ発展。この記事では、東海岸と西海岸の音楽特徴や90年代の抗争、代表的なアーティストについて解説します。
東海岸(イーストサイドサイド)を代表するアーティスト
The Notorious B.I.G.
The Notorious B.I.G.(別名「Biggie Smalls」「Biggie」としても知られる)は1972年ニューヨーク・ブルックリン生まれのラッパーで、「史上最も偉大なヒップホップアーティストの一人」として広く認知されています。
イーストコーストヒップホップの伝説的な存在であり、彼の独特のリラックスしたリリカルなラップは、重い内容と相反し人々を魅了しました。
彼のデビューアルバム『Ready to Die(1994)』は、当時、西海岸のヒップホップが主流を占める中、イーストコーストヒップホップとして中心的な存在感を位置づけ、ニューヨークの知名度を高めました。
東西の抗争の末、残念ながら1997年3月9日に、24歳の若さで亡くなっています。
Nas
Nasは、史上最も偉大なラッパーの一人として知られるニューヨーク・クイーンズのラッパーです。
1973年、ニューヨークのブルックリンで生まれた彼は、都市のストリート文化を独自の視点で詠んだラップで一世を風靡。特にデビューアルバム『Illmatic』は、ヒップホップの金字塔として今も語り継がれています。
彼のラップは、若き日のハードな生き様から、経験を積み重ねた賢者のような深みへと進化を重ねているのが魅力。音楽だけでなく、起業家としても成功を収め、自身でレコードレーベルや雑誌を手掛けるなど、多岐にわたる活動を展開しています。
現在も現役で活躍するNasは、新旧問わず多くのファンから絶大な支持を受けているアーティストです。
Wu-Tang Clan
Wu-Tang Clanは、1992年にニューヨークのスタテンアイランドで結成されたアメリカのヒップホップグループ。RZA、GZA、Ol’ Dirty Bastard、Method Man、Raekwon、Ghostface Killah、Inspectah Deck、U-God、Masta Killaといったメンバーで構成されています。
ヒップホップ史上最も影響力のあるグループの一つとして認識されている彼らは、ゴールドやプラチナアルバムを多数獲得し、後のヒップホップグループにも多大な影響を与えました。
全世界でのレコード販売数は4000万枚を超え、ソーシャルメディアのフォロワーも700万人以上と、彼らの影響力は今もなお続いています。
Jay Z
Jay-Zは、ラッパーだけでなく実業家としても活躍するアーティスト。自身のブランディングを活用し「アメリカ音楽史上最も裕福なミュージシャン」としても名を馳せています。
Roc-A-Fella Recordsの共同創設者、Roc NationのCEO、ファッションブランドのロカウェア、バスケチームのブルックリン・ネッツの共同オーナー、音楽配信サービスのTidalの設立など、音楽関連会社やエンターテインメント業界で、数々の経営に携わっています。
もちろんミュージシャンとしての活躍も目覚ましく、数千万枚以上のアルバムを売り上げ、20以上のグラミー賞を受賞、Billboard 200で14枚のアルバムが初登場1位を記録するなど、驚異的な功績を残しています。
Rakim
Rakimはニューヨーク州ロングアイランドのワイアンダンチ出身で、ヒップホップデュオ「エリック・B&ラキム」の片割れとしても有名なラッパーです。
彼は、MCの技術の水準をこれまで以上に高めた「ヒップホップ界に革命をもたらしたラッパー」としても有名。80年代の中ごろ当時、多くのラッパーが同じタイプの韻律とフローでラップしていたのを、それまでになかった「流れるようなフロー」や、「巧妙に作られた歌詞」を披露し、新たな可能性を示しました。
Rakimは、そのスムーズで脱力感のあるフローで、「ラップ」にクールな旋律と高い知性をもたらした伝説的な人物です。
KRS-One
KRS-Oneは、サウスブロンクス出身のラッパーで、ヒップホップ文化への多大な貢献・活動する人物としても知られています。
彼は1980年代半ばにDJスコット・ラ・ロックと共に、ヒップホップグループ「ブギー・ダウン・プロダクションズ」を結成し、ヒット曲「Sound of da Police」や「Love’s Gonna Get’cha (Material Love)」、「My Philosophy」で名を馳せました。当時は政治的で社会意識の高いラップで知られ「the Teacher(先生)」という異名も付いているほど。
ソロとしての活動を継続した後も、ヒップホップの現状に対する強い意見を持ちながら、教育者としての役割を続け、多くのヒップホップアーティストに影響を与えています。
Public Enemy
Public Enemyは1985年にChuck DとFlavor Flavによってニューヨークのロングアイランドで結成されたヒップホップグループ。彼らはアメリカの人種差別やメディアをテーマにした政治的なメッセージで知られ、ヒップホップの音楽的なボキャブラリーを拡大し、ヒップホップの社会的影響を高めたという功績を残しています。
1988年のアルバム『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』と1990年の『Fear of a Black Planet』は、ヒップホップの黄金時代において重要な役割を果たし、その後の世代に影響を与えたと言われています。
政治的メッセージの革新性では、アメリカのヒップホップ・グループとして草分け的存在です。
西海岸(ウエストサイド)を代表するアーティスト
2pac
2Pacは1971年6月16日生まれ。1996年9月13日に亡くなった、西海岸をはじめ、ヒップホップ界で最も影響力のあるラッパーです。
一部の人々には嫌われる反逆者としても知られ、生涯には多くの論争がありましたが、彼の歌詞は力強く、黒人男性の経験について鋭く語る能力で知られていました。
東西抗争での悲劇的な死後も、数十年にわたってヒップホップやその文化に影響を与えて続けており、多数のドキュメンタリーやロックの殿堂入りなどを含め、死後のリリースや功績が絶えない人物です。
Dr. Dre
Dr. Dreは、ヒップホップ界における伝説的な存在で、「Aftermath Entertainment」や「Beats Electronics」の創設者、「Death Row Records」の共同創設者としても知られています。
1985年にWorld Class Wreckin’ Cruのメンバーとしてデビューし、その後、N.W.Aとしてギャングスタラップの世界に名を馳せました。
彼のプロデュースする音楽はヒップホップのトレンドを数十年にわたって形成し、90年代にはG-Funkというジャンルを独自に発明。その才能は、Snoop DoggやEminemなどのスターを世に送り出すことで証明され、ヒップホップ業界における革命的な人物として評価されています。
また、ビジネスマンとしても成功を収め、「Beats by Dre」というヘッドホンブランドでも知名度をあげています。
Snoop Dogg
Snoop Doggは90年代初頭のGファンクの時代から現れ、ヒップホップやギャングスタ・ラップの枠を超え、テレビ、映画、フットボール指導、プロレスなど多岐にわたる活動で知られるアーティストです。
1992年にDr. Dreのヒット曲「Deep Cover」で登場し、独特のリラックスしたラップスタイルと歌詞のリアルさから、ヒップホップ界で一躍有名に。自身のデビューアルバム「Doggystyle」は1993年にリリースされ、Billboard 200で1位に輝き、「What’s My Name」や「Gin and Juice」などのヒットも生み出しました。
ギャングスタ・ラップの勢いが衰えたその後も多才ぶりを発揮し、他のラッパーやR&Bシンガー、ポップグループとのコラボレーションでも成功を収めています。
彼はは音楽活動にとどまらず、テレビ番組や映画にも出演し、若いアスリートの指導者としても活動。さらに、宗教的な転機を迎え、ゴスペルアルバム「Bible of Love」をリリースするなど、キャリアを多様な領域で展開しています。
N.W.A.
N.W.Aは、ギャングスタ・ラップ草創期のパイオニア的存在で、ラップ史上最も悪名高いグループの一つとして知られています。初期メンバーは1987年に結成され、Arabian Prince、Dr. Dre、Eazy-E、Ice Cube、DJ Yella、MC Renで構成。
その過激な歌詞や社会への批判が多くの議論を巻き起こしましたが、活動の間アメリカ国内だけで1000万枚以上のアルバムを売り上げ、影響力の高さをみせました。
プロデューサーのDr. Dreが1992年にソロ活動に転向すると、グループは解散。N.W.Aの活動は停止しましたが、彼らの影響力は近年も受け継がれ、2015年には映画『Straight Outta Compton』で彼らの物語が高く評価されました。
Warren G
ウォーレン・Gは、カリフォルニアのロングビーチ育ちの、90年代のウェストコースト・ラップ界の先駆者、Gファンクのパイオニアとして知られています。1994年の「Regulate」などのヒット曲で大成功を収め、Snoop Doggのキャリアを支えたり、Snoop DoggをDr. Dreに紹介したことでも有名です。
デビューアルバム『Regulate… G Funk Era』は成功を収め、シングル「Regulate」は長期間にわたりBillboard Hot 100で高位にランクイン。グラミー賞にもノミネートされました。
近年デジタル時代になってもその作品たちは再評価され、ウェストコーストの偉大なアーティストとして、音楽界での地位を確立しています。
Ice Cube
Ice Cubeは西海岸出身の、ラップの歴史において最も重要なアーティストの一人。鋭い歌詞、怒りとユーモアを交えたリリシスととして知られ、音楽で成功を収めた人物です。またギャングスタ・ラップグループN.W.Aの一員としても活動していました。
彼は警察の暴力に対して声を大にして非難し、黒人コミュニティを強力に支持。人種差別や不平等などの重要な社会問題について人々の関心を高めるために、自身の影響力を最大限に活用もしています。音楽とアートを通じ、社会の重要なトピックに取り組む姿勢を見せていることでも有名です。
また、彼はハリウッドでの成功も収めており、『Friday』や『Barbershop』などの人気映画では主演も担った、多彩な面を持っています。
Cypress Hill
Cypress Hillは、1988年にカリフォルニア州サウスゲートで結成されたヒップホップグループ。世界で2000万枚以上のアルバムを売り上げ、マルチプラチナとプラチナ認定を受けた実績があり、最初のラテン系ラップのスーパースターとなりました。
彼らはウェストコーストと1990年代のヒップホップのパイオニア的存在とされ、特に初期の5つのアルバムでは高い評価を受け、3つのグラミー賞にノミネートされました。
彼らの歌詞やストリート志向のテーマは、ヒップホップを革新的なものにし、世界中の聴衆を魅了。90年代以降も積極的に活動し、新しい音楽スタイルへの進化を試みています。
おわりに
ヒップホップの起源と文化、東海岸と西海岸の音楽の違い、90年代の東西抗争についての詳細を紹介しました。
今回は主に歴史的な面をお伝えしたので、ご紹介したアーティストは90年代の大御所が多めでしたが、現行の若いアーティストたちも東西問わず大活躍しているのも知っておいて頂きたいと思います!
この記事でヒップホップの魅力と多様性をを少しでもお伝えし、ヒップホップの文化に注目するきっかけとなれば幸いです!