追悼:坂見誠二〜ダンスの神様が伝えたかったこと#1「ISOPP」
「ダンスの神様」こと故・坂見誠二氏の功績を追うため、ゆかりのダンサー/関係者たちにインタビューをしていくシリーズ「ダンスの神様が伝えたかったこと」
第1回目は、誠二と同じ福岡出身のブレイクダンサー/エンターテイナーの「ISOPP」だ。
ずっと“坂見誠二”が炸裂していた
アンダーグラウンドとオーバーグラウントの間を「ミドルグラウンド」と称し、ブレイクダンスだけでなく、DJやグラフィティ、メッセージやトーク力、果てはモノマネや動画制作など、マルチな才能で時代をかけぬけたダンサーISOPP。
「日本一、学校を訪問したダンサー」として、ダンススタジアムの審査員としても高校生ダンサーにはお馴染みの存在だ。
福岡出身の彼は当然、地元のヒーローであるダンスチーム「Be Bop Crew」、そしてその中心人物の「SEIJI」に憧れた。プロとして活躍するようになってからも、誠二の背中を追い続けたという。
「誠二さん、そしてメンバーのYOSHIBOWさんや長谷川先生は、僕らにとってお父さんお母さんみたいな存在なんです。高校時代から憧れだし、プロになってからもずっと憧れ。亡くなった今でも憧れています。Be Bop Crewのショーを見ると、“うぉ〜!”ってやる気になると同時に、なぜかヘコむんですね(笑)。帰りの電車で“うーん”と考えてしまう。それぐらい偉大な先輩たちでした」
ISOPPは、2009年には「坂見誠二杯ストリートダンスコンテスト」なるイベントに参加。憧れの先輩とステージで共演を果たしている。
その背中を間近で見ながら何を感じていたのだろう?
「僕のモットーは、“完全燃焼”。いついかなる時でも自分のすべてを出すこと。その見本を見せてくれたのが誠二さんです。ダンスがどうこうというよりも、ずっと“坂見誠二”という人間が“炸裂している”感じ。踊っていても、楽屋でしゃべっていても、冗談言っていても、ずーっと“坂見誠二節”が炸裂してる」
メジャーとアンダーを行き来して活躍したISOPPだが、2014年に難病を患い、生死のかかった手術を前に、ヒップホップのルーツ探しの旅としてアメリカへ旅立つ。
ロスからニューヨークへ2ヶ月、各地を回りながらも、手術後はもう以前のように踊れなくなる自分の将来に暗澹としていた。
「ニューヨークでばったり誠二さんに会ったんですよ! いろいろ話をする中で、自分がアメリカに来た理由を聞かれたんです。“自分を探しに来ました”と。そしたら、誠二さんがすごく真剣に“お前のそういうとこがカッコいいんだ。人生はずっと自分探し。いろいろ経験して、お前という人間ができていくんだよ”と言ってくれました。……すごく心に残りました。要は“自分がカッコいいと思うことに責任を持て”ってことなんですよ。アメリカまで来ていろいろ回って、福岡の先輩にガツンと教えられるとは思いませんでしたけど(笑)」


