母と娘の夢、ダンサーの夢 〜進化する舞台『*ASTERISK〜女神の光〜』レビュー〜

今回のコラムでは、2015年5月8日(金)〜10日(日)まで国際フォーラムで上演された『*ASTERISK〜女神の光〜』を取り上げます。

「Club ASTERISK」を巡って
この公演で主に描かれているのは母と娘の愛憎ですが「Club ASTERISK」を巡る群像劇の側面もあります。
現在Club ASTERISKの支配人である、しばきまくる子(YOHIEさん)は、かつてKAORUのダンスに魅了された一人。Club ASTERISKのダンサー・仲宗根梨乃さんにはトップダンサーのプライドがあります。そして、Club ASTERISKへの出演を夢見るたくさんのダンサーたちも登場。さまざまな人の思いを描いています。

印象的だったのは、YOSHIEさん演じる支配人・しばきまくる子が、ASTERISKがどんなに価値のあるショーなのかを踊りながら熱弁するシーンです。これを見た私は感動しました。
「踊りながら」というのは、「音楽がかかったダンスシーンの途中でセリフを言う」というわけではありません。そこで踊る必然性はないのに、演技の最中、熱く語るYOSHIEさんの体が、ぶるぶる動いて踊っているんです。
一見コミカルなんですが、これをダンサーやることにすごく意味を感じました。
しばきまくる子のClub ASTERISKに対する思いや、YOSHIEさん自身のダンスに対する思いまで伝わってくるようです。

2015年Club ASTERISKのオーディションのシーンや、その後に続く本番のシーンは多数のダンサーが登場するダンスの見せ場。本番のASTERISK2015のシーンは、s**t kingz、LUCIFER、KITEさんのコラボもあり、とても見応えがありました。


この公演の千秋楽、2015年5月10日は母の日でした。そのこともストーリーをより一層胸に刺さるものにしていたと思います。
ちょっと前に「毒親」「毒母」という言葉が注目されました。実の母と娘の関係は、女性の悩みの1つとしての認知度が高まっています。公演を見て、母と娘のうまくいかない関係に強く共感をよせた女性も多かったことでしょう。
かくいう私はどうかというと、その点は「そうでもなかった」という感じです。

ここまで書いてきて1つ告白すると、私は公演のストーリーについて「自分とは遠い話だな」と思いながら見ていました。
というのも、私はダンスをやっていないし、母からプレッシャーをかけられた記憶もほぼないので(ありがたいことですね)、HIKARUとの共通点を自分に見つけられないんです。母はとうに他界しているので、現在進行形で母との関係に悩むこともありません。
HIKARUの行動や感情を頭で理解できるのですが、「共感したか?」と聞かれれば微妙です。

なので私は回想シーンで進む第1幕を「HIKARUは大変だなぁ」と他人事のように思っていました。もちろん私のために書かれたストーリーではないので、それは作品のよしあしとは別問題です。
ただ、多くの観客が自分自身と重ねて見ているだろう部分を、重ねられないことを歯がゆく思いました。

で、ここからが私の主張したいことです。
そんな私とHIKARUとの距離を一瞬で縮めたのが、ラストシーンのHIKARUのソロでした。
星空の下、何も置かれていない裸の舞台。その空間を縦横無尽に踊るKoharuさんの姿から、言葉にできない強いエネルギーを感じました。

ソロが始まった瞬間、HIKARUの心の奥にあるものが津波のように押し寄せてきました。伝えられなかった母への思いの量や、母と交わした言葉の数や、HIKARUの生きた20年の時間。そして私の中にはっきりと、HIKARUという存在が生まれました。
第1幕ではHIKARUを見て他人事のように「大変だなぁ」と思っていたのが、公演が終わる頃には「つらかったね。わかるよ」と声をかけたくなるほど、HIKARUとの距離が近く、存在が具体的なものになりました。
「ダンスをやっていない」とか「私の母はそういう人間ではなかった」という私の事実を飛び越えて、わかるするはずのないHIKARUの人生を「わかった」と思ったんです。
ダンスって、人ひとりの人生をまるごと伝える力を持っているんですね。そんなことってあるんですね。
私にとって発見でした。

昨年までのバージョンも、ダンスの見方を変えてくれるすてきな公演でした。そして今回のバージョンもまた、私に新しい発見をくれました。
この作品では、ASTERISKが20年以上続く、すべてのダンサーの憧れのステージとして描かれています。実際のASTERISKは3年目。これからもトップダンサーの集う唯一無二のステージとして、作中の舞台を超えるほど、長く続き進化する姿を見たいです。

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