必読!!Be-Bopの生みの親「Irven Lewis(Brothers in Jazz)」を中心とした豪華対談が実現

日本のダンスシーンにおいて『Be-Bop』と呼ばれているダンスジャンルがある。HiPHOP等のようなメジャーなジャンルではなく、マイノリティー(少数派)なジャンルである。 しかし、その魅力に取り付かれ、また、インスピレーションを受けたダンサーも多いであろう。


[議題② Irven LewisはBe-Bopとどの様に出逢い、キャリアを重ねたのか?]

bebop irven lewis

Irven Lewis:
1970年代後半にDISCOが衰退し、音楽の情報が無くなった中で、DJが(※4)チック・コリアをはじめとするJAZZをかけ始めた、そんな時代もあり、Irven Lewis自身は1979年にダンスホールで、DISCO、JAZZ FUNK、JAZZという音楽に出逢った。初めは、ミュージックカルチャーも、ダンスカルチャーも、イギリス国内でも首都ロンドンと北部(マンチェスター・リーズ)は、都会と地方の違いで、異なるものだった。(Irven Lewisは北部出身)

ダンスキャリアの中で、最初にIrven Lewisが所属したチームは「クリーム」という6人組のチームで、リーズの中のBESTダンサーが集まって結成。その中ではアービンは若手ダンサーで、後に『Brothers in Jazz』でチームメイトとなるウェインは先輩。その頃はノーザンJAZZをやっていて、先輩であるウェインにダンスをチェックされ、ウェインと2人でチームを組む事になったが、もう一人欲しいと思っていたところ、ダンスバトルでトレバーと出逢い、後に『Brothers in Jazz』の結成へと動いていく。
そして、イギリス各地を回って、ダンスバトルに明け暮れた。(チャンピオンを目指して!)

ダンスバトルにて成果を収めたメンバーは3人は、ロンドンへ行き、ダンスを基礎から学ぶ為、ダンスの学校に通う。
ロンドンでは、「Electric Ballroom」(※議題①注釈参考)でも踊ることがあった。

『(※5)I.D.J』と『Brothers in Jazz』という2大ダンスチームは、仲が良くないと言われているが、全然そんな事は無く、お互いダンススタイルは違うので、尊敬し合っている。1980年代後半にはJAZZ DANCEブームを巻き起こし、イギリスやヨーロッパで、ダンサーとして認められ、コレオグラファーとしても活躍する。1991年に、Brothers in Jazzとして初来日し、伝説となったPARCOのCMに登場した。

その後、『Be-Bopの神様』として、何度も来日している。

▼注釈解説
※4 チック・コリア
1941年マサチューセット州チェルシーで生まれる。ジャズ・トランペッターの父親から影響を受けピアノを習い始める。1960年代にモンゴ・サンタマリア楽団、ハービー、マン、スタン・ゲッツのグループに参加。そして1968年にマイルス・デイビスの記念碑作品「イン・ア・サイレント・ウェイ」「ビッチェズ・ブリュー」に参加して話題を集める。1970年にアンソニー・ブラクストンとサークルを結成。そしてそして1972年、名グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーを結成、驚異的セールスを記録。
1970年後半にはハービー・ハンコック、ゲイリー・バートンとのアコースティックな音楽への追求を見せる。1980年代に入るとクラシック音楽、ニュー・ビバップ論の展開など幅広い活動を続ける。1985年にGRPレコードと契約し、チック自身の名グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーを超えたと言わしめた最強グループ、 “チック・コリア・エレクトリック・バンド” を結成。さらに、メンバーにジョン・パティトゥッチ(b)、デイブ・ウェックル(ds)、とチック・コリア・エレクトリック・バンドを結成。2つのグループで活動を展開。そして1992年には念願の自己レーベル “ストレッチ・レコード” を設立。1993年8月新メンバーによる “チック・コリア・エレクトリック・バンドII” を結成、その後解散。1998年に新たにオリジンを結成、好評を博している。2000年、6年ぶりとなるソロ・ピアノ・アルバムを2タイトルリリース。この2枚のアルバムが、スイングジャーナル誌選定ゴールド・ディスクをダブル受賞という快挙を成し遂げる。
また、アヴィシャイ・コーエン(b)とジェフ・バラード(ds)による「現在、過去、未来」も2001年リリース。こちらもスイング・ジャーナル誌選定ゴールド・ディスクに選出される。2001年12月に音楽活動40周年、生誕60周年記念ライヴを3週間に渡って繰り広げ、大絶賛を浴びる。2003年4 月満を持してこのライヴ・アルバム「ランデヴー・イン・ニューヨーク」がリリース。こちらもスイングジャーナル誌選定ゴールド・ディスクとなった。 2004年7月にチック・コリア(keys,synthe)、ジョン・パティトゥッチ(b)、デイヴ・ウェックル(ds)、フランク・ギャンバレ(g)、エリック・マリエンサル(sax)のオリジナル・メンバーでレコーデイングされたあの伝説のチック・コリア・エレクトリック・バンドの「トゥー・ザ・スターズ」をリリース、ジャズ・シーン最高のホットな話題となり2005年6月にこのエレクトリック・バンドで来日した。2006年スティーヴ・ガッド (ds)とクリスチャン・マクブライド(b)とのスーパー・トリオの作品と「アルティメット・アドヴェンチャー」の同時2タイトルをリリース。同年8月にはトロンハイム・ジャズ・オーケストラとの共演盤「リターン・トゥ・フォーエヴァー?ライヴ・イン・モルデ」をリリース。東京ジャズで出演を果たす。また、「スーパー・トリオ」では2006年度のスイングジャーナル誌主催ジャズ・ディスク大賞で金賞を受賞、「アルティメット・アドヴェンチャー」では 2006年度のグラミー賞を2部門受賞した。

※5 I.D.J (I DANCE JAZZ)

84年にロンドンで結成。“I.D.J“のリーダーでありBE-BOPシーンの先導者であるJerryは、ロンドンのBE-BOPダンサー達のシンボル的存在であった。”I.D.J”は”Working Week”とのセッションを皮切りに活動を開始、イギリスの音楽誌「FACE」等にイギリスの新たなムーブメントとしてメディアで取り上げられる。映画「アブソリュート・ビギナーズ」に出演。88年に開催されたネルソンマンデラコンサートにてアートブレーキ&ジャズメッセンジャーとの共演を果たす。チャンネル4のTVショウ「7 SPORTS」での”Back Street Kids”VS”Brothers in Jazz”とのアグレッシヴなダンスバトルは、イギリスの国民に興奮と衝撃を与え、後にこのダンスバトルを題材にした「マンチェスター伝説のフットパロット」というドキュメンタリーが放映され話題となった。


[議題③ 日本のBe-Bopシーンについて]

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Irven Lewis:
日本のレベルは、9年前と比べてあがった。基礎がしっかりしている。『Be-Bop』というダンスジャンルの名前は日本語的な表現。名前は好きに表現してもらっていい。20年前に日本に来たときにこのジャンルを『Be-Bop』と言ったことを忘れていたけど(笑)、』20年たっても日本ではBeBopという名前で呼ばれているのに驚いた。アメリカではswingといって、日本ではBe-Bop(アメリカでswingといったことも忘れてるが(笑))と当時は言っていた。だから、Be-Bopとうジャンル名が、日本発信で、世界に定着している。

HORIE:
日本の歴史を整理すると、80年代前半~86年はブレイクダンスが全世紀で、その後ブレイクダンスが下火になった時に、センスのあるダンサー達(SEIJIさん、OHJIさん、SAMさん等々)が新しいモノを求め始めた。チックコリアのPVに IDJが出演していたものから『Be-Bop』ダンスという新しい刺激を受ける。
→参照(Youtube)
Chick Corea Elektric Band – Elektric City

UFO(音楽業界)やTAKEO KIKUCHIさん(メンズビギ・メンズテノラス等のファッション業界) も、このダンスに目をつけていたし、Brothers in Jazzとも共演もしていた。日本では、BeBopCrewがすでにBe-Bopを取り入れたSHOWをしていた。

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