女に生まれて、戦えてよかった〜『*ASTERISK Goodbye, Snow White 新釈・白雪姫』レビュー〜

ちょっと前に、他人のSNS投稿を「○○自慢」といって批判する言葉をよく見かけました。「リア充自慢」「人脈自慢」「忙しい自慢」などなど。でもおそらく多くの場合、投稿している本人には自慢のつもりなどなく、思っていることをありのままに投稿しているだけ。それを「自慢」と思うのは受け手の心だと思うんですよね。
無視すればいいのになぜかできず、不愉快な感情が勝手に成長していきます。誰もが経験したことのあるであろうあの感情は、一体何なんでしょう。

今回のコラムでは、5月に開催された舞台公演『*ASTERISK Goodbye, Snow White 新釈・白雪姫』を取り上げます。この舞台では、お互いを不愉快に思う2人の女性の戦いを描きます。

『*ASTERISK Goodbye, Snow White 新釈・白雪姫』とは?

「*ASTERISK」は、2013年から毎年5月に東京国際フォーラムにて開催されている舞台公演シリーズです。毎回豪華なトップダンサーたちがキャスティングされ、日本のストリートダンス公演のフラッグシップと言ってもよいでしょう。

昨年に引き続き、今年も牧宗孝(MIKEY from 東京ゲゲゲイ)さんが演出を務めました。
原作は、中村うさぎさんによる書き下ろし。
美魔女と呼ばれ、注目を集め続ける大スター・加々美摩耶(牧 宗孝)。彼女は頭の中に存在する鏡の精(KUMI)とともに、日々、自分の美貌を保つための努力を欠かしません。ある日、加々美に新たな仕事が決まります。白雪姫をモチーフとした舞台に、魔女役として出演するというオファー。その舞台で白雪姫役に抜擢されたのは、人気アイドルの白河雪菜(YUYU)。彼女の存在は、加々美のプライドにガリガリと傷をつけていきます。

この公演で描かれる魔女と白雪姫の戦いは、見ているこちらも傷つくような毒がてんこ盛り。ダンスを用いて演じられる魔女と白雪姫のキャラクターはどちらもエネルギーにあふれ、己を信じ生きていく2人の強さに、自分の人生を叱咤激励される思いでした。

ここからは、魔女・加々美と白雪姫・雪菜のキャラクターを軸にして、公演内容を振り返っていきます。

例え魔女でも輝き続けたい

己の美貌を保つことに労力をいとわない美魔女の大スター・加々美(牧 宗孝)の頭の中には鏡の精(KUMI)が存在します。鏡の精は加々美を客観視し、美貌の衰えを厳しく指摘する存在です。

鏡の精を演じるポールダンサーKUMIさんが、無重力に宙を舞う姿がとても美しく夢のよう。ポールを軸に回転する姿が、オルゴールの上でくるくる回る繊細な人形みたいで、人間であることを忘れてしまいます。
1階席だとステージ上のポールが肉眼で見えますが、2階席ではポールが見えづらくなります。照明の加減によってはポールが完全に消えて見える時もあり、本当に妖精が宙に浮いているよう。その瞬間が美しく、何度もゾクリとさせられました。

加々美は美貌を保つため、美容整形を繰り返します。整形手術のシーンもまた、ビジュアルが非常に印象的。
ピンクと青のユニフォームを着たスタッフたち。本来かわいい色であるはずのピンク色が、このシーンでは不気味な生温かい色に見えました。ナース姿のTUKIとKUMAがベッドの上で膝を立て、2人で1つの鏡を支える姿がとてもなまめかしく決まっていました。

頭の中に作りだした鏡の精とともに、日々美貌を保つことに腐心する加々美は、舞台の共演者であるアイドル・白河雪菜(YUYU)と出会います。

時代の荒波に乗る白雪姫

白雪姫役で加々美と共演することになった人気アイドル・白河雪菜(YUYU)は、年齢に抗おうとする努力は無駄で痛々しいものという、加々美とは正反対の考えを持った女性です。
若く、誰よりも注目され、愛されているという事実が、徐々に加々美の自尊心を砕き、2人は対立していきます。

雪菜のダンスで印象的だったのは、7人の大人たち(DAZZLE演じる雪菜のスタッフ)と踊る登場のシーン。
同じ曲の中で雪菜と彼らは、異なるダンスを掛け合いをするように踊ります。混ざり合うのではなく、独立という感じ。7人の大人たちには理性的な雰囲気があって、雪菜を仕事相手として見ていることをイメージさせます。雪菜と彼らの間には適度な距離感があり、加々美が率いる美魔女軍団のなれ合った雰囲気とは異るものを感じました。
ラストの方で、7人の大人たちが雪菜の体のパーツに1人1人触れていき、雪菜がポーズを変えていくという場面があります。これを見て、「トップアイドルってこういう存在なんだろうなあ」ということをぼんやりと思いました。
アイドルというのは、誰よりも美しかったり、誰よりも歌がうまかったり、誰よりもダンスがうまかったりするわけではないかもしれませんが、たくさんの専門家の支えの上で咲く一輪の花。その花がたった一輪咲くことによって、関わった人たちに見返りをあたえられる存在なんでしょう。雪菜の動きの無邪気さと、7人の大人たちの動きの精密さと連帯感から、そんなことを考えていました。

雪菜はいわゆる、可憐な優等生的な正当派アイドルではなく、奇抜なキャラクターでも注目を集めるタイプ。彼女の歩む人生を考えると、メンタルのタフさに驚かされます。雪菜というキャラクターが持つエネルギーは、YUYUさんダンスで存分に表現されます。
後半、ドラッグを飲まされた雪菜が踊るソロがあります。雪菜の無邪気さとドラッグが見せる負の面がめまぐるしく入り乱れ、演技として踊っているとは思えない激しい緩急。とても衝撃的でした。

私の「ありのまま」とは?

公演パンフレットには、「今作品の魔女と白雪姫、どちらに共感しますか?」という質問があり、キャストとスタッフが回答しています。皆さんはいかがでしょうか?
私は、魔女かなと思います。

魔女・加々美と白雪姫・雪菜の2人の生き方の違いについて、私の心が強く反応したのは、計画的に生きるか刹那を大切にして生きるかという違いでした。
仕事を続けるために美魔女になる決心をし、多くの犠牲を払った代わりに今でも芸能界で活躍し続ける加々美。そして「花は散るから綺麗なの。」と考え、ありのままの魅力でスターになるも、早々に引退を決心する雪菜。
私は雪菜のような場当たり的な生き方はできないなと思います。

一昔前であれば、女の幸せは結婚と多くの人が思っていたかと思いますが、最近はその言葉も随分通用しないものとなったと思います。
雪菜の今後を考えると、結婚生活がうまくいく保証はないし、雪菜がまたドラッグに手を出してしまう可能性もゼロではありません。パートナーが高収入でも未来が保証されるわけではありません。現実問題として、世の中には心身の病気やその他の事情で職を失うことになる人は多いですから。将来のための保険を持たない雪菜の生き方は、私にとって非常にリスキーです。
雪菜が引退するにいたる経緯を考えると、おそらく雪菜はこれまでも、驚異的な適応能力でさまざまなトラブルを、自然体でプラスに変えて成功をつかんできたのかと思いますが(何てったってトップアイドルですから)、私にはそうやって人生の荒波を乗りこなせる気がしません。

雪菜は「ありのまま」の魅力を主張しますが、私が雪菜くらいの年齢だった頃を考えると、自分がどんな人間なのか自分でもよくわかっていなかったので、「ありのままのあなた」という類いの言われ方をすると、とても不安になりました。
親や先生の言うことを聞き、他人の影響を受けやすく、好みや考え方が1ヶ月くらいでころころ変わり、自分でもアイデンティティがはっきりしていことを自覚していたので、その人が思う私の「ありのまま」は、一体何を見て言っているのか理解できませんでした。「ありのままの私」なんてものは、当時の私にはなかった。
なので、若くして飾らない自分自身を堂々と、普遍的なのもののようにさらけ出すことができる雪菜は、「こうはなれなかったな」と思う存在です。

一番の盛り上がりである結婚式のシーンでは、YUYUさん演じる雪菜と、KITEさん演じる結婚相手が、とても幸せそうにポップを踊ります。それを見ていても、「私と雪菜は違うな」、と思います。
だって私あんなに弾けないですもん。
もちろん私の人生において、別に弾けなくても十分に生きていけるのですが、それでも嬉しそうに踊る雪菜を見ていると、祝福だけではない敗北の感情が同時に生まれます。負けを感じる必要なんてどこにもないと頭ではわかっているのに。
そうやって、ただありのままで存在しているだけで負の感情を生み出すのが、魔女にとっての姫という存在なんでしょう。

このストーリーで、魔女が幸せになる方法があるのならば、考えられるのは白雪姫のことなんて気にしないこと、自分を白雪姫と比べないこと、戦ったりしようと思わないことだと思います。でも私は戦おうとする加々美と、彼女を鼓舞する鏡の精の言葉に非常に共感します。
鏡の精のセリフに、「あなたは戦ってきた自分を誇りに思いながら死ねるはず」というものがあります。私はあのセリフが大好きです。
ストーリーの中で加々美は不幸に見えました。それでも私は、自分自身と戦い、何かを成し遂げようとしている人を応援したいと思います。それこそが人を成長させる原動力だと思うからです。
加々美には、雪菜と戦ったことは無駄じゃなかったし、戦ってよかったと思ってほしいです。


ストリートダンス系の舞台では、原作をダンサーが自作するものも多いですが、今回の*ASTERISKでは、原作者が起用されました。*ASTERISKとしては初の試みです。

公演の初めの方に、録音されたセリフを流す加々美の独白のシーンがあります。牧さん演じる加々美の動きが、中村うさぎさんの言葉に乗って、より映えます。
音楽がかかってのダンス…とは少し違い、録音された加々美のセリフと、カメラのシャッターなど効果音の入った音源に合わせ、牧さんがポーズを変えていきます。人形のようなちょっと不自然な感じがあり、自然の摂理に反して美を保つ、加々美というキャラクターの印象を強めます。
プロの方が原作を手がけているので、やはりセリフの言葉が非常に豊か。作り込まれた質の良い言葉の上に牧さんのダンスが乗っているというのが、とても贅沢に感じました。

ダンスの魅力というのは言葉がいらないこと。それは事実だと思いますが、以前それをうたい文句にしている公演を見に行った際、言葉を使わない故に、ストーリーや感情の表現が非常に窮屈だと感じたことがあります。これでは「言葉がいらない」というダンスの魅力が、公演の足かせになってしまいます。
その公演は普段はストリートダンスを見ないお客さんもたくさん来場していたようだったので、その人たちが「言葉がいらない」というダンスの魅力を「その程度のものか」と思ってしまったら悲しいな、と思いました。
今回の公演では、よい言葉があることによって、ダンスの魅力をより豊かに伝えることができると、改めて実感しました。

【公演情報】
2016年5月27日(金)〜5月29日(日)
東京国際フォーラム ホールC

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