ブレイクダンス(BREAKIN)とは?

現在世界で最も人口が多いジャンルで、知名度の高いジャンルと言えるだろう。
ブレイキン、ブレイクと略されたり、BBOYINGとも呼ばれ、踊る人のことをBBOY、BGIRLと呼ぶ。
この「B」の語源は、「Black」や「Bad」などと勘違いされがちだが、本当の意味は「Break」で、曲間のビートだけの盛り上がり部分であるBreak Beatsの「B」で踊ることである。なのでファッション雑誌等でも見られるB系、BBOYというファッションの種類という捉え方も基本的には間違えである。
ブレイクダンスには、エントリー、フットワーク、パワームーブ、フリーズの四つの要素があり、すべて大切な要素と言われている。

ブレイクダンスのムーブの種類

エントリー
トップロック、アップロック、ブロンクスステップなどのブレイクダンスにおける立ち踊りのことで、これらのステップを総称してエントリー、トップロックと呼ぶこともある。

フットワーク
屈んだ状態で素早く足でリズムを奏でる動きのことで、代表的なものにシックスステップ(六歩)、ツーステップ(二歩)、などがある。Ken Swift氏はこれらは教える際に伝えやすいが為に名付けられたもので、元々はなかったと語っている。

パワームーブ
背中や肩で回転するウィンドミル、頭で回るヘッドスピンなどがあり、テレビ番組、CM等でも数多く起用され、ブレイクダンスといえばパワームーブをイメージする人が多いだろう。近年のパワームーブの進化は留まることを知らず、超越したムーブを踊るBBOYが数多く存在している。

フリーズ
トップロック、フットワーク、パワームーブの一連の流れの中から音に合わせて体、動きを固めて止めること。代表的例として、チェアー、マックス、アローバックなどがあり、ムーブのラストに行なわれることが多い。

ブレイクダンスの歴史

ブレイクダンスは1970年代ニューヨークのサウスブロンクス地区でのギャング同士の抗争の際に、銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、決着をつけあったことから発展に繋がったと言われている。

メディアの関心

その後に、ロックステディークルー(Rock Steady Crew)などのクルー同士による大規模な抗争がメディアの関心を受けた事で、ストリートダンスシーンの急速な成長へと繋がったとされている。
そして1982年公開の映画「フラッシュダンス」。ダンスシーンはごく数十秒のものであったが、その衝撃はかなりのもので、「フラッシュダンス」以後、「ブレイクダンス1,2」、「ビートストリート」、「クラッシュグルーブ」などブレイクダンス映画が次々に作られ、TVのコマーシャルに多用されるなど、一大ブームを築いた。

日本でのブーム

1983年に映画「ワイルドスタイル(WILD STYLE)」でロックステディィクルーが日本に来日、「ブレイクダンス(BREAK DANCE)」で有名になったブガルー・シュリンプも歯磨き粉のアクアフレッシュのCM出演とそのプロモーションで来日、日本にヒップホップカルチャーの種をまき、1980年代当時にアイドルデビューした風見しんごが歌番組でブレイクダンスを披露し、一躍日本での認知度が上がった。

日本に広まったブレイクダンスは一大ブームを巻き起こし、当時では、「DANCE DELIGHT」を主催するマシーン原田氏や当時中学生だったナイティナイン岡村隆史氏が所属するエンジェルダストブレイカーズ(Angel Dust Breakers)や、ビーバップクルー(BE BOP CREW)、インペリアル(IMPERIAL)などが各都市で活躍をみせていた。

日本のチームが初の世界一に

1998年遂に宮田健男氏や佐久間浩之氏や、Panicrewのヴォーカル植木豪氏らが所属する日本のチーム、スパルタニックロッカーズ(Spartanic Rockers)が初の世界大会「UK BBOY CHAMPIONSHIPS 98」で優勝を果たす。

近代のブレイクダンスシーン

スパルタニックロッカーズ優勝後の2000年代では「UK BBOY CHAMPIONSHIPS」や「FREESTYLE SESSION」などの本戦でも日本陣人が活躍をみせるようになり、ドイツで本戦が行なわれている「Battle Of The Year」では2000年にWASEDA BREAKERSが準優勝とベストショーを獲得、 その後もTEAM OHH(TAISUKE,TOSHIKI SKIが幼少期に所属)、FIREWORKS(ISSOP、群青,O-HASHI,KENSAKUなどのスターダンサーが多数所属)、関西の一撃といったチーム達が世界で活躍をし、日本のブレイクダンスシーンは成長を遂げ、今では日本は世界大会入賞常連国となっている。

現代のブレイクダンスシーン

ここ数年では日本人のソロでの活躍も世界で増えてきている。代表格としてはもちろんTAISUKE。彼は「Red Bull Bc One 2008」で日本人初となる個人での準優勝という偉業を成し遂げ、世界にその名が知れ渡る。その後も日本人唯一のRED BULL ALL STARSのメンバーとして世界中で活躍し、日本ではTHE THE FLOORRIORZを結成し、シーンに多大な影響を与えている。

その後も日本人の海外でのソロの活躍が目立つようになり、NORI、ISSEI、KAZUKI ROCK(イビルジョー)、BGIRLからもNARUMI、AYUMI、ERi FeNeSiSなどが好成績を残す。ここ最近ではキッズダンサーのShigekixがキッズブレイクダンス世界一に輝き、その名を轟かせた。

そして2016年に名古屋で行われた「Red Bull Bc One 2016」ではFOUNDNATIONのISSEIが日本人としては初となる優勝を飾った。
現在、日本のブレイクダンスシーンは世界でもトップを争うレベルになっていることは間違いない。