伝説のバレリーナ「アンナ・パブロワ」のプロフィールを紹介

伝説のバレリーナ「アンナ・パブロワ」をご存知ですか?彼女は世界中の少年少女に勇気を与え、バレエを通して芸術という美学を世界中へ広めました。今回はそんな彼女の生き方や作品、名言について紹介していきます。

アンナ・パヴロワは20世紀初頭のロシアのバレリーナ。一生をかけてまっすぐバレエと向き合った彼女の姿は、世界中の人々に大きな影響を与えました。彼女の言葉や生き方は、現在でも様々な人たちを勇気づけ、成功への道しるべとなっています。そんなアンナ・パヴロワについて、一緒に探ってみましょう。

  1. 世界にバレエの魅力を伝えたアンナ・パヴロワとは
  2. アンナ・パヴロワのために作られた作品「瀕死の白鳥」
    1. 「瀕死の白鳥」とは
    2. 「瀕死の白鳥」を見てみよう
  3. アンナ・パヴロワの名言
  4. アンナ・パヴロワのDVDや書籍

世界にバレエの魅力を伝えたアンナ・パヴロワとは


アンナ・パヴロワはロシアのサンクトペテルブルクに生まれました。9歳の時に母と初めてバレエの舞台「眠れる森の美女」を観劇したことがきっかけでバレリーナを志し、バレエ学校へ入学。その後クラシックバレエの基礎を築いたといわれているマリウス・プティパに認められ、1903年には改訂版『ジゼル』で成功を収めました。1907年にはミシェル・フォーキン振付の『白鳥』を踊って話題となり、世界的有名バレリーナとして花を咲かせました。

アンナ・パヴロワは世界五大バレエ団の一つで最高峰とも言われるマリインスキー・バレエ団に在籍しつつも、別の団体と一緒にアメリカやイギリスなど世界中を周りながら踊り続けました。それも、自分のように貧しい環境にいる子どもに夢と希望を与える為でした。しかし、さらに2年間の海外公演の為の休業を申し出たところマリインスキー・バレエ団から認められず、契約破棄となってしまいました。

1911年に、アンナ・パヴロワは自身のバレエ団パヴロワ・カンパニー (Pavlova Company) を作りました。翌年にはロンドンに移住し、引き続き世界を巡演しました。1922年には日本にもやって来ました。訪日公演は全国8都市で行われ、アンナ・パヴロワの代表作「瀕死の白鳥」も踊られました。西洋舞踏が日本に広く知らしめられたのはその時が初めてで、それが後に日本でバレエが普及していくきっかけとなりました。

世界を巡り歩いていたアンナ・パヴロワでしたが、1931年に風邪をこじらせ肺炎になりました。その後オランダのハーグで胸膜炎と診断され手術を勧められるも、手術をするとバレリーナとして再起不可能でることを告げられ、手術を拒否。闘病の末50歳でその人生に幕を閉じました。

アンナ・パヴロワは貧しい家に生まれながらも、その美貌と弛まぬ努力が功を奏してバレエ界のトップへと上り詰めました。彼女は踊ることに情熱を注ぎ一生を捧げた、千載一遇のバレエダンサーといえるでしょう。

アンナ・パヴロワのために作られた作品「瀕死の白鳥」

「瀕死の白鳥」とは

瀕死の白鳥/アンナ・パヴロヴァを讃えて
「瀕死の白鳥」は、アンナ・パブロワのために振付された、約2分ほどの作品です。傷を負った白鳥が、死の運命を持ちながらも息が絶えるまで生きるために必死にもがき苦しむ姿を描いた作品です。アンナ・パヴロワの、魂まで訴えかけるような名演と美しさは全ての観客を魅了し、彼女の名を不朽のものにしました。彼女の演技があまりにも素晴らしかったため、この作品は彼女の死後20年にわたって、その栄光を汚さぬよう誰も踊ることができませんでした。

「瀕死の白鳥」を見てみよう

19世紀当時の映像。アンナ・パヴロワ本人が踊っています。その詩を読むように舞台を舞う姿はまるで本物の白鳥のようです。あまりの美しさに思わず息をのんでしまいますね。

アンナ・パヴロワの名言

アンナ・パヴロワは数々の名言を残しています。芸術について、努力について、信念について・・・。とても強く心に響いてきます。ここでは5つ、紹介します。

「立ち止まることなく一つの目的を追い求めること。これが成功するための秘密です」

生涯バレエに打ち込んだアンナ・パヴロワ。成功を目指す全ての人の道しるべとなる言葉です。

「私にとっての成功は、人々の称賛の中にではなく、自分の理想が実現していくという満足感の中にある」

他人の評価に流されず、自分の芯をもって強く生きてきた彼女の力強さが伝わってきます。

「才能だけで成功することなんてできない。才能は神が与えるけれど、努力はその人を天才に変えてくれる。」

小さいころから並大抵ではない努力を積み重ねてきたアンナ・パヴロワ。彼女が言う言葉だからこそ、重みがありますね。

「気持ちを込めてこそ、芸術になる」

演じることへのこだわりや信念が、この言葉から伝わってきます。バレリーナだけではなくすべてのジャンルのダンサー、そして芸術家の心に響く一言です。

「白鳥の衣装を持ってきて」

これは、アンナ・パヴロワが最期に言った言葉だといわれています。生涯バレリーナとして生き抜いたその生きざまがこの一言に凝縮されていて、いかにバレエに情熱を注いだ人生だったかが感じとれますね。

関連記事