狂気か?革命家か?今もなお影響力を持つニジンスキーとは

バレエのみでなく、フィギュアスケート界にまで影響を与えている偉人「ニジンスキー」をご紹介します。 彼のプロフィールから経歴までをまとめてご紹介します。


バレエファンだけでなく、フィギュアスケートファンにもその名を知られているニジンスキーは、ロシアのバレエダンサーであり、振付家です。
フィギュアスケートファンの方々がニジンスキーに触れるきっかけとなったのは、羽生結弦選手ではないでしょうか。

彼が2018年以降フリープログラムで演じている「Origin(オリジン)」は、同じくフィギュアスケート選手のエフゲニー・プルシェンコ選手の「ニジンスキーに捧ぐ」をアレンジしたもの。
では、ニジンスキーとはどんな人物なのでしょうか。

ニジンスキーとは

ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー
1890年3月12日生まれ
バレエダンサーとしても振付家としても、世界に衝撃を与える存在だった。

ニジンスキーの経歴を写真や動画とともに紹介

1890年:3月12日にウクライナのキエフで生まれる。両親はポーランド人
1900年:10歳の時にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場付属舞踊学校に入学
1918年:エンリコ・チェケッティらに師事し、18歳でマリインスキー劇場の主役に抜擢された

右側の男性がニジンスキーですが、幸せそうな表情が印象的ですね。
この頃に、セルゲイ・ディアギレフと出会ったことがニジンスキーの人生を大きく変えます。
セルゲイ・ディアギレフは、この当時のロシア芸術を大きく変化させた功労者と言えます。
肩書は芸術プロデューサー。
美術雑誌の発起人となり、ロシアバレエ団であるバレエ・リュスを創設し、プロコフィエフやラベルにバレエ音楽の作曲を依頼するだけでなく、ピカソやマティスにバレエの舞台美術を手掛けさせました。ココ・シャネルは彼の活動に資金提供をしていました。
この時代の名だたる芸術家たちがみんな、ディアギレフと関りがあったと考えると、彼がいかにパワフルで才能のあるプロデューサーだったかわかりますね。

1909年:マリインスキー劇場をアンナ・パヴロワとともに出て、ディアギレフのもとで振付師のミハイル・フォーキンらと共にパリでバレエ・リュスを旗揚げ

その後、一度マリインスキー劇場に戻ったがトラブルを起こして解雇され、再びバレエ・リュスに戻った。
1911年:フォーキンの振付の「薔薇の精」初演時に主演をつとめる。同年にイーゴリ・ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」にも出演し、高い評価を得た

こちらは、「バラの精」。男性ダンサーの力量がかなり試される作品といえそうですね。バラの花を飾っているとその妖精がやってくるというロマンティックなストーリーは、見る者を非日常の世界へと誘ってくれます。最後にバラの精が窓の外へと飛び立っていくシーンが素敵ですね。

1912年:ドビュッシーの管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」による「牧神の午後」を振付、自身が主演し上演。性的な振付を含んでいたため不評となり、ディアギレフからも不興を買う

「牧神の午後」は確かに、後半に進むにつれ静的な要素を色濃く帯びてきます。しかし、性的要素以前に、エジプトの壁画のようなポーズで静止する登場人物たちの姿は、非常に奇妙で興味深いものだといえるでしょう。この時点でもう、「白鳥の湖」のようなクラシックバレエとは全く違うものをニジンスキーが作り上げようとしていることがわかりますね。

1913年:ストラヴィンスキーの「春の祭典」に振付を行う
脚を内股にしたり頭を曲げたりという従来のクラシックバレエにはない動きに、初演時は場内が騒然となり、騒乱がおきた。
この頃からディアギレフとニジンスキーのあいだには亀裂が入っていたといわれている

見た人々が驚き、怒り、暴れたとまでいわれる「春の祭典」は、不気味ながらも、何かはわからないパワーに満ち溢れています。

1914年頃:南米公演の途中、ハンガリー人のバレリーナのロモラ・デ・プルスキと結婚
激怒したディアギレフによりニジンスキーと彼の妻はバレエ・リュスから解雇された
ディアギレフとニジンスキーは出会った当初から同性同士の愛人関係にあった

1915年頃:新たにバレエ団を旗揚げするが、失敗に終わる
その後、ロシア国籍であったため、第一次世界大戦中にハンガリーに拘留される

1916年:バレエ・リュスの北米ツアーのためにディアギレフに呼び戻され、「ティル・オイレンシュピーゲル」という作品を振付けたが、この頃から統合失調症の兆候が現れる

1919年:1月19日に静養先のスイスにあるホテルのホールで自らが「神との結婚」呼んだ公演を行った後、神経衰弱に陥いり、精神病院に入院する
1950年:4月8日にロンドンで死亡

まとめ

上のような経歴をみて、受け止め方は様々だろうと思います。痛ましい晩年や、ディアギレフとの関係から彼の精神や、「性」への考え方と作品を結びつける人も多いでしょう。そしてそれは、決して間違った見方ではないと思います。でも私は、ニジンスキーが今も舞台上でまだ生きていることに目をむけたいのです。失われていたニジンスキーの振付が復元され、今も様々なバレエ団で上演されていることの意味を考えることが、ニジンスキーという人物の核に近づくことになるのではないでしょうか。彼の作品には、バレエを知らない人すらもひきつけてしまうプリミティブな力が満ち溢れていると、私は思うのです。