シカゴ・ソウルを切り開いた男「カーティス・メイフィールド」を紹介

カーティス・メイフィールドについて紹介いたします。カーティスのプロフィールや経歴(これまでのカーティスの活動について)や、彼の名曲10選を動画とともにお送りしていく内容となっています。

今回は60年代より活動し、70年代からはソロアーティストとしても躍進したアーティスト、カーティス・メイフィールドについてを紹介いたします。

カーティス・メイフィールドのプロフィール

カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)は1942年生まれ(1999年12月26日没)のアメリカ、イリノイ州シカゴ出身のシンガーソングライター/ミュージシャン/ギタリストです。

社会変革・公民権のために声を上げたアーティストで、社会意識をテーマにした音楽をソウル・ミュージックを取り入れた最初のミュージシャンの一人としても有名です。

音楽グループであるザ・インプレッションズ(The Impressions)での活動後にソロアーティストとして活躍。

インプレッションズ「People Get Ready」や、自身の楽曲「Super Fly」、「Move On Up」などの代表曲でもよく知られる人物です。ローリング・ストーン誌には、「100 Top Guitarists of All Time」にも選ばれていて、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトンなどの巨匠達からも称賛を受けています。、

カーティス・メイフィールドの経歴

幼少期

カーティス・メイフィールドは7歳よりギターとの出会いを果たし、のめり込んでいったそうです。この頃聞いていた音楽は、彼の祖母の影響で聴いていたゴスペル・ソングや、シカゴのエレクトリック・ブルース・シーンの音楽だったそうです。

ザ・インプレッションズでの活動

1950年代後半、16歳のカーティス・メイフィールドは通っていた高校を中退し、友人のジェリー・バトラー(Jerry Butler)が率いていた音楽グループ、ザ・ルースターズ(The Roosters)に加入しました。このグループが、後にザ・インプレッションズ(The Impressions)へと変わります。

カーティスはインプレッションズの中心的存在だったそうで、このグループが50年代後半より始まった「シカゴ・ソウル・サウンド」の草分け的存在だったのだそうです。

61年のグループ再編成後の最初のヒット曲「Gypsy Woman」や、65年の「People Get Ready」などは、カーティスがソングライティングした曲としても有名です。この「People Get Ready」は、この時代の公民権運動の非公式アンセムとしてもも世間には取り入れられていたそうで、カーティスのソングライターとしての役割やビジョンのようなものが確立されていきました。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)も彼の作品を好んでいたそうです。

黒人としてレーベル運営で成功を収めた最初の人物

60年代の半ばから後半にかけ、カーティスは自身で「ウィンディCレコード(Windy C Records)」、「メイフィールド・レコーズ(Mayfield Records)」、「カートム・レコード(Curtom Records)」などのレーベルを設立しています。

今でこそジェイZ、ドクター・ドレー、P.ディディなど、黒人のレーベルビジネスでの成功者は確率されていますが、この時代での黒人アーティストがレーベル運営をするのは非常に珍しいことで、彼らがこうしたビジネスで成功を収めることが可能であることを示した人物でもあるそうです。

ソロ活動

70年代に入るとソロアーティストとしての活動を開始します。

70年にアルバム『Curtis』でデビュー以降、72年には映画『スーパーフライ』のサウンドトラックとしても有名な一曲「Superfly」と同名のアルバム『Superfly』がリリース。このアルバムに収録されたシングル「Freddie’s Dead」とあわせて、どちらもミリオンセラーを記録。「Superfly」は、その後幾年にも渡って語り継がれるソウル・ファンクミュージックとなります。

その後は映画のサントラの仕事が舞い込み、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス(Gladys Knight and the Pips)、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)、ステイプル・シンガーズ(Staple Singers)、メイヴィス・ステイプルズ(Mavis Staples)などのアーティストと、ソングライターやプロデューサーとして共演を果たしました。

80年代にはシカゴからアトランタへと移り住み、カーティスの「シカゴ・ソウル時代」が幕を閉じます。

しかしその後の活躍も目覚ましく、83年にはインプレッションズ・リユニオン・ツアーを開催したり、90年に「Superfly」のリメイク版がリリースされたりと、影響力は健在でした。

晩年について

90年の夏に、コンサート中の不慮の事故で、車椅子での生活を余儀なくされたカーティスですが、それでも音楽活動への意志は途絶えず96年には生前最後のアルバム『New World Order』がリリースされました。

カーティスはその後、1999年12月26日に亡くなられていますが、彼のオフィシャルサイトには、

「ニュー・ワールド・オーダー(New World Order)」はメイフィールドの最後の大喝采となったが、これがメイフィールドのレコーディングの終わりを意味するものではありません。彼は常にレコーディング・スタジオでくつろいでいたし、プロとしての40年間でおそらく1400曲ほどは書いていたでしょう。作家のピーター・バーンズは、メイフィールドの保管庫には140曲の録音された曲が様々な段階で完成していますが、すべてリリース可能な状態にあると推定している。」curtismayfield.com/

と、永続的な影響力を現在でも持っていることが伺える、偉大なミュージシャンであることが語られています。

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