【Dewspeak vol.06】世界に轟かせ、様々な活動でダンスシーンを先導し続けるHIRO(ALMA)

言わずと知れた日本を代表するハウスダンサーHIRO。90年代NYハウスオリジナルダンスクルー「DANCE FUSION」にKUMI.MAKOTO.NORICOと共にメンバーとなり、帰国後日本における超重要ハウスチーム「ALMA」を結成。日本における1ハウススタイルを築き上げる。
更にその後もそのスタイルの進化、活動はとどまる事を知らず、国内外問わず様々なバトル、コンペティションにて輝かしい戦歴を残し続け、現在に至るまで常にHIROの名を世界に轟かせ続けている。またダンサーとして以外に国内外大小様々なイベントオーガナイズやダンススタジオプロデュース等々、、幾つもの顔を同時に持ち合わせ日々ダンスシーンを先導し続ける強烈且つ希有すぎる存在。
彼のダンサーとしてもシーンの先導者としてもその強靭すぎるモチベーションはどこから来るものなのか?
時は同じくハウスダンスシーンを築き、現在は共に「HOUSE DANCE CROSSING」をオーガナイズする盟友TAKUYA (SYMBOL-ISM)がその背景に迫る。

TAKUYA
個人的にはいつも沢山喋っているのであまり今更聞くこともないが(笑)。
けれども改めて世界を渡り歩くトップハウサー、ダンサーとしてそのスタイル、バックグラウンドについて、そして現在はそれと並行してオーガナイザー、プロデューサーとしてシーンをどう見て何を感じどこに導こうとしているのか?等、、皆聞きたいかなと。
th_20-のコピー
今日は宜しくお願いします。

HIRO
宜しくお願いします。

TAKUYA
まずはバックグランドについて。ダンスのスタイルとしてはヒップホップからですよね?

HIRO
静岡の熱海出身なんですけど高校生の時に中学生の終わりの時にTV番組「DADA」を見て影響を受けて。

TAKUYA
90年代初期の。

HIRO
ZOOですね。
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ダンスを始めて情報もあんまりなかったので見よう見まねで練習をみんなでし始めて、そこから場所柄、土地柄もあって静岡の仲間の人とか名古屋とか東京とか同世代だったりとか、ダンスを通じて知り合いが出来てきて、色々活動を広げていった感じ。その頃からPINOCCHIOのPInOとかKENJIとか知り合いになっていきましたね。

TAKUYA
PINOCCHIOのヒップホップスタイルの時代ですか?

HIRO
うん。
知り合いになって、そういうところも情報交換しつつやってて、その時代は俺らの年代はやっぱり東京に出てダンスをやるというのがある意味スタンダードだったんだけど。

TAKUYA
情報に差がありましたからね。勿論ネットもない時代で。

HIRO
でもその中で俺は、地元に残ることを選んで、20歳まで地元に残っててそこからNYに留学しようと決めました。

TAKUYA
その大胆の選択は何故?ただただ学びたいみたいな?

HIRO
そうだね。
観光で16歳の時と18歳の時、2回NYに行きましたね。
そこでやっぱり魅力を感じて、これは観光で行くというよりもちょっと住んでみたいなと思って、英語もそうだし色々学びたいと思って。
留学して向こうにしばらく居れる間は居てみようというつもりで移ったんですよね。

TAKUYA
何年間ですか?

HIRO
結局20歳から24歳まではNYに居たんで4年間ですね。そのタイミングで向こうに移ったんだけど、もちろんレッキンショップ(Wreckin’ Shop)とかそういう映像も見ていたしZOOのビデオとかでもNYのダンサーも勿論見ていたので、元々影響を受けた人達だから。実際にタイミングがすごく良くて皆がレッキンショップとかの時代を経て、5、6年経って残っている人達がまたNYで集まりだしたタイミングだったんだよね。そのタイミングにちょうど上手くハマったので、そこで向こうで皆と練習をさせてもらったりとか。

TAKUYA
行く前からハウスですか?それともヒップホップをやりに?

HIRO
うーん、どっちも。

TAKUYA
もう既に日本にいるときからハウスも情報をつかんでいましたか?

HIRO
相方のSOICHIROというダンサーが早くからハウスをやっていたのもあるしROOTSの影響もあるしでハウスには興味があった。けれども音楽的、カルチャー的にはヒップホップの方が好きで、ヒップホップも一緒に学ぶというか知りたいなと。
でもヒップホップはダンス的というよりは音楽だったり、カルチャー的なものがすごい強くて、ダンス自体はハウスに興味があったので、そこからハウスを本格的にやるようになって。で、たまたまダンスフュージョン(DANCE FUSION)を大きくファミリー的にやるというタイミングでもあったのでそこにちょうど合流できて、それ以外にもエリートフォース(Elite Force)だったり、ブライアン・グリーン(BRIAN GREEN)だったり、そういう人たちとも接点を持たせてもらってバックダンサーだったりダンスのお仕事を一緒にやらせてもらう機会もあったので、どんどんNYの生活が馴染んでいった感じですかね。

TAKUYA
それらを経て90年代後期くらいですか、日本に帰国ですか?

HIRO
そうですね。ちょうどそういうダンスの仕事を貰えるようになってNYに住んでいる間に他の国にも行く機会が多くなって、学生ビザだったのでビザのステータスを保つのも大変だったし、という中で一つ大きいツアーの仕事が貰えたんだけど、その時はちょうどアーティストビザの申請がすごく厳しい時期で、2回アプライしたんだけど結局下りなくて、下りないということはタイミング的に今は、、と思ったし、元々日本で戻ってやりたいというのがあったから帰国したんだよね。

TAKUYA
そこが初めての上京ですか?

HIRO
そうです。そこが初めての上京。

TAKUYA
帰ってきてALMAの結成までどれくらいですか?1年ぐらいですか?

HIRO
1年ぐらいかな。

TAKUYA
それはどういう思いでアプローチしたんですか?

HIRO
イベントでのオファーがきっかけで、自分とKOJIさんと一緒にショーやらないかっていう話を貰ったので、KOJIさん大先輩なんだけど声をかけさせてもらって一緒に踊ってもらって、そのきっかけで世代が違うけどハウスで新しいチームを創ったらどうかなという話になり、お互いに誘わせてもらってHyROSSIさんとPInOを誘って、ALMAという形で始めようと出来た感じですね。
それが2003年くらい。それから様々なイベントを通じてハウス普及に努めました。

バトルを通じて知れた世界の様々なスタイル

TAKUYA
その後HIRO君はバトルへ日本でも世界でも率先して出ていって、というイメージが強いと思います。
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でバトルを通じて世界各国の色んなダンサーに触れてきた日本人代表だと思うんですよ。そういう中で何を知り、感じますか?
今現在特に日本のシーンの中でも若いハウスダンサーの多くは様々なスタイルの出どころも解らなくなっているのかなと。このステップはどこから来たとか、国産のステップもあるだろうし。
HIRO君も元々はNY直系のハウスをやっていたけど、近年で見るとそれだけとは言えないかなと。そういうところも含めてHIRO君から見たハウスの歴史観を聞かせてもらえますか?

HIRO
ハウスに関していうとおそらく日本はNYの影響ってすごく強くて。
ハウスという存在が知られるようになってカリーフ(Caleaf)とかピーターポール(PeterPaul)が日本に初めて来るようになってからのNYダンサーの影響はすごく色濃く受けていたシーンだと思ってて、そこから引き続き今も幹は根強く残っているんだけど、実際自分がNYに行ってみて、その中にポンって入った時に結局誰かの真似じゃ成立しないことになるので。ひとまず自分的にはできることといえば、日本人は器用だしそういう意味ではちゃんと組みたてができるので自分は色んな人の影響をひっくるめて、意外と全方向型みたいな。

TAKUYA
確かに。帰ってきた時にはNYの匂いはしつつも既に誰にも似てはなかったかも知れないですね。

HIRO
そう。ステップもフロアワークもいいとこ取りじゃなけれども、そういう風にできるのがある意味個性かなと思って、そっちを考えていたので。
で、その中で俺達がALMAを創ったりとかTAKUYA達がSYMBOL-ISMとして活動したり「JAPAN DANCE DELIGHT」で優勝したり、その後俺らもGLASS HOPPER + PINOCCHIOでも優勝したりとかする時期からちょっとずつ国産のハウスの影響が強くなってきたと思っていて、若い世代とかそういう人達もそこから少なからず影響も受けて、スタイルが変わっていったと思います。

TAKUYA
世界的にはどうですか?

HIRO 
世界的に見ても大元のNYスタイル以外を主にザックリ分けるとしたら、今言ってたような日本人的な解釈をしていった日本型のスタイルと、フランス中心にヨーロッパでハウスを始めた人達のスタイル、あとはプラスでアフリカン的な要素を入れたスタイルとか、大きく分けたら3つぐらいだったかなと、正直思っていて。
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でもそれが今になってすごく多様化していて。まずNYの人たちもNYのスタイルというよりはその人のスタイルそれぞれの踊り方が全然違くなっていて。日本も日本でスキルフルにステップとかそういうものを踏んでいくバトル型みたいなね、皆からしたら俺とか、SHUHOとかPInOとかTATSUO君とかもそれにあたるのかもしれないけど、そういうようなタイプの人達。あとTAKUYA達みたいにジャッキンを取り入れつつ自分達の拘りを持っている代々木のスタイル。でそれらからプラスアルファで派生したいったスタイルだったりとか。
あとは大阪かな。影響はそれぞれ受けているところはあると思うけど、例えばJIGとかBOUNSTEPだったりとかそういう人たちはまた自分たちの解釈でそれを経て独特になっていくスタイルみたいに思う。
ヨーロッパもフランスはオートリップハウス(O TRIP HOUSE)みたいによりスピリチュアルなものを追い求めているスタイルと、ウォンテッド(Wanted Posse)、後のシリアルステッパーズ(SERIAL STEPPERZ)を代表とするようなバトルでスキルを入れていくスタイルもあるし。ロシアはMIJのようにUKジャズとかそういうスタイルを取り入れたりとか、、なので結構現在2017年はハウスといっても多種多様な色んなスタイルがあると思います。

TAKUYA
スタイルが実際に多様化していったのは2000年代初中期くらいからですかね。

HIRO
うん、以前はハウスって意外とビートに、スピード感に純粋なだけであって音のアクセントをとっていくというスタイルはあまりなかったと思う。それを俺たちはショーアップする為も含めて、あえて例えばブロークンビーツを使ってみたりとか新しいアプローチとかそこに音をハメていくというかその音に反応するような動きみたいなのを取り入れていって、それが浸透したり、定着したりして、最近は、アプローチの仕方も変わってきていたし。
そこも多少なりとも影響力があってその国産のスタイルも色々進化していったと。それが2000年中期くらいからしばらく続いていて。その中で自分的にはNYに行った時の繋がりから今度ヨーロッパとか他の国との繋がりも増えてきて行かせてもらう機会が増えたときに、またヨーロッパのシーンは違う捉え方をしていたりとかNYの影響を受けているという意味では日本と似ているんだけど、そこからまた日本の国産型みたいに各国のその国の形、やり方がやっぱりプラスされてて。それを見てすごい新鮮だった。
あと多様化のキッカケの一つには2000年代初期に「Juste Debout」っていうのが始まってヨーロッパでバトルっていうシーンも浸透していって、そのバトルに対してダンスをするっていうアプローチの仕方がまた増えてきたのでそこも経てちょっとスタイルが変わってきたなと。

そういうのも俺は実際に肌で感じて刺激を貰ったし新しいインスピレーションみたいのを沢山貰ったので次のテーマはどっちかというとクリエイティブなところなのかな、と。

TAKUYA
HIRO君、よくその言葉を使いますよね、「価値とクリエイティブ」みたいなのを。色んなクリエイティブがあると思うんですけれど、HIRO君が言っているクリエイティブはどこに重きを置いているのかなと。

HIRO
やっぱりハウスの音楽もクリエイティブだと思うから元の脈を受け継ぎつつ新しいアプローチを沢山作って進化しているわけで。ダンスはどうなんだっていったら、ヒストリーとして古いものを知って理解するのは大事だけどそこに縛られすぎるのはよくないと、今の時代だから今の感性で今の音楽で考えたら必ずしもこれが正解、これが間違いってあんまりないの。

TAKUYA
そもそものニュースクール的な発想ですね。
しかしながら元々はHIRO君はそういう発想じゃない人に見えてました。どっちかというとすごいオーセンティックに拘っている人みたいなイメージで。それはヨーロッパに行っての流れがあるんですか?柔軟になっていったみたいな。

HIRO
たぶん本当の意味でクリエイティブってすごい難しいからそこに行きつくまでにはすごい時間も経験も本来必要で本当にクリエイトできるようになるまでに俺はすごい時間が掛かっていたと思う。

TAKUYA
発想自体は元々そんな固い方じゃないと?

HIRO
そんなに固い方ではないと思う、元々は。そういう意味ではそこのクリエイティブというのはやっぱりオリジネイターだったり元々のハウスのカッコよさとか、そういうものはやっぱり無くしてはいけないけど、それだけに拘りすぎていると新しいものが生まれないし興味も薄れていっちゃうだろうし、やっている自分達自体は最終的にマンネリというかルーティンワークみたいになっていくのはあんまり良くないこと。そこは常に新鮮だったり、発見したりとかそういう興味を自分で持てるように自分から色んなものを取り入れたりとかクリエイトしたりとかそういう中でダンスだけではなくてダンスに対する考え方とかコミュニティーの作り方とかイベントの意味とかそういうところまで段々考えるようになってきて今イベントをやったりとかに繋がると。

TAKUYA
例えば、ハウスって色々、元々パーティー中でのダンスで、どちらかというとバトル志向じゃない意見があったりとか。そんな中で今HIRO君はどう踊りたいとか、どう活動したい、ハウスを今後どう盛り上げたいとか言うのはあるんですか?

HIRO
やっぱりバトルということに関しては闘うことになるんでそれに肯定も否定も多分あると思うし、日本の昔からあるショーケース、ショーをするという文化もね。

TAKUYA
ある意味日本は特殊ですよね。

HIRO
うん、元々は世界から見たら独特な文化だし、それが良いところもあるし悪いところもあると思っていて、その中で唯一俺とTAKUYAとで「HOUSE DANCE CROSSING」やってみたり今はこれがハウスですとかこれが正しいアプローチですって決めつけないほうがいいんじゃないかなって思っていて、それぞれ立場も年齢も環境も経験も違うから、その人なりのダンスの接し方の全てが正解なんじゃないのと思っていて、沢山色んなアプローチの仕方をし続けていることでまた沢山時間を使ったり、経験することで段々変わってきて自分にはこれが合っているとか、こういう楽しみ方がいいんじゃないかなって自分で見つけるスタイルだと思う。

TAKUYA
シーンについてもダンススタイルも自由に、という事ですね。ではハウスダンスに全く定義はないと考えますか?
例えばロックだったらやっぱロックはしないと、ポップだったらヒットはないとっていう定義的なものはハウスでいうと。

HIRO
俺の中ではやっぱりフットワーク、その中にグルーヴ、リズム。
リズムキープもそうだし、ジャッキン、、、うーんジャッキンというとなんかそれだけに固執しちゃう感じがするからちょっと違うかな。フットワークとそういうリズム感というかグルーヴ。根本のダンスに近いもの。あとはフロア。そういうのをひっくるめてハウスって言うのはありなんじゃないかな、とは思います。

現在の自身のスタイルについて

TAKUYA
では現在のHIRO君自身のスタイルについてあえて言葉にするならばどんなスタイルですか?

HIRO
色んなものを見てて、それらをバランスよく取り入れて、で、やっぱり俺は今でもそうだけど、俺の中では無個性が結構好きで。

TAKUYA
無個性、、いいですね。面白い。

HIRO
個性がいきすぎるとたぶん癖になっちゃう。でもその癖が強いから良いというわけではなくて癖がないのも逆に個性かなと思っていて。それぞれ個人個人のスタイルとか沢山ある中でそういう色んなところの要素を取り入れて複合的にバランスとるみたいなものもできる人っていうのはまた新たな個性かなと思っているので。マルチタスクというかそういう形で無個性に見えるかもしれないけど俺の中でそれは個性かな。
代表的に例えばステップの形、やっぱりこの人はこういう感じだよねっていうイメージが強くなると思うのね。個々のスタイルが強くなると。
でも俺の中では、じゃあ俺のスタイルはって言われたらみんなが俺っぽいって真似するのは動きの部分で、スタンダードなステップやった時にこの人っぽいねっていう風に真似るのをもしかしたらちょっと難しいかもなと思う。あんまりそこの癖を強く出さないようにしてるのね実は意識して。
なので異端児とは違う感じ。でもその中でフロアをやるアプローチも今までのスタンダードとは違うやり方したりとかそのくくりの中で色々と新しいこと挑戦する感じ。

TAKUYA
逆に言えば周りには沢山の個性強いダンサーが多い印象なんですか?

HIRO
そう、勿論そういうダンサーが悪い訳じゃないんだよね、本来殆どがそうじゃなければいけないと思う。
そういう風になっていくのが正解だと思うんだけど、俺はちょっとあまのじゃく部分があるんだろうね。

TAKUYA
変な言い方ですけどそういう人達へのコンプレックスみたいなものも、、?

HIRO
そうだね。
だからそこはある意味その癖が突出するのであればその癖はすごい難しいことやろうとか、そこの部分をスキルでちょっと出す的なスタイルかな。

価値あるダンサーが育ってほしい

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