【Dewspeak vol.08】70年代後期から踊り始め今尚最前線で踊り続けるレジェンドKAZU

日本におけるストリートダンス創成期と呼ばれる80年代よりも更に前の70年代後期から踊り始め、その後TV番組「DADA」を通じてランニングマンをはじめとするニューダンス、ニュージャックスイング等、今でいうヒップホップダンスを日本全国に最初に広めた張本人KAZU。ニュージャックスイング以外にもビバップ(BE BOP)、タップ(TAP)、ニュースクールヒップホップ(NEWSCHOOL HIPHOP)、ポッピン(POPPING)・・と様々なスタイルを横断、追求し、今尚現役最前線で踊り続ける正にリビングレジェンドなダンサー。そんなKAZU氏からしか引き出せないであろう数々の逸話を求めてTAKUYA (SYMBOL-ISM)が鋭く探る。

TAKUYA
本日は宜しくお願いします!
KAZUさんと言えば「DADA」で新たなステップを紹介していた言わばZOOの師匠的な?イメージだったり、STRUTでのオリジナルなスタイルを開拓したり、ビバップ、そして勿論ポッピンだったりと様々なイメージがありまして。あと個人的に過去インタビューで言ってた確信に迫る言葉の数々も強く印象に残っていまして・・その辺も本日は是非お聞きできればと思います。

KAZU
TAKUYAって何年生まれ?

TAKUYA
僕は、1977年です。

KAZU
そっか、自分は1978年から踊り始めたんだけど、その時はサタデーナイトフィーバーとかそういう時代。

TAKUYA
自分が一歳の頃!約39年前!凄い・・。ジョン・トラボルタとかですよね。

KAZU
そう、そういうのとか、ロックンロール、原宿で竹の子族、ディスコとかが日本で流行りだした頃でさ。
ディスコの大会がゴールデンタイムのテレビで放送されていて大阪のTeddy Danさんとかが活躍していたね。
俺は踊りが好きだったけど、その頃はまだ遊び感覚のなんちゃってな感じで踊っていたので、すぐにダンサーを目指そうとかは無かったんだよね。
当時、新宿の大きなディスコで、お立ち台が2つあって、ある時間になるとそこにアフロヘアーのダンサーが二人上がってきてね。厚底のバッシュを履いたお兄さんが、ファンキーフルーツとかをやるんだよね。

TAKUYA
所謂ロックダンスの原型って言われるものですよね。

KAZU
そう。ファンキーフルーツとロボットダンス。
こっちでファンキーフルーツ、こっちでロボットダンスをやっていて、それを見ていたんだ。
あとは、ミッキーマウスダンスチームって言ったかな・・・。そういう人たちがいてさ。

TAKUYA
それ、昔のKAZUさんのインタビューで見たことあります。
SAM (TRF) さんとかもですよね?

KAZU
そう。後々聞いたら、SAMさんもそこにいたらしい。
だからSAMさんやTACO(ZOO)さんとかは俺なんかより早いんだよね。
TACOさんに13、4歳の写真見せてもらったけど、胸開いてジャクソンズみたいな格好してた。
たぶん、あれはカツラだと思うけど、あの歳でアフロやっていたからね。すごいね。

TAKUYA
KAZUさんより更に先なんですね。

KAZU
そう、その辺の人が先なの。
俺はまだ暴走族とかそういうのが全盛期の頃だからやってる事が定まっていなかった。

TAKUYA
年齢的にもお二人は上ですよね。

KAZU
そう、一つだけ上だね。
TACOさん、SAMさん、アキラ君(CRAZY A)、佐久間君(SPARTANIC ROCKERS)は歳が一つ上。
で、そういうのを見ていて、すごいモテてて、カッコいいなあと思って興味を持ち始めたんだ。
バイト先の一個上の先輩にディスコが好きな人がいて、その人に色々教わったんだけど、最初は新宿で遊んでたから、そこで流れてるような曲ばかり聞いてたんだけど、その人に「お前ら、そんな、いつまでもガキみたいな遊びしてんじゃねぇよ」って言われて。
その人もまだ18、19歳なんだけどね。
横須賀とか六本木に連れて行ってもらって、初めて黒人たちしかいないようなクラブ、ディスコに行ってその当時流行ってるステップ(ニューダンス)と呼ばれる踊りとパブロックっていうのを初めて見て衝撃を受けて、真剣にこれをやりたいなと思った。

パブロックというダンスのルーツ


TAKUYA
パブロックっていうのは、ポップ・ロック(POP LOCK)の聞き間違いってことですよね?
ちなみにスペル的には昔のレクチャービデオとかではPOP ROCKって表記されていたんですが、あれはどこからなんでしょう?今思えばPOP LOCKなのか?どうなんでしょう?

KAZU
そう、パブロックはポップロックの聞き間違いだね。
大阪のSEEN(YO-BBO)ちゃんが色々、今でも掘り下げて調べてるんだけど、会う度に調べたのを聞くんだよね。
ポップのスタイルは元々はオークランドと、リッチモンドと、サンフランシスコの3箇所で始まったらしい。
リッチモンドとかあのへんで、ポップだとかロックとかを総称してポップ・ロックって名前で呼んでたらしいんだよね。なのでPOP LOCK。
それをオークランドの連中はブガルー(Boogaloo)って言い始めたんだよね。
73年とか75年位の話なんだけど。
でサンフランシスコではそれらスタイルをストラット(STRUT)って呼んでいたらしい。踊りは同じなんだけどね。

TAKUYA
同じ踊りなんですか?
呼び方が違っただけってことですか?

KAZU
そう。
ブガルーサム(BOOGALOO SAM)らもオークランドの若手だったらしいんだけど、オークランドの方ではブガルー。オークランドブガルー。
サンフランシスコのスタイルはストラット。
だからポップ・ロックってのも間違いではないらしい。

TAKUYA
一つの言い方としてあったと。

KAZU
エレクトリックブガルーズは、LAのロングビーチでブガルーサムがやりはじめたんだ。
それでブガルーって言う名前で呼び始めたんだけど、当時サンフランシスコではストラットって言ってた。
ただ、日本には最初にエレクトリックブガルーズ(Electric Boogaloos)が大阪に来日したから、こういう踊りのことをポップとかブガルーって言うようになったんだよね。
俺は80年代に色々時計関係の仕事とかしてたから、香港、フィリピン、インドネシアだったり東南アジアにあっちこっち行ってて、踊っていると「ストラッター!ストラッター!」って言われてた。
何故かって言うと、おそらくそっちの方には、サンフランシスコの奴らが初めに行ったんだよ。
だからポッピングのことをストラットって言う。同じ踊りなのに。

TAKUYA
それはいつぐらいの話なんですか?

KAZU
80年代。確か85年だから、84年の映画「ブレイクダンス」が終わった後だね。
後に自分がストラットって名前をつけるヒップホップのチーム名の由来も元はそこから来てるんだ。

TAKUYA
なるほど、既に凄い話です。

80年代ニューダンス時代

KAZU
こんな感じで、80年位に始めたんだけど。真剣にやろうかなぁって思って、一応高校卒業して就職したんだけどすぐにディスコで働きだしたんだ。
そうするとタダで入れたりするからさ。

TAKUYA
新宿ですか?

KAZU
上野と六本木。新宿とは全く違うんだ。

TAKUYA
確かによく色んな人が言いますよね。

KAZU
83年に映画「フラッシュダンス」と「ワイルドスタイル」があるんだけど、84年の映画「ブレイクダンス」からいきなりダンサーが増えたんだよね。
ちなみにアキラ君たちはその辺なんだ。
ブレイクダンスブームだね。ヒップホップという言葉もこの頃広まったね。

TAKUYA
なるほど。

KAZU
「ワイルドスタイル」は、ダンスシーンはあまりなかったね。
84年の映画「ブレイクダンス」の頃に初めて、アキラ君達が俺とかが働いてるディスコに来て知り合ったんだ。
その後、すぐ映画「ビートストリート」が来てブレイキンが流行った。
でも、俺はブレイキンは少しかじっただけで、ポッピングとニューダンスから入ってたから、ずっとディスコで踊ってたね。

TAKUYA
その時代のニューダンスっていうのは、まだメディアには出てないんですか?
例えば、僕が思っていたニューダンスっていうのはボビーブラウンとかああ言う時代、80年代後期になるんですけど。

KAZU
ずーっと前から続いているんだ。
新しいステップや踊りが半年に1個とか、1年に1個出てくるんだけどね(ニューダンス)。
今回のこのステップは六本木で誰が一番上手いとか、ちょっとでも出遅れるとあいつに取られちゃったみたいのがあった。
でもそれと並行で、ちゃんと踊れるのが3人くらいしかいなかったんだけど、パブロックをやってる奴ってのがまた別格だった。

TAKUYA
その中にKAZUさんもいたんですか?

KAZU
いや、俺はまだ駆け出しで一個上のやつですごい上手いのがいたの。
もう今はいないんだけどね。
俺はいつも見て、凄ぇなって思って、盗んで、家帰って練習したりしてた。
先輩とかもおそらく色んな資料、映像を持っていたと思うんだけど、見せてくれないんだよ。ガキだから。
後々エレクトリックブガルーズの昔の映像とかみると、当時その先輩が同じ格好してるのを発見して、「あの人このビデオ持ってたんだろうけど、俺たちには見せてくれなかったんだ。」っていうのがわかるんだよ。

TAKUYA
KAZUさんよりもさらに上世代がいたんですね。

KAZU
すげぇ上手い人たちがいて、それに追いつきたくて。
それで84年からストリートダンスとクラブダンスが別れていくんだよね。
ブレイクダンスの全盛期になるから、ストリートは皆ジャージでブレイキンをやってたね。
アキラ君たちも原宿でブレイキン。BBOY PARKのような事をやっていて。
OHJI (BE BOP CREW)君たちも新宿でやってたから、ニューダンスは、おそらく深く本気ではやってない。
だから、六本木のごく一部の奴らが、パブロックとニューダンスを本気でやってた。俺はその中の一人なんだよね。
ここはポリシーなんだけど、みんな凄いやつに聞きに行ったり、チヤホヤしに行くわけだけど、俺ともう一人相方(マコト)は、絶対話しかけないで、いつもそいつが踊る時を待って、踊りを覚えといて家帰ってやったりしてた。
それでだんだん上手くなっていって、そいつの目にとまってくるわけ。そうすると向こうが話しかけてきて、その時に「勝ったぞ」ってなるんだ。

TAKUYA
時代ならではですね。

KAZU
そうするとまだまだ先がいるわけだけどさ。

TAKUYA
さらに上手い人達が。

KAZU
今、六本木でナンバーワンってあいつだよねってみたいのがいて踊りもファッションも含めて全体的にカッコよかったね。
俺はそういう人達に目がいって始めたんだけど情報もないし、何なのか解らなかったんだけど、84年に映画「ブレイクダンス」がきて初めて詳細がわかった。それで皆、パブロックをやるようになったんだけど、すぐに映画「ビートストリート」がきて、皆BBOYになっちゃったんだよね。
80年代は皆ブレイキンをやっていて、その時も俺らはポッピングやニューダンスを真剣にやり続けてた。
だから、これやってた人で今も残ってる人たちってほとんどないんだよね。
ただ多分大阪は皆ポッピングやニューダンスをやってたと思う。チェリー(Wild Cherry)さんとかが知ってたから。向こうの昔の映像見ると皆確かにやってる。それは何でかって言うと、ポッピンピート(Poppin Pete)たちも当時ニューダンスやってるからなんだよね。
ピート達が85年くらいに大阪行った時にその当時のニューダンスをやっていて、それやりながらいきなりポッピングをしたり、混ぜていて別のものではなかった。ショーとして見せる時にポッピングだけってのはあったんだけど、文化としては一緒だった。

TAKUYA
なるほど。パーティーダンス×ポッピンが混ざってるんですね。

KAZU
混ざってる。それを俺は80年からやってる。ずーっと同じことやってて、いきなり88年にニュージャックスウィングの波がくるんだよね。

TAKUYA
いわゆるニューダンスに、スポットライトが浴びた瞬間ということですね。
そしてKAZUさんにも注目が集まって。

KAZU
そう。ここまで浴びるなんて思ってなかったけど、ひたすらカッコよくを追い求めていたから、86年位には既に六本木でナンバーワンくらいの存在だったと思う。
なんでかって言うと、知らないお店に行っても全部タダで入れてくれるの。
あんまり自覚なかったんだけど、結構、名が通ってて。
87、88年くらいの頃にはマイケル・ジャクソン(MichaelJackson )の「Smooth Criminal 」とか「BAD」などの振り付け師のジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)が日本に来るようになった。俺もよくわからなかったんだけどね。

TAKUYA
ジェフリーダニエルをその当時は知らなかったって事ですか?

KAZU
俺はまだあんまり解らなかった。ただ、PV見れば出てるから、ホントだ、あいつ出てるじゃんって思ってたんだ。
88年、知り合ってすぐなんだけどジェフリーに「MCハマーって知ってるか?」って聞かれたけど、まだ俺は、知らなかったんだ。「アメリカでは大変なことになってるんだぞ」って言われて。
実はハマーは兵隊だったから、俺がよく行く、「キュー」ってディスコに来てたみたい。

TAKUYA
日本にですか?
デビュー前ってことですね?

KAZU
そう。いたらしいんだよね。
で、既存のものをアレンジしていってたのが、88年にいきなり新しいのが5個も6個も出来て、ランニングマン、ロボコップ、ロジャーラビットと増えていったわけ。
俺はこの時、六本木では一番若いくらいだったんだけど、先輩たちはみんないなくなっていったね。
俺ともう一人、ジュンジ、JJAYでジェイってやつがいて、そいつと一緒にやっていた。

TAKUYA
当時お二人でっていうのは良く聞きますよね。

KAZU
JJAYはジェフリーとすごく仲良くて。
88年のニュージャックスウィングの盛り上がりが来る手前に、ブレイクダンスが衰退していって、踊りをやっているやつがいなくなっていって、六本木にも俺とやつと、数人で本当に少なくなっちゃって。

TAKUYA
ダンサー自体がってことですね。

KAZU
ディスコ行っても3人くらいしかいない時もあって、88年にこれもう終わりだねって、つまんなくなっちゃった。
JJAYはLAのジェフリーの家に1年位居候してたりしてたから、じゃあもうアメリカに行っちゃおうかって、話になったんだよね。
当時時計の会社をやっていて、結構融通が効いたから、何年も行くことはできないけど、ちょこちょこ行くことはできるかなって。
日本では88年からJJAYと俺の会社に住みはじめてたんだ。
いつも六本木で外国人だのなんだのナンパしたり、遊んだりしてたわけ。その頃から、先輩たちもいなくなって、ニュージャックスウィングのすごいのが来てるんだけど、まだ誰も気付いてなくて。

TAKUYA
ストリートダンスの冬の時代だったんですね。

KAZU
そう、冬。
俺たちも、もうアメリカ行った方が面白いんじゃないって。そういう気持ちになって、さぁ行こうかなぁってなった時にTACOさんから電話かかってきた。
それで「DADA」が始まったんだよね。

SOUL TRAIN出演

TAKUYA
でもKAZUさんはアメリカに渡ってますよね?

KAZU
そう、「DADA」は6月に始まったんだけど、その次の月に行った。そういう予定だったから。
それで、行った時に「SOUL TRAIN」に出たんだ。

TAKUYA
どのような経緯で出演することになったんですか?

KAZU
ジェフリー・ダニエルが「SOUL TRAIN」のリーダーだったからじゃないよ。

TAKUYA
彼がリーダーだったんですね。

KAZU
「SOUL TRAIN」はドン・コーネリアス(Don Cornelius)って人がやってて、ブラックミュージックのアーティストなどが出てたんだけど、そこのダンサーの中で70年代にジョディー・ワトリーとジェフリー・ダニエルがいたわけよ。
「SOUL TRAIN」のダンサーってリーダーがいるんだけど、男のリーダーがジェフリーで、女のリーダーがジョディーだんだけど、それがくっついて、シャラマー(Shalamar)ができた。

俺らはジェフリーの力で出たくなかったんだ。
だから内緒で「SOUL TRAIN」の奴らをJJAYが知ってたから、場所などを聞いて行ってみたんだけど、プロデューサーみたいな人が最初は入れてくれなくて。
けど昼過ぎに一回休憩があるから、また門の所においでよってダンサーたちに言われて、昼くらいに再度行って「踊らない事を条件に入れてくれ」って頼んだんだ。
そしたらJJAYが連れてきてた日本人の女の子、日本で付き合ってた子なんだけど、プロデューサーがその女の子のことを気に入っちゃって、「お前らも仕方ないから入れ。その代わり絶対踊っちゃだめだぞ」って言われて(笑)。

TAKUYA
(笑)。

KAZU
音が始まったら「SOUL TRAIN」は、ペアじゃないと駄目だから自分で女の子をナンパするんだ。
だから、俺もナンパして勝手に出ちゃったんだ。シカトで行っちゃおうぜって。
JJAYもいったら、あいつフラストレーションが溜まってて、当時ニュージャックスウィング一色の時代に奇抜な踊りをいきなり始めて、それが現地の皆にウケちゃって。
そしたらプロデューサーが来て、「お前面白いから上がれ」って、次のシーンがJJAYのアップから始まっちゃったりして、それを機に出れるようになった。

けどあれってギャラが出ないんだ。ケンタッキーが出るくらいで、みんなプロモーション的に出演してたのかな?
向こうでポッピンピート達と一緒に練習してた時に「何であんな所行ってんだよ」って言われてあんまり魅力を感じなくなくなって、4回位撮影行ってたんだけど行くのを辞めたんだ。

TAKUYA
オンエアーされてるんですよね?
KAZUさんが出てるのがあるんですよね。

KAZU
されてるよ。うちにもあるよ。

DADA LMD、ZOO初期


TAKUYA
そこから「DADA」は何で急に始まったんですか?
日本ではダンスが衰退してる時代に。

KAZU
衰退していって、もうLA行こうかなって時に、番組やりたいって電話がかかってきたんだ。
ダンサーとして、オーディションみたいなのものをしたんだ。それに受かって第一回目は俺から始まった。

TAKUYA
その番組名も既に「DADA」なんですか?

KAZU
そうそう。「DADA LMD」。
マハラジャで録ってて、最後に少しだけ「SOUL TRAIN」みたいなラインダンスやるっていうだけだった。ダンス色は少しだけ。
だから俺は、あんまり興味がなかった。ただ当時、スタジオ借りて自分の踊りをビデオカメラで、友達に頼んで撮ってもらったり、自分の踊りを研究するのにお金がかかってたんだ。けどこの番組にでると、家帰ってテレビ録画すれば自分で見れる。それだけだった出る理由は(笑)。

TAKUYA
(笑)。
失礼ですがそんな理由で。

KAZU
そんなもん。その番組がどうなるとか思ってないから、それだけで、始まったら録画して。今回やりたかった事ができたって確認してたわけ。
でも俺LAから帰ってきた時に、今あっちではダンスブームが凄ぇことになってるから、これやったほうがいいよって、ディレクターの方に伝えて。
俺がステップレクチャーやるから、もっと踊りの場面を増やしてもらって、ランニングマンだのって言い始めたら、いきなり火がついちゃって、ダンス番組じゃなかったのが、だんだんダンスのボリュームが増えてきて火がついたんだよね。
TACOさんと二人で、ランニングマン、トゥループ、ロボコップだって教え始めた時に、結構社会現象的になっていって。

そこで今日のチャンピオンは?みたいのやってたでしょ。あれが人気になって、撮ってたのが火曜日とか木曜日とかだったからみんな学校休んでくるようになっちゃった。

TAKUYA
平日なんですね。

KAZU
そう、それで結構問題になっちゃって、曜日変えたのかなぁ。

TAKUYA
その時は、ZOOっていうのはまだ無かったんですよね。

KAZU
ない。
番組でコンテストをやったんだ。

TAKUYA
ZOOはそこから組んだんですか?

KAZU
そうだよ。
チャンピオンになっていった中から俺達が選んでいったやつらでZOOを作った。

TAKUYA
その時すでにボーカルを入れて、的な。

KAZU
そうそう、ダンスボーカルユニットをやりたかったんだろうね。
制作会社だったんだけど、D3カンパニーっていう。

TAKUYA
KAZUさんもしばらくはやっていたんですか?

KAZU
そうだね。一曲目は振り付けをやった。
作ったのは俺とディレクターの保母(ホボ)さんと言う人。
当時はHIRO(EXILE / ZOO)とかLUKE (ZOO)だとか、CAP (ZOO)だとかあの辺の若いメンバーは、踊り始めたばかりだから色々教えて対応していたね。
勢いだけで頑張ってたよ。

ニュージャックスウィング、ビバップ、LA滞在秘話


TAKUYA
ニュージャックスウィングはそこから急激に日本で流行ったんですね。

KAZU
「Wreckx-N-Effect/New Jack Swing 」が89年。よく88年て言われるけど正確には89年の時にニュージャックスウィングって言葉が出来はじめたんだよね。それまでは一つ一つのステップの名前で言ってたんだよね。ニュージャックスウィングって言葉は俺がピート達に聞いて日本に伝えたんだ。
あ、ちなみにビバップって言葉も俺が皆に言ったんだ。

LAで「SOUL TRAIN」に出てるとき、終わってからクラブに毎日遊びに行くわけ。
「SOUL TRAIN」のやつらと遊びに行くと、「SOUL TRAIN」ダンサーだからクラブもタダで並ばなくて入れたんだ。
そこでニュージャックスウィングを踊りながらたまにブガルーとか入れて踊ってた。

TAKUYA
LAでですか?

KAZU
そう。そしたら、それを見てた黒人の女の子が「ポッピンピートとかスキーターラビット(SKEETER RABBIT)って知ってるか?」って話しかけてきた。
「知ってるけど、向こうは俺の事知らないはずだよ」と言っていたら、会わせたいから電話番号教えてくれって言われて、電話番号教えたらその日の夜に家に電話かかってきたのね。
俺も初めてで、ビデオの世界の人だから、ベッドの上に正座して電話に出たよ(笑)。
「朝迎えにこさせるから明日うちに遊びに来い」って、行ったらいたわけよ。
そしたらそこではみんなニュージャックスウィングを踊っていたんだ。

TAKUYA
家で踊ってるんですか?

KAZU
そうそう、家で。
ピートとスキーターとスキーターの弟のマキシーってやつがいて、その3人でニュージャックスウィングをやってた。歳はピートは1つ、スキーターは2つ上なんだけど、ポッピングにしてもニューダンスも通過点だった気がするんだよね。だからニュージャックスウイングがきた時に、そんな昔の踊りだけをしてたら恥ずかしい状況、時代だった。
それからビバップはピート俺の家に来た時にビデオで「今、このダンスにすげー興味あるんだけど。何これ?」って言ったら教えてくれて。

TAKUYA
ピートから教えてもらったんですか?

KAZU
そう、「これロンドンのビバップって言うんだ、お前早いな、これ絶対やったほうがいいぞ」って。

TAKUYA
へー、ピートから聞いた言葉とは。

KAZU
そう、ビバップって言って。BROTHERS IN JAZZが渋谷クワトロでライブをやったときに、SAMさんとか皆来て。

みんなに「これビバップっていうんだよ」って教えたんだ。それまでは誰も知らなかった。
それで雑誌でホットドック(Hot-Dog PRESS)とかファイン(FINE)とかそういうので、ニュージャックスウィングとビバップを紹介したんだよね。

TAKUYA
昔の記事で、スタイル毎のファッションも紹介されていたのを見たことがあります。

90年代、ヒップホップへ復帰

関連記事