「SNSじゃなくて直接伝えたい。」ダンサーKEITAが全国でワークショップをやる理由

2000年から2011年まで日本のダンスシーン発展に大きく貢献したダンスチームBASE HEADSのキーマンとして活動し、メジャーシーンではMISIA、DREAMS COME TRUE、安室奈美恵など、数多くのトップアーティスト達のバックアップ&振付を手がけるダンサーKEITA。
以前もDewsではラッパー、アナーキーとのスペシャル対談をお届けしたが、そんな彼が単独で北は北海道、南は九州まで全30ヶ所以上のワークショップツアーを行うという。
ダンスシーンを長きに渡り盛り上げてきたダンサーKEITAが全国ワークショップを行う理由とは?
今回DewsではKEITAにインタビューを敢行。知られざる彼のダンスの原点に触れ、熱い考えや想いを語ってもらった。

始まりは底辺。ダンサーKEITAの原点とは


STAFF
まずはじめにKEITAさん自身についてお聞かせ下さい。
そもそもダンサーとしてのキャリアはどのようなスタートだったんですか?

KEITA
ダンサー界にピラミッドがあるとしたら、底辺中の底辺からのスタートでした。
元々はオヤジェンのRAHAさんのレッスンに通ってアシスタントなどをしていたのですが、20歳ぐらいの時、BOBBYさん率いるJ SOUL BROTHERSが初めて渋谷ハーレムでライヴをやるみたいなときがあって、RAHAさんから「お前、照明やれよ」といわれて照明を当ててました(笑)。

STAFF
えー照明!

KEITA
「タイミング違う!」とかって超怒られながら(笑)。
だからステージにすら上げてもらえなかったんです。

STAFF
そうなのですね。

KEITA
その当時、「青山ナイト」というイベントが全盛期の時代で、同期で既に活躍しているチームでいうとREAL SHITとか。
自分はRAHAさんのアシスタントはしてたけど、人脈もコネクションも全くなかった。だから最初にショーに出るのも、主催の会社宛てに「このイベントにこんな出たい」みたいな気持ちをFAXしました。
そしたらスゴイ大量のノルマで、オープニング一発目に出させてもらえました(笑)。
ノルマがすごいのでステージに上がるために借金までしてましたね。

STAFF
同世代で売れてる人がいる状態でそれは悔しいですよね。
そこから売れ始めたきっかけというか、ダンサーとして仕事が増えたのはどんなタイミングですか?

KEITA
少しづつスポットが当たってきたのかなと実感したのは、MISIAの2002年ツアーへの参加ですね。

STAFF
いきなり大抜擢ですね。MISIAのバックダンサーといえばダンサーの憧れでもあります。
どうやってそのメンバーになれたんですか?

KEITA
BASE HEADSにいた、RYOが当時REAL SHITのメンバーだったんですが、そこを抜けて、S.T.Oに入ったんです。
それからRYOとは挨拶をするくらいの関係だったんですが、STEZO(以下ステさん)さんが次のMISIAのシングルの振り付けを探していて「KEITAってやつはどう?」とRYOに相談したらしく、そこから話がきて、もちろん即答しました。

STAFF
すでに先輩方の目には止まっていたのかもしれないですね。
とはいえいきなりの大抜擢。プレッシャーも凄そうですね。

KEITA
そう、まだ22歳でしたが、ステさんをはじめ、U-GEさん、HyROSSIさんなどそうそうたるメンバーに振り付けをしなくてはいけなかったんです。
まだペーペーなので震えながら振り付けをしましたが、仕上がりはいい感じになって「じゃあツアーも行こう」と話が発展していきました。
[KEITAが振付師したMV]

STAFF
なるほど。
それでMISIAツアーダンサーになれたわけですね。
ステさんに真意は聞かなかったんですか?

KEITA
直接は話してないけど、それまでは「つつみ込むように」みたいな曲調がメインだったのが、打ち込み系の変則ビートも取り入れたタイミングが合って、当時自分たちのショーでミッシー・エリオット(Missy Elliott)とかそういった曲を使ってたからマッチしたんじゃないかなと思っています。

STAFF
自分で借金までしてショーケースでアプローチしていたのが身になったってことですよね。

KEITA
そうですね。
今だから言えますが当時は、借金が300万円ぐらいあったんです。
ノルマ払わなきゃいけないし、友達いないから、全部自腹切る。でもアメリカにも行って色んなものを吸収したいから、借金で行ってました。
結果どんどん膨らんでいってしまったんですよね。

STAFF
300万円!KEITAさんは昔から華やかなイメージしかなかったですが、かなりの苦労人だったのですね。
特にBASE HEADSは、雑誌でファッションアイコンとして常に取り上げられてきた印象が強いです。

KEITA
良くも悪くもファッションアイコンみたいな存在にもなって、それが先行しすぎちゃったところもありましたが、その時の流行と一緒に自分らも成長していくことができました。
そこから仕事を沢山頂けたし、1日に3人のアーティストを掛けもってやるくらい絶好調だったんです。
脚光も浴びるし、いい服も着るようになるし、色んなとこに知り合いも増えていくし、そこから勘違いが始まってすごい天狗になってしまった時期があったんですね。
踊ることが楽しいっていうよりは、踊らなきゃいけない状況が続いて疲れちゃってもいて。

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