Anomaly D WorksとBran.Coが統合!カリスマメロンピクチャーズ誕生へ

最近では吉野家、パイオニア、センチュリー21などの企業CMから、スクウェアエニックスなどのゲームの映像などを手がける映像プロデュースチーム『Anomaly D Works(代表カリスマカンタロー)』と、様々なダンス映像を主軸なふざけた通販番組やありもしない映画のPVを手がける『Bran.co(代表プリンス)』がこの度統合され(株)アノマリー映像事業部『カリスマメロンピクチャーズ』となることを発表。

最近では吉野家、パイオニア、センチュリー21などの企業CMから、スクウェアエニックスなどのゲームの映像などを手がける映像プロデュースチーム『Anomaly D Works(代表カリスマカンタロー)』と、様々なダンス映像を主軸なふざけた通販番組やありもしない映画のPVを手がける『Bran.co(代表プリンス)』がこの度統合され(株)アノマリー映像事業部『カリスマメロンピクチャーズ』となることを発表。

メロンの由来は、あの世界的企業のアップル社のアップルよりも高価なメロンの方が上を行くのではないかという神からの啓示(笑)を受けたと言う事で、この名前で世界的な映像制作チームとして今夏より始動する。
尚Anomaly D Worksは映像事業部を切り離した後もデザイン事業部として残し新たに新体制で始動する。
カリスマメロンとして名称が変わっての初の仕事が14日に舞浜のアンフィシアターで開催されたMTV主催のVMAJの初音ミクのオープニングだ。
ダンサー映像制作チームがどこまで行けるのか?益々その動きに目が離せない。

参考 : http://www.crank-in.net/entertainment/news/31388

以下『旧Anomaly D Works』カリスマカンタローと『旧Bran.co』代表の ※1 プリンスと ※2 JUJUにインタビュー

今回Bran.coがAnomaly D Worksと統合しカリスマメロン(以下カリメロ)になるという事で、まずは3人の心境などをお聞きしたいです。

J(ジュジュ):心境・・・というか、ずっと協力体制でやってきたし、仕事のほとんどがカリスマメロンに参加しておこなうプロジェクトばかりだったので、今回正式に発表した、ってこと以外は何も変わらないような(笑)

P(プリンス):そうだよね。僕ら自身は特にBran.coって名前にこだわりもあんまりないし(笑)
僕もジュジュもBran.coって組織を大きくしたいとかっていう野望も最初から全然なくて・・・。
それって職人っぽく、かっこつけて聞こえるかもしれないけど、もっと低次元なレベルで「何も考えていない」って言うか(笑)
僕らは制作だから裏方だし、皆に「かっこいいな」って思ってもらえるものを作っていくって事が仕事だし、それだけに集中したいし、してきたつもりではあるんですけど。
アノマリーは規模もやってることも大きいし、沢山の社員もいらっしゃるので、変わるといえば作品を作った時に前だとAnomaly D Worksって僕らがクレジットしちゃっていいものか、とか迷わないですむ。くらいかな(笑)

J:そうそう、それいつも迷いますよね(笑)
今は僕ら関西チームとアノマリー本社の関東チームと別の案件を同時に動かしたり、同じ案件を協力してやったりしてやっています。
正式な形としては旧ADWの関西チームがBran.coチームってことになってました。
なのであんまり心境に変化はないです。
カンタロー君も僕らの好きなようにさせてくれるので。

K(カリスマカンタロー):そうですね。最初の出会いで一撃のカツ君から連絡が来て、うちのプリンスに会ってもらえ
ますか?って。で、全然いつでもどうぞって言ったらすぐ東京来たんですよね確かw。
そこで、会社ってどうやるのかとか色々聞かれて、普通に答えてて、その中でこんなの作ったりしてますって見せら
れた映像がヤバスぎて、これ仕事になるから俺に任せて!って感じで始まった。そこからは今までの繫がりで色々な
人に映像を見せまくって営業して今の形になったというか。とりあえずそれまでの仕事で食べていくのが厳しかった
みたいなので最初はその手伝いからでした。

最初の出会いはどんな感じの雰囲気から始まったんですか?

P:その話をするとなるとBran.co結成の話からしないといけなくなるんですが・・・。
長くなるのでやめませんか?(笑)

お願いします!!

P:じゃあ、いきなり暗い話から始まっちゃうんですけど(笑)
僕、娘が一人いるんですけど、娘が生後半年かくらいの時に、僕一人で育てないといけなくなっちゃったんですね。
経験しないとピンと来ないかもしれないんですが、男の人が赤ちゃんを育てるって本当に大変なんですよ。
さらに映像の仕事なんかもちろん保育園が終わる時間に帰れるわけないじゃないですか?で、仕方なくフリーランスになったんです。
なので、独立志向があったわけでも自信があったわけでもなく、当時は「苦肉の策」として独立せざるを得なかったって感じでした。(笑)
で、当時は流れてくる映像のお仕事をどんな仕事でもただ黙々とやって、デザインの専門学校で講師をしたりしている状態でした。
とにかく家事、子育てが大変で「子供を育てながら仕事できるんだったら何でも良い」って思っていて「こんなものを作りたい」とか「こんな仕事をしたい」とかっていう夢や目標も無く、ただただ必死に毎日をやり過ごしている感じでした。
いわゆるクリエイターとしては「終ってる状態」だったわけなんですけど、日々の生活がしんどすぎて、それすらわからない状態でした。
で、そんな時にジュジュから電話がかかってきて。
「どうせ仕事するなら、好きな事で仕事がしたい。夢中になれる仕事がしたい。一緒に立ちあげましょうよ」って。
同じダンサーとしてはジュジュとは仲も良かったし、人間的にもすごく好きだったし、3DCGの腕は当時プロとしてやってた僕よりもずっと先を行っていて、趣味で終わらすにはもったいなすぎると思っていたから「いつか一緒にやろうね」と話はしていたんですけど、そのタイミングで声掛けてもらって「そうだそうだ!この仕事は情熱を持ってやらないとダメな仕事なんだ!!」って。

そのときのジュジュさんの境遇はどんなものだったんですか?

J:映像の世界に入ったのはプリンス君の作品を見たのがきっかけでした。
最初は基本エディット中心だったんですけど、2007年に見たトランスフォーマーの映画がきっかけでCGの世界へ。そこからどっぷりハマっていつか仕事に出来たらいいなと思ってました。
2010年に僕も結婚していろいろと悩んでいました。
パフォーマーとしてもダンサーとしてもいつかは限界が来ると分かっていました。
いくらパフォーマーで稼げても家族を養っていくには結局ギリギリの生活を常に送る事になるのは分かっていたしこのままじゃ本当にまずいと思ってました。
そこで思い切ってプリンス君に連絡しました。
最初は『ふざけんなっ!』って言われて断れるかと思いましたが凄く真剣に聞いて下さってすぐにその場で組む事になりました。
その時は正直このチームが仕事として形になるまでは時間がかかると思ってましたが目の前が一気に明るくなりましたね。
その後はダンスより完全にモーショングラフィックにハマってしまってました(笑)

P:で、とりあえず二人でスタートしたんですけど、まず営業するためにはデモリール(映像作品集)が必要だよねって事で何か作ろうってことになりまして。

J:プリンス君のダンスのチーム(一撃)のメンバーのカツ君っていう人が1.G.Kってバンドをやっていて、シングルを出すからそれのミュージックビデオを作らせてくださいってことになって。
ノーギャラでやるから好きなようにさせてって約束で。
ひと夏かけましたよね!!二人でフルCGで五分ノーギャラって(笑)
思い出すだけでぞっとします。

P:僕らとしてはデモリール作りが目的なんで、いろんな技術を入れなくちゃ自分たちの宣伝にならない。
だからMVの作品としての整合性はとれなくなっちゃうことはご了承いただいて。
今見たら下手くそだしメチャクチャなんだけど、同時にこんなに真正面からぶつかってはいけない。本当に情熱の塊だったんだなって狂気すら感じます(笑)
あとBran.coとしてターニングポイントになったもう1つとしてその時期にADHIPさんのBOTY JAPAN 2011とJAPAN DANCE DELIGHT vol.18のお仕事を頂いたんです。

担当のTANABONさんが「Bran.co立ち上げのお祝いに任せてみるわ」って。
そのころは僕らなんか何者でもないし見せれるような作品も1つもないですし、大事なイベントのメインビジュアルを任せちゃうって、結構危険な事だと思うんですけど(笑)、ADHIPさんってそういう粋なことをしてくれる人達なんですよね。

J:アノマリーさんもそうだけど、若い奴らにチャンスを作ってあげられるって本当に凄い。
ある程度どんな仕事をするかわかってからじゃなくて、そういう時に信用してくれた事ってやっぱり一生忘れないし、僕たちもいつかチャンスをあげれる立場になれたらなって思っています。

P:このBOTY、JDDと1.G.KのMVを下手くそなりに沢山の人に見てもらえて、Bran.coの1つ目のターニングポイントになりました。
沢山の人に僕らのことを知ってもらえたし、「え!?ジュジュとプリンスってダンス以外にもこんな本気でやってることあるの?」みたいな風に知ってもらえて。
で二つ目のターニングポイントになるんですけど、やっとこさカンタローくんが出てきます。

J:長かった・・・(笑)

P:デモリールもできたし、次はそれを持って営業に行こう!!って事になりました。
だけど、いままで営業なんかやったことないんですよ。
どこにどうやって持って行ったらいいのかわからない。

J:僕ら基本的に順番間違ってますよね(笑)
そこで営業と言えば凄いところと一緒に仕事しまくってるカンタロー君にアドバイスをもらえば良いじゃないか!!って事になったんです。

P:確かDANCE@LIVEが国技館成功させた次の年だったかな?その次の年?とりあえず「アノマリーが凄いらしいぞ」って噂は関西まで届いてました。
その時はアノマリーさんから仕事もらおうなんて事は全然思ってなくて、営業の仕方をカンタロー君に教えてもらおうと思ってカツ君を通して連絡したんです。
もちろんXyonの事はダンサーとして知っていていたので、話くらい聞いてくれるかもしれないという安易な理由で。(笑)
そんな安易な理由で会おうとする奴腐るほど来るだろうに、ちゃんと時間とってくれて、自分がどうやってビジネスをしてきたか、協賛を取ってきたか、営業をしてきたか、いろんな話を聞かせてくれて。
凄く印象的だったのはパフォーマンスとして「俺は凄いぞ!!」みたいな「いかにも経営者」的な感じの武勇伝的な話が始まるかと思いきや、自分たちのダメなところ、失敗談、包み隠さず教えてくれて、それはとても印象的でした。
「イメージと違って、かなり真面目で謙虚なカリスマだな」って思ったのを覚えてます(笑)

カンタロー君あの時のこと覚えてます?

K:う〜ん、とりあえずスニーカーと靴下が汚かったw 苦労してるんだろうなってw
あと、顔が優しい人だなと。でもどことなくふざけた人だなとw

P:で、帰り際に自分たちのデモリール見てもらったんです。
そしたらカンタロー君の顔つきが変わって「これはちゃんとビジネスになるよ」
「これはキチンと持っていくべきところに持って行って、キチンと営業した方が良いよ」って。
かなりマジな顔してました。
制作してる奴が営業してる時点で企業は「営業も雇えない会社」って舐められるだろうしデザイナーなんかビジネス感覚ゼロだから、って感じで買い叩かれるだろう。ってアドバイスをくれました。

J:今考えたらあたりまえのことなんですけど、当時の僕らははそんなことも分からないくらいのビジネス感覚しか持ち合わせていませんでした。費用対や工数なんで考えた事もなかった。
カンタロー君が「営業してくるからなんか一緒にやろうよ」って言ってくれて。

それでいきなり持ってきてくれたのがセンチュリー21のCMシリーズのコンペの話です。
コンペってのは先に映像を作って色んな制作会社で競争するんです。
このコンペってのが曲者で、何も知らない制作者がよく騙される手口で・・・(笑)
つまり「とりあえず作ってよ。上手く反響あれば次から契約取れて大量にギャラも貰えるから」って。
結局タダで作らされてその後何もない。反響がなかったから仕方ないやん。みたいな。
しかもその話持って来た奴は実はギャラがあってちゃっかりその仕事のギャラを丸取りしてたり(笑)

P:カンタロー君と会ってからその話があるまでの数ヶ月間の間、他で同じような手口で結構上手く使われて利用されるみたいな事が続いてて、僕もジュジュも「今回の話もまたそんな感じかな」ってちょっと腐りかけてた時で。
そういった事を見抜けない自分の経験不足とビジネス感覚の欠如が最大の原因なんですけど、当時はとりあえず「それでもやるしかない」くらいでやってました。

J:確か納期が1週間あるかないかだったと思います。
わざと短納期にしてどこまでできるか作業スピードを見られたりすることコンペにはよくあります。
短納期も短納期なので自分の納得いくレベルまでは持っていけなかったんですけど、とりあえずなんとか作って送りました。

そしたらカンタロー君が「決まったよ」って連絡をくれて。
単純にビックリしました。え〜、もう決まったの???って感じです。
いきなりメチャクチャビッグタイトルですし、ギャラも桁が今までと2つくらい違うわけですから。
しかも僕が大好きなロボットもので作っていいってことになって。

このセンチュリー21のCMシリーズが僕たちの第二のターニングポイントになりました。

P:この作品が旧ADWとしては最初の仕事になるんでしょうか。
その後カンタロー君から立て続けにすぐスクウェアエニックスさんのヤングガンガンの「ディメンションW」という連載マンガ作品のPVを頂き制作することになりました。

その作品を見てくれたドラクエのプロデューサーから別のスクエニさんの携帯ゲームのビッグタイトル「ギャラクシーダンジョン」のオープニングの話をいただきまして。

東京ゲームショーのスクエニブースで流れたり、そもそも子供のころの沢山の時間を共に過ごしたドラクエとFFのスクエニさんですからね(笑)
もう何の事かわからないですよ。
しかも奈良のド田舎でそんなタイトル扱ってるわけですから(笑)
なんでこんな話が急にドンって来るんだろうって。カリスマパネ〜〜〜〜ってなりました。

そのちょっと前から流石に二人では限界が来てたので、twitterかなんかでスタッフ募集したら関西のHIPHOPチームの-N-cleusのしんや君が働きたい!!って連絡くれて。
しかも最初なぜか自分がダンサーだってこと隠してて。(笑)
なんでそんなことしたのかは未だに謎ですけど。(笑)
その頃は僕とジュジュでしんや君に色々仕事教えたりしながら3人体制で頑張っていました。

その後はトントン拍子なのかな〜?
作る→その作品を見てもらって仕事を頂く→作るの良いループができてきたんじゃないかと。
今もここで書けないようなビッグタイトルの話もカンタロー君から沢山いただいてるし、同時にまだまだこれからだとも思っています。

話に出ましたが、今も奈良で制作されてるんですか?どの様なスタイルで制作をされてるんですか?

P:別に場所にこだわりはないんですけど、今はネットで充分やり取りできるし、カンタロー君にはプロデューサーとして全幅の信頼を置いてるので、制作に入るまでのことは全てお任せしています。
なので撮影とか打ち合わせで月一で東京に行くくらいで充分だし。
あとは家賃も安いし、のどかな僕の地元の奈良の香芝って所で大きな日本家屋借りて自宅兼オフィスにしています。
和室にPCがズラリのリアルサマーウォーズみたいな感じです(笑)
庭に巨大トランポリン置いてアクロバットの練習したり、フルーツ畑作ったりもしています。はたから見てたら何の集団か理解不能だと思います(笑)

カンタロー君も来てくれたことあるんですよ。
カンタロー君が最寄り駅の五位堂ってローカル駅で僕らの車が来るのを待ってる姿は爆笑ものでした。
「カリスマが五位堂にいるよ!!!」って(笑)
異常に目立ってました(笑)

スタッフもうちで働きたいって東京から住み込みで来てくれている子もいます。
普通、映像したいって東京に行くもんですよね(笑)
よく考えたら凄いことですよね!映像作って町おこしにも一役買って(笑)
最近は案件も増えてきて、スタッフも増えてきたので、僕とジュジュ、しんや君がお互い案件を抱えて並行で作業することもあります。
基本は何らかの形で協力してやっていますが。

あとは、せっかくスタッフ皆ダンス頑張ってきた人たちなんで、スタジオ作って近所の子供たちに交替でダンスを教えたりもしています。
http://www.kashiba-dance.com/
ジュジュのオフィスは大阪の長堀ってとこにあって、ジュジュは最近はそっちで作ることも多いです。
ジュジュもそっちのオフィスはそっちのオフィスでスタッフ入れたら?でもジュジュはアシスタント使うの苦手そうだね(笑)

J:苦手ですね、、(笑) コミュニケーションが下手だし変に気をつかいます。
その点本当にプリンス君やカンタローさんに出会えて良かったなと思います。
僕は自分が得意な事にだけ集中すればいいので(笑)

P:僕らは「よく遊べ、よく学べ」の見本みたいな組織で。
仕事するときはめちゃくちゃするけど、基本18時には終わるようにしています。
もちろんそれで納期守れなかったりクオリティーが下がったらしょうがないけど、今のところ納期が守れなかったということはほとんど無いんじゃないかな。

K:うん、無いね!完璧!だから仕事を取ってこれたんだ☆

P:人に楽しいって思ってもらうものを作るのに、自分が楽しんでやってなきゃ、といつも心がけています。
自分も娘のことで制作業を諦めかけているし、仕事したらダンスできないって風潮も嫌だし、何も犠牲にしなくても「良い仕事」ができる組織を作りたいと思っています。
ジュジュは家族もいて現役バリバリでモータルで活動してますけど、納品が遅れたりクオリティーが落ちたりしたことは一度もないです。
僕らの仕事は「カッコいいものを作る」のが仕事だしカッコいいものを作ってさえいればOK。
逆にカッコいいものを作れなければ何日徹夜してもダメです。

J:一時期ダンスやめてモーションデザイナーとしてだけでやって行こうと思った事は腐るほどありますが、結局この2つがあるからいいのだと思います。
1日中パソコンと向き合って徹夜で仕事をする日もあれば数千人のお客さんの前で踊ったり演じたりする日もあって毎日刺激だらけです。
だから全く飽きないし視野もかなり広がりました。
映像、ダンスもそうだし、今モーコンで次世代の子達を育てるプログラムを2012年にスタートしたんですけどダンスの技術はもちろん、マナーなども教え込んでいるんです。
これからあの子達も大人になっていつか必ず『その時』が来ると思うんです。
ってなった時に僕みたいに別のところで道を切り開いて行った先輩がいる事で少し心強いじゃないかなと思ってます。

P:関西チームはスタッフが常に不足していて、ビッグタイトルも控えているのでこの場を借りて募集しちゃおうかな?
一緒にカリスマメロンで映像作りませんか?かなりふざけた名前になっちゃいましたが、これ本気ですw
アドレスにメール待ってます!!
ガンガン作品送ってください!!ちゃんと見ます。
プロじゃない人も、うちあと二人くらいなら住めるんで金払って学校行くくらいなら奈良に引っ越してきて住み込みでアシスタントやって仕事覚えるってのも良いかも。(笑)
奈良はなーんもないけど逆に映像まみれになれるぞ!!

J:こんな募集で来たくなる人いますかね。(笑)

実際はどのような流れで制作をされるのでしょうか? 何か最近の作品の裏話なども聞かせてください。

P:これは本当にケースバイケースなんですけど、カンタロー君やキヨシさん、キグレさん、大将さん達とアイデアを出し合って制作する場合もありますし、「プリンス君たちに任せる」って任せてもらえることも多いです。
一番最近僕が担当したやつだとDANCE@LIVEのオープニングですかね。
同時進行でジュジュは吉野家さんのCMを担当してくれていました。

K:その時アイデアが浮かんだ人が基本的にその作品のプロデューサーになるね。俺かプリンスが基本的には多いけど、アイデアは色んな人からもらう。それに脚色つけるのが俺は更に得意かな。
アライブのOPに関しては今年は完全に任せてみました!一回シャットダウンってのにはびっくりしたけどw

P:DANCE@LIVEのオープニングですが、最近は特にそうなんですけど僕は「どんなことをしようか」って所にものすごく時間がかかります。
本当にずーっとウンウンうなったり、そこらをウロウロしたり、昼寝したり。
その時はぼーっとしてることも多いので、スタッフの子たちも僕が悩んでいるとか詰まっているとか、その時はあんまりわからないみたいです。(笑)
付き合いの長い、しんや君だけはわかるそうですが。

一番最初に思いついたのはカンタロー君のサインの部分です。
「サインと言えば契約書だよな!」って感じから膨らませていって「よしDANCE@LIVEとお客さんとの契約書を作ろう」って事になりました。
で、裁判の条文を読むようなシーンを想像したりしながら文章をおこしていきました。
そこまで行ってしまえばあとは皆でわーっとやるだけなんで楽なんですが。

ビジュアル面ではDANCE@LIVEは世界で開催されているのでJAPAN=「和」のイメージは入れたかったのですが、あからさまな和のイメージは自分的にはちょっと。って感じだったので「和」と対極にある「デジタルのインターフェイス」をうまく同居させる事はできないだろうかと考えました。
洋物のストリートダンスが日本で新たなフェーズを迎えるという意味も込めて。
うまくいったかはわかりませんが、どうでした?

裏話としては作中に出てくる筆のデザインは僕が全て半紙に書き起こしました。
それをスキャニングしてイラレで加工して・・・って作業をしています。
実は僕、書道4段持っているんですが、こんな所で役に立つとは思わなかったです。
途中のホタルの光なんですが、最初NG出たんですが「これは絶対に入れたい!!ここで一度緩めたいんです!!これがあることによってカッコいい部分がさらに引き立つんです」って強引に説得しました(笑)

K:これは強引だったねw キヨシを納得させないといけなかったのと制作スケジュール全体に響くからね。

P:でもやってよかったです!このオープニングの中で様々な作品のオマージュが散りばめられています。何の作品か是非探してみてください!!

J:吉野家のCMについてですが、まずびっくりしたのは俺等であの吉野家のCMを作れるの?って。カンタローさんどんだけだよってw。まず最初に吉野家さんとアノマリーからあがって来たいくつかのコンセプトと絵コンテを元に僕があとからアイデアを付け足して作り出していった感じです。

ダンスと吉野家の融合がテーマだったので、『もしもこの世が吉野家とダンスに支配された世界になっていたら?』と壮大なイメージを頭に映像を作り出しました。
ダンスの中でもやはりブレイクダンスを選んだ理由は自分がブレイクダンサーである事はもちろん、何か分かりやすい形でこの素晴らしいジャンルのダイナミックな動き・軌道を可視化できないかと考えたところあの墨の動きが誕生しました。
一番苦労した点はどのカットを使うかですね。
ダンサーとして出演してくれたイッセイ君とチエリちゃんが全カットノーミスで素晴らしい動きをしてくれたのでカットを選ぶのが大変でしたね。

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