【Dewspeak vol.02】日本オリジナルともいえる1スタイルを色濃く提示した重要人物の一人TAKE-G
SLAM-G、PARTY メジャーでの活動
TAKUYA
SLAM G(スラムジー)はどういう経緯での結成なんですか?宮地さんの方が先輩ですよね?
TAKE-G
んー、先輩というか年上。宮地君は、元々名古屋の人で途中から入ってきた感じかな。
六本木サーカスで知り合って、一緒にやろうって誘ってくれたんだよね。
TAKUYA
それがダンス甲子園?ですか?
TAKE-G
そう、それでオーディションみたいなの出て。
抜き出てたと思うよ。実際はもう2人とも高校生じゃなかったしね。
TAKUYA
上手い人達はほとんど違ったっていいますもんね。
田中さんは高校生だったっていいますよね?
TAKE-G
田中は俺と同い年かな?田中は個性的だったよね。
TAKUYA
あ、じゃあ高校生じゃないですね。僕も田舎から見てて面白かったですね。
SLAM Gは本腰入れてやってたんですか?
TAKE-G
そうだね。
途中からKOJI君(ちゃんねるず)、CHINO君も一緒に踊ったりして。
TAKUYA
それは助っ人みたいな感じで?
TAKE-G
たぶんプロならもっと面白いことをやってほしい的な事とこがあったのかな。
それで宮地君が2人を連れてきてやることなったんだ。
すごい新鮮だったけどね。彼らはステージでは必ずやることやってくれるし。
2人には刺激をもらったし助けてもらったよ。
TAKUYA
その後ダンス甲子園の面子でPARTYというグループ結成に繋がりますよね?
TAKE-G
それはもういいんじゃない(笑)。
TAKUYA
TAKE-Gさんどう思ってたのかも聞きたくて。
分からない人のために言うとPARTYっていうボーカル&ダンスグループで1回CDデビューされてるんですね。
ダンス甲子園のスターたちに加え、BOBBYさんがいて。先ほど名前が出てた宮地さんがリーダーでボーカルして仕切ってやっていたように僕には見えたんですけど。で今また盛り上がってる?POLOの1992オリンピックモデル、ウィングフィット等の最新のNYスタイルのファッションを着込んで。
あのグループはどういう経緯で、どういう気持ちでやってたのかなって。
TAKE-G
そうだね、アイドルって大変だなって(笑)。
TAKUYA
(笑)。
あれは宮地さんが誘ったメンバーなんですか?
TAKE-G
1回芸能事務所に入っているんだよね。それでダンス甲子園が終わってその流れで、色んなチームの人気者を事務所がくっつけちゃえってなって。
TAKUYA
それでなんとか売れてやろうみたいなのはぶっちゃけあったんですか?
TAKE-G
俺は売れたいとかは全くなかった。むしろ自分は向いてないなって思ってた(笑)。
ただ誘われたし1回やってみようかなみたいな。
TAKUYA
それはどういう意味で嫌だったんですか?もっとコアなものをやりたいんだってそういう方向でやめたかったですか?
TAKE-G
そっちだよね。ってか言わせるね。常にそれはあったんだけど誘ってくれたのと流れもあって。
TAKUYA
いわゆるあのど真ん中の流行、例えばPOLO1992とかってTAKE-Gさん的には興味はあったはあったんですか?
TAKE-G
一切ないね。俺、1個も持ってないもん。BOBBY君が入ってきてだよね。
PARTY以外でそれを着て俺が踊ってるの見たことある人いないと思う。
TAKUYA
なるほど。
じゃあ唯一PARTYでそういうのをやってたっていう。
僕はライブみたいなのを人が撮ってるのを見たことがありますけど、歌も歌ってましたもんね。
TAKE-G
そういややってたね。
TAKUYA
ただ結果短命でPARTYも終わるわけですよね。
終わる時はどうやって終わったんですか?
TAKE-G
その前に俺とMASAOはやめちゃってた。
TAKUYA
あ、やめちゃったんですか。
TAKE-G
そう。そっからBOBBY君が入って、弟のTETSUがそこで入ったの。
TAKUYA
え、MASAOさんもPARTYにいたんですか?
TAKE-G
そっか。そこ入れ替わったの知らないんだね。
そう、最初のPARTYは宮地君と俺とMASAOと服部(MakeUp Trips)とケンゴ(MIAMI FACE)
とデンゾウ(MIAMI FACE)。
TAKUYA
MASAOさんて後のMICROPHONE PAGERのラッパーとしてのイメージが強くて、元々はダンサーという話は聞いてましたが、その当時表にはダンサーとしては出てきてたんですか?
TAKE-G
出てきてた。さっき言ってたサーカスの大会のタイミングでも出てて、それは割と横浜スタイル。
TAKUYA
横浜ということはVISION、、、ダディケン(BIG DADDY KANE)、
Scoop & Scrap Loverみたいな流れでしょうか?
TAKE-G
横浜の人達は皆DOPEだったんだよね。それで仲良くしてもらって。
TAKUYA
なるほど。じゃあPARTYはそこからはじまっていって途中でTAKE-Gさんはやめられたと。
もっとコアなほうをやりたくて。
TAKE-G
そうだね。正直性に合わなかったってことかな。
黒く重い独自のヒップホップスタイルの形成
TAKUYA
時系列的にはその後ですかKANGOさんと二人で、丸坊主でチャンピオン着てのショー。あの黒く重いステップスタイルが自分の中では象徴的なTAKE-Gさんの一つの形で。あのイベントは青山ナイトですか?
TAKE-G
あ、そうだね。
ただそのスタイルという意味で言うならその前に1回MASAOと組んでいて。
TAKUYA
その時にはもうそのスタイルですか?
TAKE-G
俺は割りと型にはまってなかったからMASAOもリスペクトしてくれていて、MASAOは割と横浜のスタイルそのまんまやっていたんだけど、お互い思い合ってはじまって。
TAKUYA
あのコアな感じっていうか、ああいうスタイルっていうのはどうやってはじまったんですか?
TAKE-G
やっぱり元はRAP MANIAとかFENDI、それとFather MCのバックダンサーのモエイとかは衝撃を受けたね。
TAKUYA
LA、NY東西でやったやつですか?
TAKE-G
そうそう。
そこら辺が終わってからベビドン(lalah Hathaway / Baby Donft Cry)のPVとか、あそこらへんからみんなNY見始めて。
でもそこでNYに行ってた人がそんなにいないんだよね。
ビデオはみんなよく見てて知ってるんだけど。たぶん俺と宮地君が1番最初に見てるんだよ、NYのクラブ行って。
カリーフとヘンリーもいたし、そこで日本人がいる事自体珍しい時代で、でサークルとかで「お前出ろよ」って感じになって。
NYのクラブを転々と回っていて、行く先々で当時の有名ダンサーと会うんだよね。
でそういうノリを持って帰って、まあああなったというか。
TAKUYA
では周りからは異質に見えてただけで結構NYスタイルを直系でやってるイメージなんですか?TAKE-Gさん的には。
TAKE-G
結果、そうかもね。
この時期あたりから皆の方向が決まった気がする。
ハウスダンスの始まりもこの頃だよ。NYのハウスダンスがヤバくてヒップホップとハウスに分かれたとき。
この頃は、KANGOと坊主でヒップホップをやってたんだけど、KANGOはハウスにいって、このあとにROOTSが出来たんだよ。
ただ方向性は分かれていって一緒のグループじゃないけど、六本木ダンサーってのはやっぱりどこかで仲間意識はあったから。新宿は新宿であったし。
TAKUYA
六本木系はいわゆるZOOとかの一派って事になるんでしょうか。
そこからTAKE-Gさんは派生していったっていうイメージなんですかね。
確か「MAIN STREET」の写真ですかね?あそこにはTAKE-Gさんもいるし、ROOTSの面々もIMAEDAさんやBOBBYさんもいるし。
派閥というか方向性は最終的に違うように見えても大元は一緒なんだなっていう。
ああいう写真からも確かにそういうイメージはありました。
TAKE-G
あー。あれ大阪のイベントの為に撮影したやつだね。あんな感じは初めてだったな。みんなそれぞれスタイルがあってお互いを意識しあってたよね。楽しかった!
TAKUYA
そこら辺からなんですかね益々の影響力というか、本人は言いづらいかもしんないですけど、TAKE-Gさん独自なオピニオン的な感じがあったように思いますね。TAKE-Gさんの影響で坊主にするダンサーも増えてましたよね。FOOLISHがその代表的というかそのアイデンティティーを継承した最初のチームですかね。
TAKE-G
そうだったかもね。
TAKUYA
それが大阪とかその他地域にも広がっていっていたように自分には見えていました。ご本人はその意識は全くないですか?
TAKE-G
全くない(笑)。
TAKUYA
へえ。けどありましたよね、実際。
TAKE-G
まあただなんかね、当時はクラブに行って踊っているとみんな見てくるのよ。
東京のクラブに大阪の連中とかきて。
で、やたら見られてるなってのは正直なところあったかな。
でそういう子達は実際増えたね。
TAKUYA
じゃあもうその頃は自己主張型というかある意味でのオリジナルスタイルみたいなものつくるみたいな志はあったんですか?
TAKE-G
そうね。ある程度のところにいくと自分のオリジナルスタイルを作るのは自然なことじゃないのかな?
真似してもそれになるだけだからね。
当たり前だけど、みんなそれぞれ違うじゃないですか?自分の周りは個性的な人が多かったけど、当時はそれが当たり前じゃなかったかもね。だからちょっと浮いた感じになったよね。
TAKUYA
なりますよね。
当時の映像見ても、みんなシルエット近くてドレッドで、MisfitsだったりElite forceぽかったりみたいな中で、何やってるんだろうみたいな感じありました。
ちょっとハウスのステップっぽい感じにも僕には見えて。あんまりヒップホップの人はやってなかったかなーとか、突然バク宙したりとかも、あんまやんないですよね、あの当時。
TAKE-G
そうだね。ただ、やっぱり色々な人の影響を受けて一応あるわけなんで、当時ね。でも自分の踊りを見せたくてアレンジしてるわけだけど。最終的にはみんなたぶんそうだと思うんだよね。今の時代とか勿論そうでしょ?
TAKUYA
そうですよね。
僕らの世代とかから、自分の踊りをっていう意識はかなりあるんですけど。その当時にっていうとやはり少なかったのではと。今で言うとヨーロッパのダンサーってみんなが個性が強いんですよね。やっぱりこうあんまり人の真似しないというか自意識が強いというか。ただ日本てやっぱり似せることが上手いというのもありますし、似せることにすごい一生懸命だった、よく言えば謙虚で基本に忠実で。特に90年代までは時代的にも特にっていうのが僕のイメージなんですけど。そんな中で異質に見えてたというか。
TAKE-G
そうね。やっぱでもクラブでそりゃ分かっていったんだろうけどね。
NY行ったり、そういう良い経験がいきたのかな。実際の現地のダンサーはそれぞれが違ってよかった。
だけどみんなオリジナルで、個性を大事にしてたよね。どれだけぶつかれるかっていうことをやってた。リスペクトするなりを表立ってはしないけど、あいつはナイスだよって常に思ってやってるわけだから。そういうのってわりと自然だと思うんだよね。
なのでやっぱビデオとかだけでそういうの見てみんなで同じことやるのはどうかなって当時から思ってたよ。
ショーとかにしても一緒に踊ったとしても何でそんなに合わせる必要あんのって思っちゃうし、みんなそれぞれ個性あんだから合うはずないでしょって、はなから思ってた。だから俺は所謂流行をやっているみんなとしっかりは交わんなかった。
そういう関係性が楽しくない気がして。
TAKUYA
異質な理由はやっぱりそういう交わらないみたいな気持ちがあったからっていうことなんですね。
新しい流れが出来ていったってことですよね。
TAKE-G
ただそれは結果勝手になってたけどね。