【Dewspeak vol.03】日本BBOYスタイルの拡張に大きく貢献する九州のBBOY kouske

kouske独自のスタイルの形成のキッカケ

TAKUYA
kouskeのパブリックイメージとしてはブレイキングっていう話で言うとね、スレッドとか呼ばれるようなスタイルなのかな。簡単に言うとあのテのスタイルの歴史はBag of trixが発展させて、で日本ではそういうスタイルをWASEDA BREAKERSが広げて、みたいになるのかなって思うんだけど。そもそものkouskeとその辺の関連性ってどうなんだろうな?っていう。

kouske
これもどこから話せばいいんだろう、、。
例えば僕もWILD STYLE見てカンゴールのハットも被りたいし、実際被ったし、とか全然やったんですけど、でもリアリティーが無いなって。先ほど言ったようにBE BOP CREWやインペリアルの人達もロックダンス踊るにしても「現在」のやり方に行きついていたし、、、で、その頃ちょうど、東京のB-BOYのビデオを先輩に見せてもらったんですけど、あれはR?hallの映像なんですけど、6人くらいでハウスのビートで、ブレイキングやる人達を見たんです。で、その時点で既にだいぶ変わってる人たちだなって

TAKUYA
自分の知ってるブレイキングじゃないと。

kouske
はい。で、誰なんだろう?って。なんかあの頃って、パワームーブする人達だったらそれだけをする人達が多かったですよね。それが上手い具合に融合されている人達だったんですよ。で、中でルーティーンする4人くらいがいるんですけどその人達のルーティーンがちょっとオリジナルっぽいルーティーンなんですよ。で曲はハウスじゃないですか。でもスピンもやっちゃう。

TAKUYA
誰だったの?

kouske
で、誰なんですかあれって聞いたら、NEW BREAKING GENERATION っていう人たちだよって聞いて。でその映像の中で一人凄い人がいたんですよ。で、その人が、なんか・・・早稲田大学ダンスサークルの人達らしいってなって。で早稲田大学って言ったら僕ら田舎者から言ったらすごい頭のいい人たちじゃないですか。ダンスなんかやってる人達って言ったらあの時代アウトローの人達の方が多い中で。で、調べていったらそのNBGっていう人たちは、後にFREEZEのメンバー 後に回転倶楽部、になられる方と、WASEDA BREAKERSになられる人たちのUNITだったと。

TAKUYA 
なるほどー。

kouske
で、サスペンダー付けて物凄いソロやる人がいて、それがCHAOさん(WASEDA BREAKERS BAG OF TRIX HAVIKORO)。で、JACKさんもその時凄いジローからのブリッジをするんですよね。でパワー・・フットワークも併せてまぜこぜでやるヤジローさんがいて。高いトーマス、サイドグライドをやっちゃう人がランチさん。この4人がめちゃゲットーオリジナルに近い雰囲気だったんです。僕が見た感じ。で、その中にタカヤマさんって方がいて、その人は恐らく後の回転倶楽部のメンバーになるのかなと。で、DorDのタラさん、後のビートナックルズ(DJ Ta–Shi–さん率いるscratch band) のDJになられるイヌイさん(FREEZE)。ヘッドスピンでしっかりまとめるのがタカハシさん(FREEZE)という方です。

TAKUYA
そのNBGをみて、WASEDA BREAKERSに興味を持ったと。

kouske
そうですね。ただその映像ではまだそこまで変わったことはしてなくて。で96年に神戸でラジオトロンてコンテストがありまして。

TAKUYA
懐かしい、STORM来たやつ!
image3
Radio Tron 96 神戸

kouske
それが三回 神戸であったんですけど、僕三回とも全部行ったんですよね。で、二回目の時に、ついにWASEDA BREAKERSがエントリーして。

TAKUYA
俺行った事あるな、何回目だっけな?

kouske
TAKUYAさんが来たのは三回目の時です。その三回目の時にWASEDAが優勝するんですよ。ちなみに一回目の優勝はFREEZE なんですよ。でその時に僕 はじめてJOさん(FREEZE / Spartanic Rockers)達とサークルで出会うことになったんですけど。あ、ていうかTAKUYAさんも出てますからね一緒に。東京Jrジャンクてテレビ番組。

TAKUYA
(笑)。
そこでJOくんとは、俺は映像上でヘッドスピン対決してる(笑)。
ていうかWASEDAの話に戻そう(笑)。

kouske
ですね、JOさんとも沢山ヒストリーがあるんですが、、、でその頃正にWASEDA BREAKERSでさっき言ってたNBGの中でルーティーンをやってた四人が二回目に来られてて。ソロが凄く個性的で、その時にステージ上でサークルの時間があったんですけど、ほんとに見たことないことを繰り出してたんですね。あと、当時フリーズをするって言ったらチェアーくらいしかないときですよねまだその頃って。96年とか7年とか。
いかにそれを綺麗に持っていくかってのが一つの課題だったと思うんですけどWASEDAの人達は、言ったらそんな対して辛くないあらゆる体勢で止まるんですよ。

でもちゃんとフリーズになってるんですよね。言ったら、形じゃなかったんですよ。フリーズ・チェアー・そのジローからフッと止まる。このフッて止まる感じ。を別の動きでやっちゃってる。途中でやっちゃう。
で、そのフリーズ感みたいのも、フットワークじゃなくてパワームーブじゃなくて、チェアーでもエアベイビーでもない。完全に別の状態でそれを出しちゃってたんですね。バックスピンの形なんだけどそれがひっくり返って、その、180度回転した状態で同じ状態で動いてたりみたいな。その見せ方が面白くてほんとに。それまででも僕は勝手にライバル視してましたけど絶対にこの人達は追い抜いてやると、追い越したいと。なので確かに面白いけど真似はしなかったですね、あの人達がやらないことをとりえずやろうって。

TAKUYA
けど完全に気になり始めちゃったんだね。

kouske
完全に標的になってましたね。で、その頃は言ったらフットワークする方たちは要はROCK STEADY CREW JAPAN関連だけだったわけじゃないですか。あの頃日本で僕ら世代で。そこから膨らまして。

TAKUYA
基礎をどれだけね、昇華させていくかみたいなね。

kouske
その美学も勿論わかったんですけど、でもその人口の多さに僕はやられてたんですよもう当時。どこに行っても大阪に行っても東京に行っても皆そこを目指してる。いや、僕だってやりたいんですほんとは。僕だってROCK STEADY CREW JAPAN本気で見てた。で、初めてお金を出して買ったブレイキングビデオが95年にRSCショップで買ったんですけど原宿の。9800円。ROCK STEADY CREWアニバーサリー。でそれでも全然高くないくらい・・まあ皆で出し合ったんですけど。

TAKUYA
(笑)。
まあそれくらい基本は、というかROCK STEADY CREWはチェックしてたよと。

kouske
はい。ただその好きだったROCK STEADY CREW JAPANのビデオとかを見てると、、先程話したRSCショップで買ったビデオはNY RSC 18th ANNIVERSARYなんですが、そこにRSC JAPAN以外の日本人がいまして。で一時停止して、で、Tシャツの背中を見るんです。そこにWASEDA BREAKERS、NBGって書いてあるんです。でそのマイノリティ、オリジナリティに知らずに少しずつ触れていって。
でWASEDAがその、神戸のコンテストで三回目で優勝するんですね。その時メンバーも増えて、僕はその時福岡の先輩たちと一緒に出てたんですよ。コンテスト。

TAKUYA
ブレイクスルー。サブさん(3℃ 21.5)がリーダー的な感じでいて、あの頃の福岡のBREAKINGオールスターみたいな。

kouske
凄い!
そうですね。それこそ初めてだったんじゃないですかブレイキングしかしない10代の集まりみたいな。後にスパルタニックロッカーズに入られるベーさん(Roxy Lock Jam)もその中に。
で、その時にWASEDA BREAKERSがもうダントツだったんですよ僕の中で。

TAKUYA
どうなってるのかわからない組体操みたいな。繰り出しまくってたよね。

kouske
あの時代は・・・僕の中ではなんですけど、あの時代あのテのやり方はBag of trixがいて、WASEDA BREAKERSがいて、STYLE ELEMENTS CREWだったんですよ。この3つが同時だったんですよ。

TAKUYA
語弊があったらあれだけど、ああいうスタイルってBag of trixの輸入盤ではないんだ?

kouske
完全な輸入盤には僕には見えなかったです。影響は受けつつも僕目線の情報では同時期くらい。
RSCアニバーサリーでWASEDA BREAKERSやBag of trix、STYLE ELEMENTS CREWが一堂に会した機会があったんです。で、僕が聞いた話ではCHAOさんはそこでGIZMO(Bag of trix)に出会って、日本に帰るのをやめて、カナダについていくぐらい衝撃があったらしいんですよ。で、その次の年にカナダに移住されたんです。

TAKUYA
なるほど。で色々なものを仕入れまくって。

kouske
ただ、その時の映像を観たことあるんですけどそのサークルの映像。もうジャックさんなんか、てかWASEDAの連中とBag of trixの感じで言うと、確かにGIZMO相当イってるんですよその時。でRemind(STYLE ELEMENTS)もCrumbs(STYLE ELEMENTS)もいて、だけどまあ、割と似てるんですねやっていることが。共感。この3クルー。で、その時情報の共有っていうのも下手したらあったのかもしれないですけど、まあ僕が見たときには同時に近いクリエイティビティを持っていたなって。で当時 各々 各地で合体のルーティーンとかもやってたんですよ。

TAKUYA
ああいうのは専門用語はないの?合体・・もう合体としか言いようがないの(笑)?

kouske
ないんじゃないですかね。今時皆ただただルーティーンって言いますけどね。

TAKUYA
けどああいうのもさ、元を言ったらGHETTO ORIGINALとかでやってるよね。倒れて転がしたりするじゃん。ああいうの派生形だよね。

kouske
そう!やってるんですよね。で、僕らもやりだし・・僕もKIYOさんも試してたりしたんですけど。

TAKUYA
あー、あの二人のあの合体して転がるやつ。あれすごいよね。て映像ないからこれ読んでる人全然解んないだろうけど(笑)。

kouske
けどそういうのやってて、で、結果あんなの邪道だよと言われ始めるわけですよ。まあそうですよね、ダンスというかあれはもうなんなのか・・

TAKUYA
要はクラシックを敬愛しているBBOYから?

kouske
そう、そんな、うけ狙いみたいな感じって。でもCrazy Legs、KEN SWIFTだってブリッジで絡まって歩いたりしてるじゃないかっていう。転がってるのもそうですし。それの延長上だっただけなんですけど。でもWASEDAの合体系とかELEMENTSの合体系も。。

TAKUYA
なんか俺の印象だと派生の仕方が少し違ったっていうだけで。始めたばかりの当時俺らも気付かなかったんだけどブレイキングってさ、プエルトリカンとか、ラテン、サルサとかさ、遡っていくとすごくリズミカルなダンスが確かにあるんだけど。けどそうじゃない要素が勿論沢山あるわけで。その少し違う部分、ちょっと不思議な・異質なトリッキーなところに目をつけてそこを発展させていった人達みたいな。そこの色をちょっと強めた。そこがちょっと王道とは違ったというかさ。でもスレッドとかも、実はCrazy Legsがそもそもはやっていて。。

dewspeak-kousuke-29

kouske
そう! やってますよね。で僕はその方向性に惹かれていったというか。

HIPHOP集団 BAG OF TRIX

kouske
クリエイティブって意味ではBag of trixって踊りだけじゃなくて何が凄いかって映像編集とかに取り組んだ時期がとにかく早かったんです。で、その最初に見たGIZMOのプロモーションビデオっていうか、今でいうトレーラーってやつなんですけど僕もうこっちに住んでるときにすでにビデオ出回ってきてたんですけど。あの人達が作ったビデオっていうのが当時CGでクルーのロゴが動くんですよ。画面で。もうファミコン?みたいなくらいのあれですけど。でそれがブワーってこう並んでて、その頃、そういう個人単位で映像を編集して作ってるBREAKER、BBOY、ダンサー達って多分そんなにいないんじゃないかと。いても、たぶん一時停止で止めて、ダビングでつなぎまくって上から入力端子で、多分ラジカセかデッキ端子で、音だけ被せてるみたいな編集だったと思うんですよあの頃。

TAKUYA
そういう意味では完全にニュースクーラーだよね。

kouske
たぶんクルー単位でそれを実現させちゃったのはBag of trixが初。

TAKUYA
HIPHOP集団になったってことだよね。

kouske
はい。で、更にそれだけじゃなく 使ってる曲もGIZMO主役のあの時のビートは、オーディオトゥーっていうHIPHOPアーティストのトップビリングっていう曲があって、その中に、何とか ギズモ スクラッチン、、、っていうリリックがあるんです。
でそのギズモ、ギズモっていう部分があるじゃないですか。その部分を抽出して、クルーのたぶんDJだと思うんですけどずっと擦ってるんです。曲も、全然オールドスクールじゃないんですよ。KRS ONEのビートとかだったと思うんですけどそういうのも使っていって、曲のチョイスも凄かったし、で、また別の映像の最後にメンバー紹介があるんですけどその映像の撮り方もすごいもう、みんな出てくるんですけど、誰かの耳の中のアップになる、次耳、誰かの耳、ってひっぱってったら別人になってるっていう。

TAKUYA
へえー、やばいね!

kouske
かなり作られててその映像が。でGIZMOのトレーラーは最後のエンディングで、ニュージェネレーションの写真がでてくるんですよ。それがもう今話してても鳥肌が立つくらい。白黒の写真なんですけど。全員で写ってるんですよ。だけどニュージェネレーションの顔は、黒塗りなんですよ。誰かわかんない。誰が今からくる時代か解んないよっていう。なんかその、センス。っていうか感じが、あの頃他にいなかったんです。そこまで突っ込んでる。でこれはそのメンバーのなかに、当時映像関係の大学に行ってた人がいたらしくてそれで機材がうまく使えたらしいんです。でも、使えただけではない。

TAKUYA
使い方、アイデアと思想がないとね。

kouske
そうなんです、その使い方が。他にも色んな映像も作ってたんですよ彼らは。

TAKUYA
ちなみに当時それらはどうやって入手したの?Youtubeは遥か未来だしね。

kouske
これは、えっと、映像作品自体は後にCHAOさんに見せてもらいました。

TAKUYA
売ってもいたのかなー?

kouske
いや、売ってはないです。たぶん誰も買わないんじゃないですか?余程の好き者じゃないと。
で、それを当時日本で自分の手持ちの機材だけでなんとかやってた人がやっぱりCHAOさんなんですよ。で、その時にその二つのクルーの繋がりはまだない時ですよ。WASEDA BREAKERSの踊りもそうだったし、そういう映像を編集しているのはCHAOさんが一番早かったんです。個人単位でやってる。で、その後にはSTYLE ELEMENTSががっつり凄いやつを作ったという。

TAKUYA
森の中の。

kouske
その前の 一発目に出したやつがそうですね。

で、ついに字幕のデザインができるようになったってですね。メンバーの名前がちゃんとこうグラフィティっぽい フォントで出てくるちゃんとしたやつが作られて。で、Mr ウィグルスたちがその前後に作ったブレイクアウェイっていうシリーズがあるんですけれど、それでは、唯一しゃべりが入るんですよね.。ついにしゃべりが上にかぶせれる。たぶんあれは映像に、音声入力端子をミキサーにつないで、音を入れながらマイクでしゃべってる。結局Bag of trixはかなり早かったんです。
やっぱりその、ダンスのみではなく、それをちゃんと二次的創作物として客観的にちゃんと捉えることができるという。なのでBag of trixは自分にとってかなり重要なクルーです。

WASEDA BREAKERSへの加入過程で芽生えた価値観

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