【Dewspeak vol.04】全国にハウスダンスを広めた張本人 ”Mr.HOUSE” KOJI

日本オリジナルハウスチームROOTS

roots

TAKUYA
ROOTS結成についても改めて少し聞かせてほしいです。

KOJI
結成は・・・そうだね。93年だから俺が28になる年なんだけど、。

TAKUYA
GOLDに集まってたメンツみたいな話ですよね。

KOJI
当時ね、水曜日くらいかな、GOLDに集まって、まぁハウス好きが集まって、DJはEMMAのとこで、まあちょっとBPM的には速かったんだけど、まあハウス流れてるところで集まって皆で遊んで暴れてて。その流れでROOTSのきっかけはマシーン原田がニューヨークダンスナイトっていうのを別にやるって言ってたら、KOJI君のところもやってくれない?ハウスで。で、じゃあやろうかなって。それでみんなに相談して、集まったのがROOTSみたいな。最初は小さいコミュニティだったんだよね。GOLDに集まってるのは。たぶん十何人だったと思うんだよね。MEGAMIX JrとかSAMさんもいたし。

TAKUYA
芝浦ですよね。結構遠いですよね?

KOJI
遠いけど、だってそこしかないから行くよねやっぱ。タクシー使ってみんなで割り勘で。下北の俺ん家集まって、まずスト2やって。よしそろそろ行くかって。

TAKUYA
(笑)。
それいくつぐらいですか?

KOJI
まだルーツ結成する前だから俺が27歳くらいかな。

TAKUYA
集まっているメンバーでハウスみんなで盛り上げて、日本に広めようねみたいなものはあったんですか?

KOJI
ないない。

TAKUYA
全くないんですか?

KOJI
ウチらは純粋に踊りに行ってた訳。ハウス掛かる、ハウス好きで踊りたくてしょうがなかった。もう踊りに行ってた、純粋に。

TAKUYA
それが半ば勝手に広がってったっていう。

KOJI
楽しかったもん。今の若い子はショーケースあったら観に行くって感じが多いかもしれないけど、俺らは純粋に踊りに行ってたんだよね。で、酒飲みに行って酒飲みながら踊ってたんだよね。そんな感じだったよね。

TAKUYA
最高ですね。

KOJI
最高最高!

TAKUYA
で、その集まってた面子でROOTSが結成されるわけですね?

KOJI
でも、一番最初は俺の中の最初の4人があって、俺とHyROSSIとKANGOとYANで、最初この4人で行こうと思ったんだけど、ちょっとKANGOと相談してる内に、NADAもMARも、SHIMURA、KAIEも誘いましょうってなって。そうだね、もっと多い方がいいよねって。それで、あの8人。

TAKUYA
皆さんそれぞれ違いますもんね。流れは。

KOJI
そう。タモツさんがルードボーイナイトっていう有名なイベントがあったんだけど、GOLDで。
良く出回ってる映像で俺が白シャツで・・・俺とHyROSSIと白の上下で踊るシーンがあるんだけど、ダーンダダンダンダーって。

で、その頃KANGOはヒップホップで来て、TETSU(FOOLISH)と、TAKE-Gも出てたかな。

TAKUYA
つまりボウズのスタイルですよね。

KOJI
そうだね。
で、IMAEDAやBOBBYがオヤジェンで出てて、コボージーズも出てて。最後にシメで俺とHyROSSIが出てて。その時YAN、MAR、KAIEはRAW DOPEで出てた。その同じ年か翌年ぐらいかもしれないけど、あの辺だよな、ROOTSを結成したのは。まぁ93年。

2000年以降のハウススタイル

TAKUYA
90年代ROOTSで日本にハウスがとにかく広まって、KOJIさんのレッスンが広がって、自分もハウスに触れたのはそういうきっかけなんですけど。それでROOTSのスタイル、ニューヨークハウスが広まるじゃないですか。
で、90年後期2000年前後ぐらいから少しずつ日本のスタイルも変わっていくというか、音も変わっていくというか、ちょっと今までのハウスとまたスタイルがこう・・・違うというんじゃないですけどROOTSのスタイルと変わっていきますよね。音の変化は勿論大きいとは思うのですが。。その2000年、その時ぐらいのハウスのスタイルが変わってきた、みたいな気持ちはありましたか?

KOJI
まぁでも、それは音じゃない。だからテックハウスを使い始めて、そのROOTSで使ってた王道のクラシックを使っていたけど、ALMAでいうとPInOとHIROとやる事によって、新しいそういうことだったりとか、ステップもそうだし、やっぱり異なる2つの世代がやってたっていう。彼らは彼らで最初は俺らにインスパイアされてやってたのかもしれないけど、ずっとやってきてあの世代がこうガーッときてくれて、なんだろう、彼らに良い刺激を受けた気がする。で、曲も今まで使ったことのない曲をやることが俺の中ですごく新鮮だったっていうか。

TAKUYA
大歓迎だったんですね。

KOJI
勿論。ちなみにALMAの原型は俺と最初はHIRO。

それ多分映像上がってるんだけど、それやって、それからPInOの存在を知っていて、HIROとPInOがよくやっていて。俺が観に行ったら「あ、こいつ面白いな、カッコいいな」で、じゃあPInOもってなって、それで元々の相方HyROSSIもいてあの4人になったんだけど。

TAKUYA
ROOTSはその後どうなっていったんですか?

KOJI
自然にやっぱりこう流れ的に方向性が変わっていったっていうかさ、まあDJに行く人と、そのままやっていく人と。じゃ、これをもって解散宣言ってのは無かったけどね。
俺自体もあの頃メジャーのライブの仕事とかもしてたんで、ちょっとアンダーグラウンドの現場に立ちづらくなって。

で少し離れてた時もあった。でも、俺は現場を大切にしたかったんだけど、そういうのもあったかな。だからね俺がメジャーの方に入ってしまうんじゃないかっていう不安がメンバーにもあったのかもしれない。勿論それはただ単にバックダンサー主体でやるだけだったんだけどね。

現在のシーンに対して思う事

TAKUYA
KOJIさんから日本のハウスが始まって、今もKOJIさんはシーンを見続けてくれているじゃないですか。それが僕が今日話させてもらう中ですごい重要なところで。日本のハウスダンス創成からここまでに関しての流れ全て。まあ細かいところではもっと色々起こってるのかもしれないですけど、大きくいうとKOJIさんが見てきたものが日本のハウスシーンといえるとも思うんです。
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で全て見てきた上で今現在思うことを聞いてみたいです。バトルっていうものも2000年あたりから始まってとか、様々な音楽性やスタイルも出てきている中で何かありますか。ここが面白いとか逆にここはもう少しこう・・・みたいなのもあれば聞いてみたいですが。

KOJI
いや、全然無いよ。最高でしょ。でその中で俺は幸せだったと思う。だって時代にうまく乗っかって来れたっていうかさ。
まあ、ある意味運が良かったっていうか、ダンスの実力どうこうっていうよりは、時代の流れに上手く乗っかってきて、アンテナを張っていて自分でカッコいいと思ったものだけをチョイスして、自分でそれをやってって、なんかこう支持されようとか、目立とうとかっていう感覚よりは、自分が好きなことだけを、カッコいいと思うことだけをガムシャラにやってきたら、言い方カッコつけてるかもしれないけど、なんか認められてついてきてくれた、みたいな感覚だよね。ずっと。
じゃないとそんなさぁ、今年51になったオッサンのレッスンに生徒来ないよ。だって若い子とか俺のこと知らない子いっぱいいる訳だし、若い子は特に純粋だから、カッコいいものにしか付いてこない。レッスンだって。だからそれを自分が多少キープ出来ているのは、やっぱり乗っかってこれたということだと思うんだよね。大したことしてないよ俺なんか。

TAKUYA
そんなことないですけど・・・。

KOJI
ただやっぱり天才じゃないから、踊っていかないとフィーリング落ちてるのも分かるし、ずっと自分の中で良い踊りできるかって、今自分ができる踊りっていうのは保ちたいっていうね。
こっちなりの。だから24、5歳でバーッて六本木で暴れてた時の一番尖がってた頃の踊りはもうちょっとできない訳だし。その頃俺が何故目立ってたっていうかさ、色々注目されたかっていうと、あの頃たぶんキレとパワーが抜けてたと思うんだよ。ニューヨークいた時も、黒人とかにもちょっと「ん?」って見られてたし。
もうキレッキレでエナジーガンガンだったしパッションガンガンだったし。だからそういう感じを自分の中で信条としてずっとやってきた。
ROOTSの頃もそうだし、みんなバキバキだったじゃん。でもやっぱり段々年と共に、年齢重ねるとそれが無くなってくるわけだし。いわゆる味じゃないけどさ、自分がやってきたものを自分の年齢なりにこうやっていくっていう、それをキープするために前はクラブで踊れてたのよ。一人で行って、飲みながらちょっと踊りに行ったりとかしてたんだけど、やっぱり色々こう・・・家庭持つようになってなかなかそういう現場にも行けなくなったりとかして、じゃあスタジオで踊ろうかっていうか。それは元々はぜんぜん好きじゃないんだけど、けど今はとにかく踊ってるって感じかな。

TAKUYA
踊り続けられているってことですね。

KOJI
シーンに対してっていう話で言うと、まあとにかく音だよね。例えばシカゴフットワークにしても音ありきだしその音に合わせたらああなった訳で、クラシックだったらやっぱりうねるような柔らかい動きとフローが絶対必要なわけで。やっぱり動きだけが先行じゃないから、音に合わせた動きが自然と生まれるわけであって、その時代時代によっても音の変わりがあるわけじゃない?
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それに対して、あ、こういうの出てきたんだ、新鮮、カッコいいみたいなそういう感じかな。良いとか悪いとか思ったことはないな。バトルも「DANCE ALIVE」が出来てさ、多分がらっと変わったよね。まあ下剋上という訳じゃないけど、誰もがこうチャンスを与えられるっていうか、それはすごくいいことだと思う。世界中に毎日何かしらコンスタントにバトルがあったりとか、チャンスは無限大に広がってる訳だから、どんどん若い子はチャレンジしても名を売るのは良いし。
でもそれだけじゃなくて、ダンサーってさ、色んなチョイスがあってメジャーに行って振付師として大成する人もいれば、全然本人は表に出ないけど凄いキッズを育てるとか、振付師として有名になる人とかいるじゃん。そっちで有名になったりとか。かといって、こういうストリートのシーンでバトルとか、とにかく現場に出てイベントだったりとかそっちに立ち続けて有名になってる人もいるし。いろんな選択肢があるから、全然色んな事がある。
若くて尖がってる頃は結構そういうバトルとかアンダーグラウンドの現場じゃないと認めないってのはあるけど、ずっとやっていくと、いろんなその・・・。

TAKUYA
多様性を認めるということですね。

KOJI
そう。俺は叩き上げで現場から名前が出て有名になったかもしれないけど、ダンサーには知られてないけど振付師としてすごい有名になってる人もいる訳だし、色々だよね。その人のチョイスだから。何が良くて何が悪いとかってのも・・・だから要は選択肢がいっぱいあるから、それはその人が選べばいい。
でも俺自身は逆に良かったと思うそれで。そういう長い時間掛けて色々な事を知れて、こういう今の自分があって。でも若い子はもう全部色々見れるでしょ。

TAKUYA
ハウスとかで言っても今1か月ぐらいで全部知れるんじゃないですか、一応ザックリ一通り知るだけなら。

KOJI
例えば1年で3つぐらいの情報しか手に入らなかったから。今の子は1年間で100億個くらいの情報が手に入る。無限大じゃない。時間が許す限りなんでも入るから。そこの差は違くて。
ただ、逆に可哀想な部分もあるよね。

TAKUYA
まあそれはあるかもですね。

KOJI
訳分かんなくなる。

TAKUYA
順序がないですもんね。

KOJI
そう。何が良くて何が悪いのか、例えばバトルでもなんで俺は負けたのか。何も分かんないじゃない。自分のことも客観的にもしかしたら見れないかもしれない。気持ちが揺らぐじゃないけど。
だけど、絶対大事なのはなんでもそうだけど、センスだと思うんだよね。ゆるぎないセンスというか、絶対センスが大事で、俺前も言ったけど、99%のセンスと1%の努力じゃないけど、やっぱりセンスのある人って何でも吸収早かったりさ、アンテナ張ってさ、見る目があるし。
まあでも逆にセンス無くても努力し続ける人は無骨に努力し続けて、だんだんブラッシュアップされてなんとか形になっていく。ただ昔の人でやっぱり名が残ってる人って、すごいセンスがあったんだよね。先駆者と呼ばれている上の先輩の人達っていうのは。

TAKUYA
そう考えていくと改めていつの時代もある意味では条件は結局のところ同じで、その人のセンスや努力、磨き方次第かもですね。今日は貴重なお話本当に沢山聞けました。何か言い残したことはないですか。

KOJI
言い残した事っていうか、まぁ今後っていうか、ずっとやってきてちょっと今年大きな節目じゃないけど、実は3月に都内にスタジオ出すんだよ。都立大。

初心者からプロ希望者まで!都立大学のダンススタジオ「ROOTS」

TAKUYA
いいですね。

KOJI
2年くらい前から色々探ってて、一応ある程度の用意が出来て、後は物件だなと思って。地元の都立大とか自由が丘とか学大、まあ1駅エリアを探していて色々あったんだけど、完全にスタートできる感じじゃなくて、見た感じね。あーそっか、って色々見て。まぁ今年もゆっくり探そうと思ったら、ある日、嫁が見つけてきて。ちょっと行こうかっていって、毎回見に行っていたけど、結構・・・20件以上見たかな。で、見に言ったらここでやれそうだなっていう。

TAKUYA
それはお祝いに行きます。

KOJI
逆にタクヤに経営の事聞きたいぐらいだよ。

TAKUYA
(笑)。
何もないですけどね。

KOJI
いやいやマジで。まぁちょっと飲みながら。

TAKUYA
改めて今日は貴重すぎるお話有難うございました!今後とも宜しくお願いします!

_AYT7951 TAKUYA (SYMBOL-ISM / worcle co.,ltd)

90年代初頭ストリートダンスに触れ、様々なジャンルを模索、横断する。
その後ダンスチームSYMBOL-ISMを結成。ハウスを基盤にしつつも様々なスタイル、音楽性を
反映させた独自のスタイルを形成し、DANCE DELIGHT、DANCE@LIVE、JUSTE DEBOUTをはじめとする
様々なコンテストにて優勝、入賞多数、その他様々なステージを通し強烈なインパクトを残す。
そのスタイルは彼の拠点東京・代々木に因んで「代々木系」とも呼ばれる現象を起こし、
ダンスのスタイルのみならず音楽、ファッション、ライフスタイル、様々な切り口からあらゆるヘッズに影響を与えている。
またダンスプレイヤーと並行し2004年に起業。レンタルスタジオの先駆けとなったstudio worcleをはじめイベントスペースANCE、その他音楽バーshirokumaやレコードレーベルyygrec、セレクトショップCONTE-NU、等、これまでに無かったダンスやカルチャーに直結するコンセプチュアルなスペースやビジネスアイディアを数々生み出しダンサーのライフスタイルを変革させ続けているキーパーソンとしてもシーンに大きな影響力を持つ。

TAKUYA @takuya_symbolism
ANCE @yoyogi_ance
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CONTE-NU @conte_nu

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