必読!!Be-Bopの生みの親「Irven Lewis(Brothers in Jazz)」を中心とした豪華対談が実現

日本のダンスシーンにおいて『Be-Bop』と呼ばれているダンスジャンルがある。HiPHOP等のようなメジャーなジャンルではなく、マイノリティー(少数派)なジャンルである。 しかし、その魅力に取り付かれ、また、インスピレーションを受けたダンサーも多いであろう。


日本のダンスシーンにおいて『Be-Bop』と呼ばれているダンスジャンルがある。HiPHOP等のようなメジャーなジャンルではなく、マイノリティー(少数派)なジャンルである。
しかし、その魅力に取り付かれ、また、インスピレーションを受けたダンサーも多いであろう。

その『Be-Bop』の生みの親である、『Be-Bopの神様』Irven Lewis(Brothers in Jazz)が約9年ぶりにイギリス・ロンドンより来日した。

そこでこの機会に、オリジネーターにルーツを聞き、それぞれのダンサーの想いを話し合い、改めてBe-Bopダンスを、Be-Bopカルチャーを、初めて知る方々にもわかる様に、広くダンスシーンに、世の中に知ってもらうべく、日本のダンスシーンにおいて、Be-Bopを愛し、そのダンスカルチャーを伝え続ける、ベテランから若手までの日本人ダンサー9名に、Irven Lewisを加え、

【LONDON and TOKYO Be-Bop 座談会】

を開催した。本日はその模様をお届けしよう。

[議題① Be-Bopはどのように生まれ、発展していったのか?]

bebop irven lewis

Irven Lewis:
Be-Bop、FUSION、ノーザンジャズと細かく分けると種類はある。大きくJAZZ DANCE(※1)に関して言うと、1950年代、イギリスの植民地だった国々(インド・ジャマイカ等)から、自国で仕事が無い人々が、働き口を求め、イギリスへやってきた。その人々(特にジャマイカン)が、SKA(※2)やレゲエでダンスを始めたのがダンス文化のスタート。その中でもSKAがロンドンで1950~60年に「LONDON SKA」と呼ばれ、そのMUSICでDANCEをした。

(この映像で踊っているステップがJAZZ DANCE STEPのルーツの1つ)
レゲエダンスのステップや、スカンキンと呼ばれるSKAで踊るステップが、ルーツとなっている。

当時は、白人と黒人のダンスホール(大勢でDJの音に合わせてダンスを楽しむ所。今で言うところのクラブ)は分かれていて、DJもダンサーも白人と黒人の交流は無かった。
白人→タウンセンターという中心街・綺麗なホール / 黒人→貧しいエリア(コミュニティーセンター等)・ボロボロのホール。このダンスホールで踊っていた黒人ダンサー達は「ルードボーイ(※3)」と呼ばれ、JAZZ DANCEのルーツとなるステップはこの黒人のダンスホールから生まれた。

その後、白人と黒人の交流が始まる。(1960~1970年代)
黒人のダンスホールカルチャーを「楽しそう!」と興味を持った白人達が、黒人のエリアに遊びに来たことがきっかけで、黒人達も白人のダンスホールに遊びに行くようになる。

白人のダンスホールで、黒人ダンサー達は、白人DJのプレイで初めてSOUL、FUNK、DISCO MUSICに触れる。

その後、1970年代後半のDISCO MUSICの衰退もあり、新しく流す音楽を探し求めていたの白人DJ達が「JAZZ MUSIC」をかけたのが「JAZZ DANCE」、いわゆるBe-Bopのスタートと言える。
→解説参照
Be-Bopはロンドンで生まれたと言われているが、『Brothers in Jazz』が出身の北部(マンチェスター・リーズ)という説もある。だが、やはり、このカルチャーの本当の原点は「ジャマイカの文化」であると、Irven Lewisは最後に付け加えた。

【注釈解説】
※1 JAZZ DANCE
一般に日本のダンスシーンで呼ばれているダンスジャンルの「JAZZ」とは、ここでは違う意味で、
「JAZZ MUSICにあわせて踊るダンス」の意味。いわゆる日本ではBe-Bopと呼ばれるダンス。
→参考(Youtube) https://youtu.be/RTGNB6w7da0

※2 SKA
スカの発祥については諸説ある。
感度の悪いラジオで、ニューオーリンズなどアメリカ南部の都市のラジオ放送局からのジャズの2・4拍めが強調されて聴こえたため、誤ってコピーされたという説もある。
直接的には、1950年代からのアメリカのリズム・アンド・ブルースと、ジャマイカの音楽文化には欠かせないサウンド・システムの影響が大きいが、それ以前にジャマイカにはジャズの下地があり、スカ以前のメント、ラスタファリアニズムの影響があった。(wikipediaより抜粋)

※3 ルードボーイ
1950年代から1960年代にかけて、ジャマイカでは地方から首都キングストンに仕事を求める若年貧困層が大量に流入し、キングストン市内にはトレンチタウン、リバートンシティやグリニッチタウンなどのゲットーが生まれていった。国の大部分は1962年のジャマイカ独立後の気分で満たされ楽観的だったが、これらの非常に貧しい若者たちは楽観的な感情を共有できなかった。彼らの一部は貧困からギャング化し、ルードボーイやルーディ、スカフロウ(Scofflaw、常習的違反者)と呼ばれるようになった。ルードボーイはハリウッド映画のギャングを真似して、黒いスーツに細いネクタイを身に付け、ポークパイハットをかぶった。
イギリスにもジャマイカからの移民が多く流入し、ジャマイカ音楽と併せてルードボーイのファッションも受容されていき、スキンヘッズサブカルチャーへ大きな影響を与えた。(wikipediaより抜粋)

▼解説・JAZZ DJの登場 及びJAZZ で踊るカルチャーのスタート
1981年、DJのポール・マーフィーがロンドンのクラブ「Electric Ballroom」にて、ジャズのレコードを選曲したイベント「Jazz Room」を開催した。
また、イギリス北部のマンチェスターのクラブ「Berlin」では、DJのコリン・カーティスとダンス・グループのジャズ・ディフェクターズによるジャズ・イベントが話題となり、ジャズに合わせて踊る文化が生まれた。
「Jazz Room」は、1984年にロンドン・ソーホーのクラブ「The Wag Club」へ移転し、ジャイルス・ピーターソン、バズ・フェ・ジャズらのDJを輩出した。
(DJ Tomi the Jazzy Monk(Repoll:FX)著・JAZZ FOR DANCERSより)

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