Dews独占インタビュー 振付師 梨本威温

10代でジャニーズJr.を経験し、現在様々なアーティストの振付を手がける梨本威温にインタビューを敢行。 彼のダンスキャリアスタートから現在に到るまでを徹底的に掘り下げる。

経歴

梨本威温(なしもと たけあつ) 10代でジャニーズJr.としてテレビ番組に出演するなど活躍後17歳にして退所し大学へ進学。 大学卒業後、ファッションを中心としたPRエージェントHiRAO INCで立ち上げから7年間勤め、29歳で振付師の道を歩むことを決め退社。 直後振付師集団”左-HIDALI-”を結成。2016年2月に 独立を発表。

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本日はお忙しい中ありがとうございます。Dews独占インタビューということで宜しくお願い致します

宜しくお願いします。Dewsめっちゃ見てますよ!

嬉しい!ありがとうございます!振付師としてご活躍される梨本さんを深堀させていただければと思っておりますので宜しくお願いします。まずはじめに、ダンスをはじめたきっかけを教えてください

中学生の頃、家に帰ると兄がいつもMichael JacksonのRemember The TimeのミュージックビデオやMariah Caryのライブで踊るElite Forceを観て練習してたんですね。それを観てかっこいい〜と思い、兄の見よう見真似で僕も踊りはじめました。

中学・高校時代を教えてください

幼なじみが僕のプロフィールを送ったのをきっかけに中3の春にジャニーズ事務所に入りました。入った当初は自宅の庭で友だちと踊っていた程度だったので、入所して初めてのダンスレッスンでは、前で踊る先輩との差にショックを受けました。遊びでやっていた僕のダンスとはレベルが違いましたからね。 それからすぐにコンサートやTV番組などに出るようになるのですが、振付師の先生に僕はもうほぼ毎日怒られるわけです(笑)。振付通り踊っても怒られるので、怒られたくない一心で、怒られていない人たちの様子を見始めました。そうするとだんだん、ダンス以外の、例えばパフォーマンス中の表情や振る舞いが人それぞれ違っていることに気づきました。極端な言い方をすると、ダンスとしては上手くないけど、なんかちゃんとかっこいいんです。それで自分の思う「かっこいい」を意識して踊るようになったら怒られる回数がぐっと減ってきました。中高時代の経験で、ダンスとの向き合いが変われたのは今考えるとラッキーだなって思います。

そこから事務所を辞めて大学に進学をしたんですよね?

はい。高校の後半で事務所を辞めて、とりあえず大学に行こうと軽い感じで進学しました。 でもいざ入学すると、行かなくても誰にも怒られないし、ものすごい時間があるんですね(笑)。だから音楽聴いて踊りに行って帰って寝るっていう生活を最初はずっとしていて、そしたら1年目に8単位しか取れなくて こりゃまずいかも!と焦り始めたんです。それで好きなことなら毎日頑張れると思って、「洋服屋、開こう!」と全然違う方向に一念発起し、勢いで友だちとセレクトショップをオープンさせました(笑)。
なので、僕の大学4年間は、勉強とは無縁で、洋服屋を切り盛りして、夜はクラブで朝まで踊りっぱなしという毎日でした。いつも気になるアーティストやDJをチェックしてフロアに人がいなくなるまで踊っていました。その頃に出会った音楽や人や価値観が今の礎になっています。

学生時代に何の人脈も経験もないところからお店を持つって凄い発想だと思うのですが、更にそれを実現させてしまうんですね。そのあとすぐ転職されたんですか?

そうですね、店を持ったのは完全に勢いです(笑)。 大学卒業を間近にして閉店をするというときに、とある方がお店まで来てくれて、ファッションの世界でPRを本気でやってみないかとお誘いくださいました。それが、29歳に振付師として歩み出すまで、ずっとお世話になっていたHiRAO INCの平尾香世子さんで、今でも事あるごとに報告連絡相談をする姉的な存在です。

その間、ダンスとは離れていたのですか?

いいえ。18歳の頃から去年までレッスンは持っていました。週1でずっと。 また、好きなDJやアーティストのイベントには変わらずにずっと行っていたので、ダンスシーンとは違うところで好き勝手踊っていました。 職業は全く関係なかったですがダンスは生活の中にずっとありました。ただそれを仕事にするという感覚は当時なかったですね。

PR会社を離れ、ダンスで身を立てようとされた理由は何ですか?

そんな生活を送っていたある日に、コム・デ・ギャルソンの方に、小野寺修二さんの舞台を勧められて観に行きました。そこで脳天打ち砕かれるくらい衝撃を受けたんです。それを見て、自分のダンスやアイデアも形にしたいと思い始めました。PRの仕事で得た経験や楽しさは、これからの創作活動に全部ブチ込めると思い、お世話になったPR会社を辞めました。今後の人生はダンス、と決めたのが理由です。

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これまでの経歴がとても面白いというか・・振付師としては非常に珍しいパターンのような気がしてならないのですが(笑)。退社されるにあたり、何か仕事の目処があったのですか?

特に次のことも何も決まっていませんでした(笑)。退社する直前に小野寺さんのワークショップがあると知り、1週間のクリエイションワークショップを受けました。

そのワークショップでは具体的に何をするのか教えてください

1週間毎日違う内容なのですが、基本的には、小野寺さんがお題を出して受講生が「動き」を作っていきます。そこで作った「動き」を小野寺さんが見て、「こう変えてみて」って教えてくれるんです。作る、教わる、直す、という作業を通して最終的に小野寺さんが1つの作品にしていくワークショップです。

1週間毎日通うワークショップって興味深いですね!

そのワークショップの最終日にショーイングというのがあって、1週間の成果をお客さんに見せるんですね。そこに、GRINDER-MANの方が見に来られていて「君が踊っていたダンスはなんていうの?」と声をかけていただきました。その時は「わからない」と答えました(笑)。興味があったら次の公演に出て欲しいと言われて、それが会社を辞めてはじめての仕事になりました。

GRINDER-MANに所属されていたのですか?

いえ、所属はせずに作品ごとに呼んでもらっていました。時にパフォーマーとして、時にアシスタントとして活動に参加する形です。 その内の1つにWORLD ORDERのライブ演出があり、そこで野口量と今井悠と出会い、1年後に3人でHIDALIを結成しました。

HIDALIは振付業界で新しい角度から突然頭角を現した印象があります。アーティストはもちろんのこと、教育番組からCMやイベントまで幅広く手掛けられてきましたよね

そうですね。HIDALIのメンバーは全員ダンサーですが、音楽の鳴らない場所にも「振付」を提供する姿勢が最初からあったので、それが幅広い活動に繋がっていったのだと思います。

話題の振付作品を次々に世に出されているイメージが強いです。具体的な事例をお聞きしたいのですが、例えば嵐の振付はどのように作っていくのですか?

これは嵐に限らずですが、ダンスの振付を作ること自体は一瞬で、それよりも振付に着手する前に完成の絵を決める時間が一番カロリーが高いです。
振付師は、誰がいつどこでどんな衣装で踊るのか、それを誰がいつどこから観るのか、その条件でどんなファンタジーが作れるのかを考えます。
それを考えないで作ると、かかっている音楽のまんまな振付になってしまいます。僕たちの仕事は「音楽」に合っているだけの振付じゃなくて、ファンクが流れているのになんか『海行きたい』って思わせるにはどういう動きがいいのかっていうことを作る事だと思っています。だから振付の時には、何も考えずに音に対してアプローチはしないようにしています。
余談ですが、例えばJUDY AND MARYの”そばかす”を振付すると振付師の技能ってわかるなーって思います。バンドでもう絵が完成している中で、そこにダンサーを付けて良い絵を作れたら、その振付師は魔法使いだって思います。僕なら、YUKI 1人の絵を選んじゃいます(笑)。

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