dj hondaってなにもの?プロフィールや爆発的に売れたグッズを紹介!
イチローを始め多くのスポーツ選手やヒップホップ界隈で人気のあった「h」マークのグッズ誕生秘話やdj hondaのプロフィールについて紹介します。 また、彼が手がけた曲についてもあわせてご覧ください。
90年代カルチャーに詳しい人も、そうでない人も一度は目にしたことがあるであろう、「h」マークのロゴキャップ。結果的に大流行となったdj hondaのグッズは、どんな経緯で売れ始めたのでしょうか?ここではdj hondaについてや、彼が超有名グッズを生み出すまでの秘話を紹介!
- dj hondaってなにもの?
- 大流行したグッズについて
- dj hondaが手がけた楽曲
- Out For The Ca$h feat. Common Sense, Fat Joe & The Beatnuts & Al’Tariq
- Travellin’ Man feat. MosDef
- Shine On
- On the Mic feat. Cuban Link, Juju, A.L, Missin’ Linx (Al’Tariq, Problemz, Black Attack)
- Straight Talk From NY feat. Sadat X, Grand Puba & Wakeem
- 無常 -The Vanity-
- Ghetto Woman
- I Need More feat. KOJOE
- A Rapper got killed again feat.BLAHRMY
- JOY&PAIN
dj hondaってなにもの?
dj hondaの本名は本田勝裕。北海道出身。高校を中退し上京してから、ディスコで働いていましたが、そこでヒップホップと出会い、1980年代からクラブDJとして活動していました。1985年から1992年にかけてDJ KOOらと日本で最初のリミックス・ユニットである「The JG’s」を結成。
1990年にニューヨークで開かれたDJの世界大会「DJ Battle World Supremacy」に日本人として初参加し、2回目の92年に準優勝。世界で手ごたえを感じたdj hondaは1994年にアメリカへ移住します。1995年には日本でファーストアルバム「dj honda」をリリース。このアルバムには、ファット・ジョー、コモン、DJプレミア、レッドマンなど超有名ヒップホップアーティストたちがが参加しています。
その後も世界や日本の名だたるミュージシャンたちとコラボレーションしアルバムをリリースしたり、全国ツアーを敢行したり、国内外でやジャンルを問わず様々な音楽をプロデュースしています。
大流行したグッズについて
大流行した商品の数々を紹介。あなたも一度は目にしたことがあるはず!?
流行したグッズ紹介
キャップ
スニーカー
長袖プリントTシャツ
財布
流行となった秘話
dj hondaはアーティスト活動をする上で「音楽しかやらない。」という方針を持っていました。その為派手なアーティスト写真などは撮らず、代わりに「h」マークのついた帽子を深くかぶりました。顔をあまり見せないdj hondaがメディアに露出するたびに「h」マークが人々に強い印象を与えていきました。初めはライブ会場やイベントで配る、宣伝のためのグッズだったそうですが、1990年代半ばに元プロ野球選手のイチローが被り、人気が爆発。グッズの管理が個人では手に負えなくなり、アメリカのライセンス管理会社「サウスアンドウエスト」と契約を結び、グッズを大量生産するようになりました。
それからスニーカーやバッグ、時計など様々な商品が販売され、どれも大ヒット。シンプルなデザインだからこそ、広い層に長く人気がありました。90年代のヒップホップグッズとして今も見かける「dj honda」ブランドは、このような経緯で有名になったのです。
また、この現象についてdj honda自身は「いいじゃん。それがきっかけで、音楽を知ってもらえれば。」とコメント。DJという本業にこだわり続けたことで、よりdj hondaを世の中に知らしめることとなったのです。