多方面で活躍している東大出身のラッパー「ダースレイダー」を紹介!
ラッパー「ダースレイダー」を紹介いたします。高学歴ラッパーとしてのエピソードや、ヒップホップとの出会いに加えて、彼を襲った病や家族への想い、自伝本のことなどトピックごとにダースレイダーについてご紹介いたします。
左目の眼帯がトレードマークのラッパーといえば「ダースレイダー」です。東大出身という高学歴を持ったラッパーとして一目置かれた一方で、大きな病の壁にぶつかるという壮絶な体験をしている人物でもあります。今回はそんなラッパー「ダースレイダー」のプロフィールや経歴などをご紹介いたします。
ダースレイダーのプロフィール
ダースレイダーは1977年生まれの日本のラッパーです。
生まれはフランスのパリで、幼少期はイギリスのロンドンで育っています。
東京大学へ合格した頭脳を持った高学歴ラッパーとして知られ、多くのメディアやYoutubeのチャンネルでもヒップホップの歴史を始めとする社会の出来事への「博学さ」、「見識の深さ」は目覚ましいものがあります。
2010年に脳梗塞で倒れ、「あと30分遅かったら」という瀬戸際の状況に陥り、合併症で左目を失明。そのような逆境も強みに変えて、ラッパーとしてのみならず、執筆活動や司会など様々なシーン活躍する人物です。
高学歴なラッパー
ダースレイダーは日本一頭の良い大学として知られる東大生だったことでも知られています。
東大を目標としていたのは小学5年生の頃だそうで、その志から「合格率の高いところに」という考えの元、中高一貫校である武蔵高等学校・中学校に進学したそうです。
武蔵では部活動も並行していたこともあり、現役合格ではなく2年計画で東大合格を目指すということで、卒業後に一年浪人をしました。浪人中はお茶の水の駿台予備校に通っていたそうです。
大学合格後は、文学部東洋史学科に進学。大学は結果的に中退しています。
中退の理由は、ゼミのテーマの関係上、「オランダ語が理解できないと文献が読めない」という理由から挫折し大学へ行かなくなってしまったそうです。
それでも同じゼミの女子生徒の助けで、ノートやレジュメを受け取れたそうなのですが、「段ボール6箱分」という量の多さに完全に諦めてしまったそうです。
ヒップホップを始めたきっかけ
ダースレイダーがヒップホップを始めたきっかけには、予備校時代の”予備校の主”、多浪生の「金ちゃん」という人物との出会いがポイントになっているようです。
その予備校の昼休みには「金ちゃん」が屋上でラップを披露していて、周りのとがった生徒たちも皆ラップを聴いていたそうです。
「僕はずっとロック好きで、’60sや’70sの音楽を軸にブルースやファンク、ソウルを聴いてきた人間でした。音楽は好きだったけど、楽器もやらないし、歌も歌わない。その不良予備校生も楽譜は読めないし、楽器も弾かない。なのに、音楽をやってたんですよね。その人を見て『これだ! ラップでなら僕も音楽ができる』と気づいたんです」「東大中退」「余命5年」42歳ラッパーの壮絶人生
さらに、授業をサボって行った渋谷のレコード店で「ブッダブランド」や「シャカゾンビ」の新譜が発売されており、当時CDが主流だった時代背景の中でレコードをリリースしていたことに感銘を受けたこともヒップホップへのめり込んだきっかけとなっているようです。
次ページではダースレイダーを襲った病や、家族への想い、自身の自伝本の事などをご紹介していきます!