「リーダーRUKIはいろんなジャンルが踊れる。KADOKAWAでも活躍できる可能性のあるダンサー」第一生命SD.LEAGUE中日本予選優勝 MADARA (HOMEY DANCE STUDIO @愛知)が見つけたリーダーのポテンシャル
日本初の全国NO.1のダンススタジオを決定する「第一生命SD.LEAGUE 2024 FINAL」。全国5ヵ所の予選からFINALへ勝ち上がる34チームによるパフォーマンスは、クオリティの高さに驚かされるだけでなく、まだ見ぬ才能や輝きを放つダンサーを多く発掘することができた。
そんなSD.LEAGUE予選優勝チームにインタビューを行い、ディレクターとリーダーの素顔や、SD.LEAGUEへのチャレンジの裏側を深掘りする。今回取り上げるのは、現役DリーガーYOICHIROがディレクターを務め、中日本予選優勝を1位通過したMADARA。入場の時点から他チームと魅せ方の違いで存在感を示し、シルエットへの美学とバイブスに溢れたワイルドな振り付け、メンバーの個性を活かした構成の中でも一段と輝くリーダーRUKIのパフォーマンスにも注目が集まった。
大会当日、本番前のディレクターYOICHIROとリーダーのRUKIから話を聞くことができた。
チームでなくダンサーとして一人一人フィーチャーされる経験は、どこでもできるものじゃない
チームと自己紹介をお願いします。
RUKI
HOMEY DANCE STUDIOのMADARAです。MADARAのリーダーのRUKIです。
YOICHIRO
ディレクターでBenefit one MONOLIZのYOICHIROです。
今回大会に参加するきっかけや経緯を教えてください
YOICHIRO
僕がD.LEAGUEの方で普段活動していて、そこでSD.LEAGUEが始まるという情報を知ったのですが、去年D.LEAGUEに入るまで教えていたHOMEY DANCE STUDIOさんから出してみないか、とお声がけをいただき、出る決意をしました。
この大会に向けて特別こういう練習をした、こういう工夫をしたみたいな話はありますか?
YOICHIRO
SD.LEAGUEは、大元がD.LEAGUEということで、やっぱり普通のダンスコンテストとは違って、モニター上でどう見えるかとか、採点基準も細かく多いため、ダンススキルだけでなく、作品をどう見せるか、ビジュアルをどう見せるかという点でも衣装やメイクなどこだわって作りました。
挑戦を通してこんな経験や成長をしてほしいという想いはありますか?
YOICHIRO
例えば入場だけとっても、一人ずつダンサー名を呼ばれ、自分の顔が切り抜かれて配信されるという経験は、そうできるものではないと思うので、ダンサーとしての一人一人、自分を全国にアピールしてほしいな。という想いがあります。
そして全国のスタジオさんが今決勝で集まっています。普段名古屋だけでダンスしていても、生で見ることができない、一緒のステージに立つことができないようなメンバーと今回の決勝で一緒の舞台で戦える。
同じ年齢層でもあるので、ライバルとして、次世代のダンスシーンを作り上げていく仲間としても、認識し合えるような環境になったらと思います。
「最低」の失敗を経てチームが変わった
意識しているチームなどはありますか?
YOICHIRO
一番は西日本予選優勝のkeijiroくんがディレクターのASTHENOですね(笑)。
元Benefit one MONOLIZのメンバーで僕とは在籍期間が重ならず入れ替わりだったんですが、僕が入るタイミングで何度かお話ししたり、keijiroくんの単独公演を見に行ったり、ライバル認識というか、、、言葉では表せないような感情があります。
あと、中日本予選の2位だったチームGEMのディレクターGENとは親しくて、同い年であって、名古屋を盛り上げてくれているダンサーです。そのチームにも負けないようにしたいですね。
今回のチームメンバーの選定はどうされましたか?
YOICHIRO
元々スキルが高い子達に声をかけて、2月にオーディションを行い、その中からさらに選抜しました。今回の作品において、RUKIのパッションと、メンズダンサーというポジションもそうでうし、個性がチームの中で人一番強い彼をリーダーにしました。
リーダーとして、今回大変だったことはありますか?
RUKI
元々オーディションの時にあったことない人や、初めましてのメンバーがいて、年齢もバラバラで、まず距離感がわからないという気まずさがありました。そこからみんなでグループLINEを作って意見を言い合える場所を作っていきました。
2月から練習が始まり、1度、SD.LEAGUEの前に披露するイベントがあったのですが、その時本当にダメダメで、スタジオの先生方にたくさん怒られました。
(一同爆笑)
YOICHIRO
一度イベントがあって、「最低!」という言葉をもらいました(笑)。でもそれがいいきっかけになって、チームワークを意識するようになって、みんなだけで話す時間もその時からできました。
(パフォーマンスは)ダメでしたけど、結果オーライというか、それが一番いいきっかけになったんじゃないかなと思います。