グラフィティの歴史や書き方を画像で解説!アーティストも
グラフィティについて紹介いたします。 グラフィティとはなんなのか?歴史や特徴、世界でも有名なグラフィティアーティストの紹介まで広くお送りいたします。
ネット社会の発達や、ファッション業界の発展などによって、ごく一般的な人たちでも写真やデザインなどで一度はグラフィティを見たことがあるのではないでしょうか。
今回はそんなグラフィティがどのようなものなのか、歴史や特徴など、荒削りではありますがご紹介させて頂きたいと思います。
グラフィティとは
グラフィティは直訳すると「落書き」を意味します。一般的にはスプレーやペンキなどで壁や電車などへ書かれたものが「グラフィティ」と呼ばれ、現在ではその定義がさらに幅広いものとなっています。
グラフィティには、建造物などの壁に書くものから、スケッチブックなどのペーパーに書くものなど幅広く存在しています。近年では「アート作品」と認識されることも少なくなく、多くのアーティストやデザイナーも、これらのグラフィティアートをデザインや広告に起用しています。そのため、ファッション業界やへの露出や、一般人へ触れ渡る機会が現在では多くなっています。
実際に、世界的にも有名なグラフィティライターのKeith Haringとのコラボアイテムなども発売されたりしています。
しかし、壁や鉄道車両などへは無許可で書かれたものも多く、元々は「落書き」としての認識が強かったこともあり、すべての人が「アート作品」と認識できるのかについては難しい部分もあるようです。
イギリスのテンドリング市においては、有名なグラフィティライターBANKSYのグラフィティについて、観光資源的な価値から違法性はないと判断した事例もあり[1]、ひとくくりに良し悪しを判断するのが難しいカルチャーでもあります。
グラフィティの歴史
現代のグラフィティのスタイルは特にヒップホップの文化とも関わりの深いアメリカに起因すると考えられますが、確かな証拠は少ないとされ、その発祥は諸説ありとされているようです。これらが書かれる理由も「社会的・政治的な主張」、「名声」、「ギャングの抗争」など様々だったようです。
そんなグラフィティがアートとして小さくも認識され始めたのは1960年代で、アメリカのフィラデルフィアで、CORNBREADとCOOL EARLという人物が、街中に名前を書き始めたことから広く知られ始めたそうです。
70年代に入るとマンハッタンやブルックリンにもグラフィティライター出現し始め、TAKI 183やJulio 204などのグラフィティライターや、FRIENDLY FREDDIEといったライターが活動していました。
初期の頃は多くのタグ(名前)を残すことが目的とされ、名声を上げるのに活用されていたそうです。
そこからは徐々にキャラクターが書かれたり、スローアップという2色でアウトラインで書かれものなど、グラフィティにデザイン性も付加され、ロゴとして一つの作品へと進化していきました。
80年代に入ると、さらにそれぞれのグラフィティライター達のスタイルは確率しつつも、それまで多くのグラフィティが書かれていた地下鉄の規制がとても厳しくなり、多くのグラフィティが取り締まられます。
この頃そんな出来事とは裏腹に、映画『WILD STYLE』の公開もあって、ヒップホップカルチャーとしてグラフィティの認知はさらに広がっていきます。
90年代に入ると、ライター達が正式にグラフィティの活動をできるようにと、ニューヨーク・クイーンズに5Poinzという場所が誕生しました。この場所は2014年~2015年に取り壊されてしまいましたが、グラフィティの聖地としても知られた場所でした。
こうしたヒップホップ文化やストリートシーンの文化的背景も持ち合わせるグラフィティは、現在でも各国・各地で書かれています。
これらは記事の冒頭でも述べた、ライター・BANKSYのグラフィティを自治体が容認する事例のようなものもあれば、一方でロンドンの「ショアディッチ・グラフィティ・ライフ・ギャラリー」のギャラリストであるデイヴィッドは、VICEの記事内で
「自分の周りにいる友人たちは今でもストリートでリスクを犯しながら、作品を製作している。その一方でバンクシーは微塵のリスクもなく、グラフィティを描くことができる。でもリスクのないストリートアートってどうなんだろうね」なぜバンクシーだけが壁に描くことを許されるのか
とも語っており、なにが正しいのかは別として、それぞれのグラフィティライターに関する印象は様々にあるようです。