スキャンダラスなセレブ「レディーガガ」の生い立ちや名曲を紹介

常に世を騒がし世間の注目が絶えないレディーガガ。そんな彼女の秘話や、絶対に聞いておきたい名曲を紹介していきます。

様々な話題で世を騒がせるレディーガガ。今や名前を知らない人はいないであろうスーパースターとなった彼女の生い立ちを知っていますか? ここでは彼女の色んなエピソードと一緒に是非知っておきたい名曲を紹介します。

レディーガガのプロフィール

1986年3月28日アメリカのニューヨークに誕生。親はイタリア系アメリカ人の実業家で、裕福な家庭で育てられました。
4歳からピアノを習い始め、13歳の時には自分で作曲できるようになっていました。ブリトニー・スピアーズやビヨンセに影響を受けてスターになる夢を持ち、2005年に19歳でデフ・ジャム・レコーディングスと契約します。
そして2007年にインタースコープ・レコードとソングライター契約をし楽曲制作を続ける中で、エイコンが彼女の才能を認め、自身のレーベルと契約を締結させファーストアルバムの制作をし、有名曲の数々をこの世に輩出していくこととなりました。

レディーガガの経歴

2007年 インタースコープ・レコードとソングライター契約。エイコンのレーベルコンライブとアーティスト契約。
2008年8月 デビュー・アルバム「ザ・フェイム」を発表。全世界で大ヒット。
2009年2月 第51回グラミー賞で最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネート。シングル「ポーカー・フェイス」が大ヒットし全世界での売上は1,000万枚以上に達する。
2009年11月 「ザ・モンスター」を発表「バッド・ロマンス」はまたもや世界中で大ヒット。
2011年5月 2ndアルバム「ボーン・ディス・ウェイ」を発表
2013年11月 3rdアルバム「アートポップ」発売。売り上げは前作に比べ不振に終わってしまう。
2015年10月 テレビアンソロジーのホラーシリーズ『アメリカン・ホラー・ストーリー』の第5シーズンに出演する
2018年後半、映画「アリー/ スター誕生」に主演女優として出演。
2020年5月29日 6thアルバム「クロマティカ」を発表

その後もシンガーソングライターとして活躍する傍ら、女優としても大きな成功を収めている。またジェンダー差別やいじめの撲滅に向けた運動を展開するなど、活発に社会貢献活動を行っている。

これまでのレディーガガ

アーティスト名「レディーガガ」はクイーンの名曲から名付けられた

ガガの歌い方がフレディ・マーキュリーの歌うクイーンの曲「RADIO GA GA」を彷彿させるとのことで、下積み時代、親交の深かった音楽プロデューサーのロブ・フサーリは、ガガがスタジオに来るときにあいさつ代わりに「Radio Ga Ga」を歌っていたといいます。ある日フサーリがガガに送ったメール文の「Radio Ga Ga」が自動修正されて「Lady Ga Ga」になり、ガガがそれを気に入り「二度と私をステファニーと呼ばないで!」と言ったため、「レディー・ガガ」と呼ばれるようになりました。

いじめを受けていた少女時代

レディーガガは、ヒルトン姉妹も在籍していたことで知られるマンハッタンの「お嬢様学校」聖心女子学院へ進学しましたが、周りの裕福な家庭の子どもの雰囲気に馴染めず、不自然な話し方や変わった行動をとる子というレッテルを貼られていじめを受けていました。そこではロッカーに悪口を書かれたり、すれ違い様に「娼婦 」と罵られたり、街でゴミ箱に投げ入れられたこともあったようです。

才能がなかなか認められなかった大学時代

レディーガガは17歳で、世界の超名門音楽学校のティッシュ・スクール・オブ・アートに入学しましたが、彼女の奇抜で個性的なスタイルに対し周囲は理解してくれず、心無い言葉をたくさん浴びせられたようです。そのため1年で大学を退学し、心労から薬物中毒に陥ってしまいます。

ストリッパーとして働いた過去

また、下積み時代に親元を離れストリップクラブで働くようになりました。ステージでヘアスプレーに火をつけて、狂ったように踊ったといいます。またドラァグ・クイーンやゴーゴーダンサーともクラブを出入りしていて、普通の裕福なイタリア系アメリカ人の家庭出身ではなかなかできない経験をしています。

バイセクシャルをカミングアウト

2009年5月に、音楽雑誌「ローリング・ストーン」の表紙をセミヌード姿で飾り、このときのインタビューで、自分はバイセクシュアルであるということを発表しています。

社会活動家として世界へ

レディーガガは社会活動家として、様々な問題の支援も行っています。非営利団体「DoSomething.org」が発表したセレブの慈善活動貢献度のランキングでは、2年連続で1位に選ばれました。行った活動は、ハイチ地震の復興支援やエイズ撲滅運動、LGBTへの理解、いじめ撲滅運動、ホームレスの支援、東日本大震災への復興支援など多岐にわたります。

レディーガガの今すぐ聞くべき名曲20選

それではここから、レディーガガの見逃せない20曲を見てみましょう!

Just Dance

2008年4月8日にリリースされた、レディーガガのデビューシングル。ガガが作詞作曲を手掛けたダンサブルでポップな音色が特徴的で、第51回グラミー賞では「ベストダンスレコーディング賞」にノミネートされました。

Poker Face

セックスやギャンブルについて歌う過激な内容や豪邸でガガがストリップ・ポーカーをするミュージックビデオ、そして色の濃いコーラスやフックの使い方で世界中からレディーガガの独特な世界観が評価された曲。

Eh, Eh (Nothing Else I Can Say)

落ち着いたミッドテンポ・バラード。ミュージックビデオでは長年寄り添ったパートナーと別れ、新しい誰かを見つけるという内容で、1950年代風のイタリアの街並みを友人と一緒に歩き回っています。レディーガガの前回までと違った雰囲気を楽しめる一曲です。

Love Game

舞台はニューヨークの地下。駐車場で踊るシーンが印象的です。歌詞にある「ディスコ・スティック」は性的な意味合いを持ち、ナイトクラブで見知らぬ人と関係を持つストーリーが描かれています。

Paparazzi

この歌のテーマは、有名になることで得た名声と愛情との葛藤。ボーイフレンドに裏切られ崖へ突き落された彼女の復帰するまでと復讐を描いたミュージックビデオはミニ映画となっていて、2009年のMTV Video Music Awardsで優秀美術部門と優秀特殊効果賞を受賞しました。

Bad Romance

ここまでついたガガのイメージに最もマッチした、色濃いコーラスやダンサブルなテンポが特徴的な曲。ミュージックビデオではガガがワールドツアー中に見た精神的な妄想を表現したと言われています。狂気じみたラストも見どころ。

Telephone

ビヨンセをフィーチャリングしたこの曲は、元々はブリトニー・スピアーズの為に書かれたものだったそう。淡々としたラップやソウルフルなブリッジが印象に残ります。ミュージックビデオでは、「パパラッチ」の続編として刑務所のシーンから始まります。ガガを迎えに来たビヨンセと共にレストランへ行き夕食を食べている客を毒殺。その後2人が警察に追われるという内容で終了します。

Alejandro

ガガが影響を受けたというABBAやエイス・オブ・ベイスの楽曲のようにミッドテンポで、ディスコやヘビーユーロポップ的な仕上がりになっています。ミュージックビデオでは男性兵士下着姿で踊るガガが印象的。この曲はガガの「セックスモンスターへの恐れ」から生まれたそう。

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