マリインスキー劇場インスタグラム

世界五大バレエ団の一角!マリインスキーバレエを紹介!

バレエ団の名前をいわれても、その違いやそれぞれの良さがよくわからないという方のために、ここでは五大バレエ(パリ・オペラ座バレエ、英国ロイヤルバレエ、ボリショイバレエ、アメリカン・バレエ・シアター、マリインスキーバレエ)の中の一つ、マリインスキーバレエについてご紹介します。

  1. マリインスキーバレエについて
  2. マリインスキーバレエの沿革
  3. マリインスキーバレエの主な団員
  4. まとめ

マリインスキーバレエについて

かつてはキーロフ・バレエとも呼ばれていたマリインスキーバレエ団は世界5大バレエといわれる名だたるバレエ団の中でも特に、「古典作品」の美しさに定評のあるバレエ団です。
諸説ありますが、フランスから伝わった宮廷のためのバレエを、現在のような劇場で見せるためのバレエへと昇華させたのがロシアという地だと言われています。そのため、ロシアでは、「バレエ」に対する教えがかなり厳格で、「バレエダンサー」を目指すならバレエダンサーにふさわしい体格でなければならないのです。今や各国のバレエ団が、体格ではなくその技術やスター性などに目を向けてバレエダンサーを採用しますが、マリインスキーバレエ団は違います。ある一定の身長を超えていなければ舞台で見栄えのするダンサーにはなれないし、ある一定のBMI値を超えていてはバレエダンサーとして美しいとは認められないという発想を、今現在も貫いているのです。

だからこそ、ご覧ください!!主役級のダンサー以外のダンサーたちを!彼女たちはコールド(群舞)といって大勢で同じ踊りをすることが多いのですが、身長も体格もそろっていて、圧倒的な美しさがありますね!

マリインスキーバレエの素晴らしさが際立つのがこの、コールドのシーン。上の動画は『ラ・バヤデール』という演目の「精霊たちの踊り」と呼ばれるものです。一人、また一人と登場する精霊たちの大きさやあげた足の高さ、とまってからぐーっとさらに高く足をあげるタイミングまで一緒!!ここまで高いレベルですべてのダンサーがシンクロできるのはマリインスキーバレエ団だけだといわれています。ため息が出てしまう美しさですね。
マリインスキーバレエ団のダンサーたちが、コールドのレベルまでとても高いのは、そこに至るまでの教育が厳格だからだともいわれていて、このバレエ団に入団するためにはまず付属の「ワガノワバレエ学校」に入学しなければいけません。そして、そのワガノワバレエ学校では、まず体格、骨格、体質までもを調べ、両親の体格までもを確認するという適性検査が行われます。そして、入学後も「バレエダンサーとして生きていく覚悟」があるのかを常に試されながら暮らしていくのです。

年に何度も進級試験や公開公演があり、毎日のレッスンの中で、「自分がバレエダンサーとしてどんな役をもらえるのか」が決まります。日によってやる気のない態度をとるような生徒は、決して主役級の役はもらえないし、「バレエダンサーになる適正」を問われることになります。だからといって目立って自分だけが上手ならいいというわけではなく、「みなと同じ角度で同じように踊る」ということができなければ、主役級の役だって踊れないとみなされてしまうのです。10代で感情が些細なことで揺れ動きやすい時期に、あえてそういった厳しい教育を行うことで、ワガノワバレエ学校は、「本当にバレエダンサーになる人」を輩出していくのです。そして、その輩出先がマリインスキーバレエ団だというわけなのです。もちろん、ワガノワバレエ学校を卒業したからといってやすやすとマリインスキーバレエ団に入団できるわけではありません。マリインスキーバレエ団は、狭き狭き門なのです。

マリインスキーバレエの沿革

1730年代:フランスから宮廷バレエが伝わり、フランス人ジャン・バティスト・ランデにより首都サンクトペテルブルクに帝室舞踊学校が創立される。これがマリインスキー・バレエの起源といわれている。
18世紀後半:宮廷バレエから劇場バレエへ
1783年:女帝エカチェリーナ2世がオペラとバレエ専用のボリショイ劇場をサンクトペテルブルクに建設させ、マリインスキーバレエ団はそこを活動拠点とするようになる。
1800年~1850年:フランスなどから影響を受けたロマンチックな作品が増える
1850~1900年:フランスから呼び寄せた振付師マリウス・プティパの活躍により『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』といった超有名作品が誕生する。作曲家はチャイコフスキー。
1860年:老朽化の激しかったボリショイ劇場の代わりとなるマリインスキー劇場を建設。
1886年:ボリショイ劇場が老朽化してきたので閉鎖。
1900~1930年:西欧諸国でバレエが衰退していく中マリインスキーバレエ出身のダンサーたちがバレエリュスというバレエ団を立ち上げ、モダンバレエを生みだす。
1917年:ロシア革命により多くのダンサーが国外に亡命。これによってマリインスキーバレエ団のバレエが世界中に広まることに。
1922年~1991年:ソビエト連邦時代は、マリインスキーバレエ団よりボリショイ・バレエ団を国が応援し、国費を使ってボリショイバレエ団のレベルをあげた。
1992年以降:ソビエト連邦時代の苦しい時期を超えてまた、評価が高まっている。

マリインスキーバレエの主な団員

上記でご説明したような、厳格なマリインスキーバレエ団ですが、「ロシア人でなければ入団させない」という訳ではなく、バレエダンサーとして的確であれば入団を認め、ソリスト(一人で踊る役割を与えられるダンサー)やプリンシパル(主役級を踊るダンサー)として昇格させていきます。その証拠に、実は、マリインスキーバレエ団には2人の日本人バレエダンサーがいるんです!

石井久美子

生年月日:1994年9月7日
出身地:東京都
出身校:ワガノワバレエ学校
身長:169センチ

2013年に、日本人として初めてマリインスキーバレエ団への入団が認められた石井さんは、一言で言えば「努力家」。恵まれたスタイルに胡坐をかかず、自分の身体を追求し続ける彼女は、自分のトレーニング方法などをすべて明かしており、多くのダンサーたちが彼女に影響を受けています。自己発信能力も高く、彼女のインスタグラムやYouTubeチャンネルからは、彼女のまっすぐでバレエしか見ていないひたむきさが伝わってきます。

永久メイ

2017年にマリンスキーバレエ団のセカンドソリストとなった永久メイさんについては、以下の記事をご覧ください。

まとめ

世界五大バレエ団の一角である、マリインスキーバレエ団についてご紹介しました!
ご紹介した日本人ダンサー以外にもまだまだ美しいダンサーがたくさんいるので、マリインスキーバレエ団の美しい動画に酔いしれてください!

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