【追悼】坂見誠二さんが「ダンスの神様」と呼ばれた本当の理由

南で始まった黒人文化が、西で広まり、東でメジャーになる。
ニューオリンズに上陸したアフリカ音楽が、ロサンゼルスでソウルやファンクになり、ニューヨークでヒップホップになる。
極端にいうと、ストリートダンスや音楽にはそんな流れや時系列があるわけなのですが、誠二さんは実際に見聞きしたトピックを、ジョークを交えて、お酒片手にたくさんしてくれました。

「いつかその話、本にしましょう!」
という、その時の私の約束が果たせなかったのが悔やまれます。

ストリートダンスの生き字引・生き証人が亡くなられたことで、我々が失った歴史は大きい。
それは間違いないと思います。

そういえば、誠二さんは『アメリカ文化と黒人音楽』という本を愛読していたそうです。
今は絶版となっているようですが、みなさんが好きなヒップホップの源流にある知識(knowledge)です。機会があればぜひ手に取ってみてください。

たかがダンス
されどダンス

たかがダンス、されどダンス。

誠二さんと話していると、そんな言葉が思い浮かびます。
かつてThe Rolling Stonesが
「I know it’s only Rock’n’Roll but I like it!!」
(たかがロックンロールなのは知ってる。だけどコレが好きなんだ)
と歌いましたが、まさにそのダンス版ですね。

「たかが」と言っても、決してダンスをバカにしているわけじゃなく、誠二さんは「たかが」の扱いをたくさん受けてきた時代のダンサーだからなのです。

「仕事くれるならどこでも踊ったよ。道端でも、スーパーの客寄せでも、デパートの屋上でも踊った。隣で野菜売ってたから、踊りながら野菜を売る手伝いしたりね(笑)」

「今の人(ダンサー)が、やれココじゃ踊れないとか、照明がぁ、音響がぁ、とかいろいろ言うじゃない? 俺らの頃は踊らせてもらうだけで有り難いの。ダンサーの扱いなんて、あってないようなものだよね(笑)」

筆者は『スーパーチャンプル』や『DANCE@TV』という番組で、誠二さんとよく審査員をご一緒させていただきました。
ある時、待ち合わせのバスで、今や有名になった若手ダンサーが遅刻してくると、誠二さんは
「イイ仕事するようになったね〜」
と、笑顔と皮肉でその若手をたしなめていました。

誠二さんは知っているのだ。ダンサーが「たかが」だった時代を。
今では現場で「ダンサーさん、どうぞ」と呼ばれ、恵まれていることを勘違いしてはいけない。その地位は先達がコツコツと作ってきたのだ。
ちょっとした勘違いが身を滅ぼす。そうやって消えていったダンサーを誠二さんはたくさん知っているのだろう。

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