【追悼】坂見誠二さんが「ダンスの神様」と呼ばれた本当の理由
「たかが」と言っても、決してダンスをバカにしているわけじゃなく、誠二さんは「たかが」の扱いをたくさん受けてきた時代のダンサーだからなのです。
「仕事くれるならどこでも踊ったよ。道端でも、スーパーの客寄せでも、デパートの屋上でも踊った。隣で野菜売ってたから、踊りながら野菜を売る手伝いしたりね(笑)」
「今の人(ダンサー)が、やれココじゃ踊れないとか、照明がぁ、音響がぁ、とかいろいろ言うじゃない? 俺らの頃は踊らせてもらうだけで有り難いの。ダンサーの扱いなんて、あってないようなものだよね(笑)」
筆者は『スーパーチャンプル』や『DANCE@TV』という番組で、誠二さんとよく審査員をご一緒させていただきました。
ある時、待ち合わせのバスで、今や有名になった若手ダンサーが遅刻してくると、誠二さんは
「イイ仕事するようになったね〜」
と、笑顔と皮肉でその若手をたしなめていました。
誠二さんは知っているのだ。ダンサーが「たかが」だった時代を。
今では現場で「ダンサーさん、どうぞ」と呼ばれ、恵まれていることを勘違いしてはいけない。その地位は先達がコツコツと作ってきたのだ。
ちょっとした勘違いが身を滅ぼす。そうやって消えていったダンサーを誠二さんはたくさん知っているのだろう。
だからこそ、笑顔で気づかせようとしていた。
本気と愛で、後進を育てようとしていた。
そして、長い間ダンスの魅力と可能性を広めようとしていた。
ダンスはたかが遊びの延長かもしれない。
されど、こんなに素晴らしい、人生を豊かにしてくれる遊びはないだろう。
たかがのダンスを、されどのダンスとして世に伝えようとしていた。
笑顔と汗とたくさんの愛で、最後まで踊りながら人生をかけぬけていった。
なぜ「神様」なのか?
私が評するのも恐縮ですが、誠二さんはダンサーとしてだけでなく、人として一流でした。
成功しているダンサーはみなさんわかってますが、ダンスの技術だけ磨いても仕事は来ないのです。
人付き合い、礼儀と誠実さ、義理と人情、羞恥心と節度、そして素直な心。
そのへんが磨かれていないと、ある地点で苦労します。社会や人と衝突します。
悪い評判がまわって、気づけばはじかれています。
そのことを、ダンスの開拓者である誠二さんは身をもって体感していたのだと思います。
どの世界でも、特にユースカルチャーであるダンス界では、ベテランや大御所は振る舞いを間違えると、だんだんと煙たい存在になってきたりもします。そしてシーンの中心から徐々にはずれていったりもします。
しかし、誠二さんは違いました。
一緒に楽屋にいるだけで、「セイジさん!」と次々に若手が挨拶に来て、気さくに会話が広がります。
尊敬と感謝だけでなく、誰にも友達のような親しみやすさを感じさせるヒトなのです。
私は、誠二さんの悪口や陰口を言う人を知りません。
なぜなら、
誠二さんを否定することは、自分たちが生きている世界を否定するのと同じだからです。
だから、坂見誠二さんは神様と呼ばれるのです。
最後にお会いしたのは、数年前のチームダンス選手権の決勝だったかと思います。
がん手術の直後でしたが、渾身のジャッジムーブで会場を沸かせていました。
踊り終わると「キツ〜!」と、楽屋で顔を紅潮させ、玉のような汗をかきながら、冗談めかして自身のダンスを振り返っていました。
その時、病み上がりで還暦を迎えてましたが、まるで少年のような笑顔で楽屋を賑やかします。
「誠二さん、根っからのダンサーなんですねぇ」
私が言うと
「だって、こんなに楽しいもんないでしょ。最高ですよ!」
ダンスの神様は、世界で一番ダンスが好きなヒト。
間違いないです。
長い間お疲れ様でした。
天国でヨシ坊さんやチェリーさんたちとのセッションを楽しんでください。
ありがとうございました。