日本を飛び出し世界に羽ばたくダンサーRyota Takaji | 壮絶な経験とこれからの野望

Ryota Takaji

数々の有名アーティストと共演を重ね、日本のみならず世界に活躍の幅を広げているダンサーRyota Takaji。

大阪府出身の彼は5歳頃からダンスを始め、小中学生時代は数多くのコンテストに出場し、輝かしい成績を残す。HAISAI 2010 全国決勝大会 優勝、ALL JAPAN SUPER KIDS DANCE CONTEST 2009 FINAL 特別賞、 Dance Attack!! Tokyo 2010 3位等、現在も続く名だたるコンテストでの華々しい入賞歴を持つ。

高校時代、YouTubeでアメリカのダンサーのクラス動画を見始めたことをきっかけに海外のダンスシーンに興味を持ち始め、20歳の時LAに留学。約2年間の留学生活で、有名ダンサーやコレオグラファーの元でトレーニングを重ね、時にはクラスでのアシスタントも担当し、Carnival等のイベントにも出演。そんな彼に22歳の頃転機が訪れる。

一番の理解者であった母の死、そこからアメリカ最大級イベント”The Monsters Show”出演に至るまで
Monster

元バレリーナだったという彼の母は、彼が14歳の時に癌が発覚し、そこから約9年間の闘病生活を続けたが、彼が22歳の時に永眠。幼少期から彼を支え続け、一番の理解者であった母を若くして亡くした彼は、一時期自分の行くべき道を見失ったようだったと語る。

そんな彼に再びダンスへの熱を燃え上がらせたのが、アメリカ最大級のコンベンション型イベント”The Monsters of Hiphop”だった。「母を亡くしてから数週間、食事もうまくとれず、アメリカに戻ってからもダンスに対する気持ちがパッタリと無くなってしまったようでした。せっかくアメリカにいるのに何もしていない自分に対する焦りや不安に苛まれていた時、LAからほど遠くないLas Vegasでこのイベントが開催されることを知り、ここで結果を残せなかったらダンスを辞めて日本に帰ろうと思い立ち参加することにしました。ですがあと一歩のところで結果を残せず、今までにない程悔しい思いをし、毎年夏に開催される”The Monsters Show”に出演出来るまでは挑戦し続けようと決意しました。」

この”The Monsters Show”とは、過去にParris GoebelやSean Bankhead他、現在アメリカのダンスシーンで第一線の活躍を続けている数々のダンサーを世に放った登竜門的イベントであり、毎年7~8月に開催される。アメリカ各地で1年かけて開催される”The Monsters of Hiphop”にてオーディションを通過し、そこからさらに選び抜かれた16人のみが出演出来るという厳しい門であり、毎年2000人を超えるダンサーが世界中から挑戦している。

1年半の挑戦の結果、2019年に晴れて唯一の日本人キャストとして選ばれたRyota Takaji。アメリカを越え、世界中にその実力を知らしめた。

日本帰国後とこれからの彼の展望とは
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帰国後も持ち前のスキルと経験を活かし、各方面に引っ張りだこの彼。2020パラリンピック東京大会閉会式出演をはじめ、Amazon Prime “ザ・マスクドシンガー”全エピソード出演、その他ミュージックビデオやCM出演など、その勢いは増すばかりだ。2020年に開催された中田ヤスタカときゃりーぱみゅぱみゅのツーマンライブツアー”YSTK×KPP vol.2”では、唯一の男性ダンサーとして出演。2人の女性ダンサーと合わせても3人という少人数ながら、エネルギッシュなパフォーマンスで会場を盛り上げた。また、STEREO DIVE FOUNDATIONによる”TRISTAR”のミュージックビデオではアーティスト本人の未来役に大抜擢。作品のストーリーを伝える上でメインとなる重要な役割を、見事な表現力で演じ切った。

現在は日本在住の彼だが、今後はアメリカに戻ってLAを拠点とする活動を視野に入れているという。2019年にオープンしたスタジオのプロモーションの一環として行われるビデオやショーにヘッドライナーとして出演、また有名コレオグラファーのYouTubeシリーズにメインメンバーとしてのレギュラー出演など、すでにオファーが絶えないそうだ。「エンターテインメントの中心地であるLAを拠点に、世界中のたくさんの人に自分のパフォーマンスを見てもらって、夢や元気を与えられるダンサー/アーティストになりたいです。生まれ育った日本のダンスシーンにも何か良い影響を与えられるように、自分のルーツを大事にしながら日々成長していきたい。」と話す。今後も彼の活躍に目が離せない。

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